ep.2 弟子志願(4)
小屋から一歩を踏み出たところで、藍鬼は振り返った。
片手で空中に幾何学の図形を描き、短く何かを呟く。
景色が陽炎のように歪んだ。
「え!?」
瞬きをする間に、小屋は掻き消えていた。
目の前にあるのは、岩肌に穿たれた小さな洞と、苔むした岩のみ。
最初から、そこに何もなかったかのように。
「幻術だ。隠しているだけで、小屋はそこに『ある』。これも神通術とは理が違う」
「いま僕が質問しようとしたのに」
「お前の傾向と対策はもう分かった」
藍鬼はさっさと踵を返し、歩き出す。
背嚢をガチャガチャ揺らしながら、青は長い脚を追った。
森の小道を行く、大小ふたつの影。
小走りで長身に追いついた青は、藍鬼を見上げる。
隣を歩いているだけで、自分まで少し強くなったような気がして、青の足取りは自然と弾んだ。
昼の森は、昨夜の悪夢が嘘のような平穏に満ちていた。
夜に地を這っていた殺気は鳴りを潜め、代わりに小鳥たちの鈴を振るような声が降り注いでいる。
「森を抜けるまで、どれくらいかかるの?」
「二刻半も歩けば、陣守の村に着く」
「どんな村かな」
青は天を仰いだ。
鬱蒼と茂る枝葉に遮られ、空の青さは断片的にしか見えない。
もし妖獣に遭わなかったとしても、樹海で迷い続け、どこかで飢え死にしていたかもしれなかった。
「……なんだ」
遠慮のない視線に気づき、黒い仮面がわずかに青へ傾く。
「学校って、どんなことをするの」
「凪で生きて行くために必要なことを、一通り教えてくれる」
神通術、体術、読み書き、算術など。凪之国で生きていくため――それはすなわち、国への忠誠と引き換えに、生を保障されることと同義だ。
「毒術も、教えてくれるの?」
「基礎的な部分はな」
「藍鬼さんみたいに強くなれる?」
「……」
「僕、藍鬼さんに教えてほしい」
「……学校の成績が良かったら、考えてやる」
黒の仮面が、前方へ視線を戻した。
「本当!? おシショーになってくれる? 約束だよ!」
ぱあっと顔を輝かせ、青が飛び跳ねた。
小瓶たちがカチャカチャと楽しげな音を立てる。
「――お前は、『麒麟』になれるかもしれないな」
青の頭上から、呆れたような、それでいて温かな吐息が零れた。
「キリン?」
「良き毒術師になれる、という意味だ」
「藍鬼さんみたいにってこと!?」
「……どうだろうな」
麒麟。
その言葉が持つ重みを青が知るのは、まだ先の話となる。




