ep.2 弟子志願(2)
「あれ全部、藍鬼さんが作ったの?」
青は軽く背を伸ばし、壁棚へと視線を移した。
とりわけ興味を惹かれたのは、棚の一角を占める、硝子瓶の数々。
橙、白、緑、澄んだ青と、色とりどりの顔料が並んでいるようだ。
「きれい、虹みたい!」
言うが早いか、青は踏み台を飛び降りて棚へ駆け寄った。
小さな手が、真紅の液体が揺れる瓶へと伸びる。
指先が硝子に触れるより早く、背後から腕を掴まれた。
「わっ」
引き戻す力は容赦がなく、足がもつれ、青は尻餅をついて床に転がる。
「触るなっ!」
小屋の壁が震えるほどの一喝だった。
見下ろす黒い仮面の肩が一度、大きく上下した。
「っひ、ぅ」
青は床に倒れ込んだまま、身を竦めた。
唇が震え、黒い瞳にみるみる涙の膜が張る。
仮面の奥で、短い息が漏れた。
しゃくりあげる青に背を向け、藍鬼は棚から数本の瓶を選び取ると、奥の戸を開けた。積み重ねられた葛篭の蓋を開け、薬瓶を仕舞い込んでいく。
居間に戻った藍鬼は、腰を抜かした青の前に、ゆっくりとしゃがみ込んで声を落とす。
「薬や毒の中には、触ったり、吸い込んだだけでも死んでしまうものもある」
青は涙を零しながら、こくりと頷いた。
「……触らない」
毒が塗布された針の一刺しで、小丘のごとき巨体が沈んだ光景は、幼い記憶にまだ鮮明だ。
「奥の部屋には、絶対に入るな。分かったら、座れ」
「はい……」
青は袖で目元を拭うと、おずおずと立ち上がり、椅子代わりの踏み台へ戻った。
両手を膝の上に揃え、唇をきゅっと結んで、手負いの幼獣のように小さくなる。
藍鬼はそれ以上は何も言わず、中断していた手当ての続きに取りかかった。
薬を塗った白布を青の足首にあて、包帯を巻いていく。
しばらくは、布の擦れる音だけが小屋に流れた。
青は膝の上でもじもじと指先を弄んでいたが、藍鬼の手当ての所作を目で追ううちに、涙は引いていった。
「神通術って、どうしたら使えるようになるの」
また、質問攻撃がはじまる。
「使えるようになりたいのか」
青は細い首を大きく上下に動かして応える。
「そうか」
とだけ相槌を打っているうちに、藍鬼は青の足首への包帯を巻き終えた。
「腹、見せてみろ」
手当ての続きに、藍鬼は青の上着の裾を捲り上げる。
「!」
仮面の奥で息を呑む音。
三ツ目猪が発した衝撃波が腹部の布を裂き、青の脇腹にも薄い裂傷ができていた。
傷の大きさの割に、周囲の肌が内出血のように黒ずんでいる。
「妖瘴が残っている……お前、何も感じないのか」
きょとんと首を傾げる幼子へ、藍鬼は諦めたようにため息をつく。
腰の道具入れから何かを引き抜いた。
人差し指と中指に挟まれているのは、長方形の紙片。
墨で文字が書かれている。
「妖獣や妖魔の呪いや毒のようなものだ」
「僕、死んじゃうの!?」
青の顔から血の気が引いた。
「解呪」
短い言葉と共に、藍鬼は指に挟んだ紙片を患部に押し当てた。
紙片の文字列が淡く発光したかと思うと蒼い炎に包まれ、藍鬼の掌が握りつぶした。
「あれれ」
背中を丸めて青は自分の腹部を覗き込む。
へそあたりで何かが弾けた気がしたが、痛みはまるで感じなかった。
紙片と炎、ついでに腹部の黒ずみも跡形なく消えていた。
「今のは、何?」
不安を浮かべる青の目前で藍鬼が握った手を上向きに開くと、手のひらに微量の黒い粉末がこびりついていた。
「薬剤符を使った解毒の術だ。毒や呪いを取り除く」
「それって、何の紙?」
「薬剤符は薬の効能を閉じ込めた札。解毒法は色々あるが、今のは毒術の応用だ」
「毒術は、何の神様の力なの?」
「え……?」
藍鬼は顔を上げた。
初めて、手が止まる。
「炎術は、炎の神様で『炎神』だよね。七つの神様の中に、毒神様っていないでしょ? 毒術と神通術って、違うものってこと?」
「……」
立て続けに投げかけられる青の問いに、藍鬼は沈黙した。
仮面越しに、幼く黒い瞳をまっすぐ見つめる。
「青」
藍鬼の胸中で、名もつかぬ感情が芽吹きかけていた。
「うん?」
「……夜が明けたら、ここを出る」
青の問いには答えず、立ち上がる。
傷の手当てはもう済んだ。
「凪の都へ連れて行ってやる」
道具を手早く片付け、棚の隙間へ押し込む。
「藍鬼さん?」
青は当惑して、ただその動きを目で追った。
何か、怒らせてしまったのだろうか。
「役場を頼れば、お前を保護してくれるだろう」
凪之国には、孤児を支える仕組みがある。
住む場所、生活の手助け、そして教育も。
棚から離れた藍鬼は、再び青の前に膝をつき、目線を合わせた。
「青、学校へ行きたいか」
ぽかんとした幼い顔へ、
「術や、戦い方を教えてくれる」
と言葉を変えた。
「行きたい!」
首が千切れんばかりに、青は大きく何度も頷いた。
「そうか」
青の目には、鬼豹の仮面の目許が柔く微笑んだように見えた。




