表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/272

ep.2 弟子志願(2)

「これ、全部おじ……藍鬼さんが作ったの?」


 青は軽く背を伸ばし、壁棚へと視線を移した。たしなめられたことなど、気にも留めていない。壁を埋め尽くすほどに小瓶や本がぎっしりと並び、箱からは草花や木の実がこぼれ落ちている。どれも見慣れぬものばかりだった。


「くれぐれも勝手に触るなよ。劇薬や猛毒もある。触ったり吸い込んだら死んじまう」

「さっきの妖獣を倒したやつみたいに?」と訊ねた青は肩を小さく震わせると、「分かった」と真剣な顔で頷いた。


 足首の次は、妖獣の放った衝撃波で負った切り傷の手当だ。

 藍鬼は青の手を取り、手首のサラシをゆっくりと解いた。


 作業を眺めながら、青は問いかけを続けた。

「神通術って、どうしたら使えるようになるの」

「使えるようになりたいのか」

 青は細い首を大きく上下に動かして応える。

「そうか」とだけ相槌を打って藍鬼は青の袖をまくりあげ、細い腕に刻まれた無数の傷へ、優しく軟膏を塗り込んだ。


「腹、見せてみろ」

 最後に藍鬼は青の上着の裾を捲り上げる。


「……っ!」

 刹那、仮面の奥で藍鬼が息を呑んだ。


 三ツ目猪が発した衝撃波が腹部の布を裂き、青の脇腹にも薄い裂傷れっしょうができていた。痛みが無いので青も気付いていなかったが、傷の大きさの割に周囲の肌が内出血のように黒ずんでいる。


「……妖瘴が残っている……お前……何も感じないのか」

「ヨ―ショー? なあに?」


 きょとんと首を傾げる幼子へ、藍鬼は諦めたようにため息をつく。

 気を取り直したように、藍鬼の手が腰の道具入れへ伸び、何かを引き抜いた。


 人差し指と中指に挟まれているのは、長方形の紙片。

 墨で文字が書かれている。


「妖獣や妖魔の呪いや毒のようなものだ」

「ど、毒なの??」


「毒」の一言に、青の顔から血の気が引いた。

 毒が塗布された針一刺しで小丘のごとき巨体が沈んだ光景は、まだ幼い少年の記憶に鮮明だ。


「解呪」

 短い言葉と共に、藍鬼は指に挟んだ紙片を患部に押し当てた。

 紙片の文字列が淡く発光したかと思うと蒼い炎に包まれ、藍鬼の掌がそれを握りつぶした。


「あ、あれ??」

 背中を丸めて青は自分の腹部を覗き込む。へそあたりで何かが弾けた気がしたが、痛みはまるで感じなかった。

 紙片と炎、ついでに腹部の黒ずみも跡形なく消えていた。


「今、今のは、何?」

 不安を浮かべる青の目前で藍鬼が握った手を上向きに開くと、手のひらに微量の黒い粉末がこびりついていた。


 わずかに仮面の顎をずらして藍鬼が手のひらに息を吹きかけると、粉末は空気に紛れるようにかき消えた。


「薬剤符を使った解毒の術だ。毒や呪いを取り除く」

「それって、何の紙?」

「薬剤符は薬の効能を閉じ込めた札。解毒法は色々あるが、今のは毒術の応用だ」

「毒術は毒を消せるんだ……じゃあ炎の術は、敵の炎を消せるの?」


「え……?」

 初めて、藍鬼は返答に詰まった。


 答えがないわけではない。ただ、五歳にも満たぬ子どもが、あまりに本質的な問いを口にしたことに、不意を突かれた。


「――できない。神通術は、神頼み……神から借りる力だ。別の術者がその力を取り消すことはできない。打ち消すには、属性……種類が違う、もっと強い術をぶつけるしかない。例えば炎術なら、それよりも強い風や水を……とかな」


「……毒術と神通術って、全然違うものなの?」

「ああ」

「じゃあ、毒術って、何の神様の力なの?」

「……」


 立て続けに投げかけられる青の問いに、藍鬼は沈黙した。

 目の前の子どもの、非凡な頭の回転の速さに、驚かされる。


 つい先ほどまで初歩的な炎術に驚いていたはずの子どもが、術の根本的な違いを直感的に見抜いている。


 年齢にそぐわぬ聡さに、藍鬼の胸中で名もつかぬ感情が芽吹きかけていた。


 知識こそ浅いが、素直で物怖じしない。それこそが資質だった。

 そして森で妖獣と対峙したとき、青は敵の急所を見極め、投擲の才を垣間見せた。戦う者としても、伸び代がありそうだ。


 体系的な教育を受けさせれば、こいつはいずれ、化ける――


「……夜が明けたら、ここを出る」

 藍鬼は青の問いには答えず、手を止めた。傷の手当はもう済んでいる。


「凪の役場へ連れて行ってやる」

 藍鬼は立ち上がり、道具を手早く片付けると、棚の隙間へ押し込んだ。


「藍鬼さん?」

 質問しすぎて、怒らせてしまったのだろうか。

 青は当惑して、ただその動きを目で追った。


「そこを頼れば、国が、お前を保護してくれるだろう」

「ホゴ?」

「助けてくれるってことだ」


 国には、難民や孤児を支える仕組みがある。住む場所、仕事、生活の手助け、そして教育も。


 棚から離れた藍鬼は、再び青の前に膝をつき、目線を合わせた。


「青、学校へ行きたいか」

 ぽかんとした幼い顔へ、


「術や、戦い方を教えてくれる」

 と言葉を変えた。


「行きたい!」

 首が千切れんばかりに、青は大きく何度も頷いた。


「そうか」

 青の目には、鬼豹の仮面の目許が柔く微笑んだように見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ