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毒使い  作者: キタノユ
第五部

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ep. 71 奸計(2)

 血と泥に塗れた祐真ゆうしんは、せい秋彪しゅうひょうの姿を認めるなり全身を強張こわばらせた。反射的に構えた傷だらけの拳が、小刻みに震えている。


「祐真!」

「祐真君!」


 二人の呼びかけに、殺気立った獣のような瞳が徐々に和らぎ始めた。


「もしや……大師せんせいと……シユウ大師せんせい、ですか……?」

 焚き火の朱が照らす二人の「大師」の貌へ、交互に戸惑いの視線が行き来する。掠れた声は、枯れ木が擦れる音のように乾いていた。


「ああ」

 秋彪と青は頷き、武器を持たないてのひらを彼へと向けた。


「せん、せい……」

 祐真は安堵に膝を折れさせかけ、二人の背後、半壊した小屋の残骸へ視線をやる。


「あ……」

 絶望を覚悟していた少年の瞳が、恐る恐る、二人の大師へ戻った。


 秋彪がゆっくりと首を横に振った。

 祐真の喉から、ヒュッという空気が漏れる音がした。


「ぁあああ……っ!」

 少年はその場に崩れ落ちる。

 泥濘でいねいに膝をつき、両手で顔を覆ってうずくまる。

 指の隙間から嗚咽おえつあふれ出し、土に吸い込まれていく。


 青は駆け寄ろうとして、足を縫い止めた。

 秋彪も、動かない。


 今はただ、行き場のない慟哭どうこくが夜気に溶け行くのを、見守るしかなかった。


 やがて、嗚咽はしゃくりあげるような呼吸音へと変わり、震えは徐々に凪いでいった。

 青が差し出した白湯を含み、焚き火の熱で泥だらけの身体を温めると、祐真はぽつりぽつりと、語り始める。


 あの日、素材の不足に気づいた祐真は、一人で小屋を離れ、北東側の樹林へ向かった。

 途中、岩陰に角駿かくしゅんが二頭、繋がれているのが見えたという。


「その時は、特に気に留めませんでした。稀にですが、都の武官様たちが、この辺りへ狩りや早駆けの訓練に来ることがありますから」


 素材の補充を済ませ、小屋への帰路の途で――不穏な破壊音が響いてきた。


 急ぎ足で戻った祐真の視界に飛び込んできたのは、小屋の前で、連治が黒い影に斬り伏せられる瞬間だった。


「そこからは、頭が真っ白で……」

 背後で次々と上がる悲鳴に背を向け、森の奥へと無我夢中で駆けた。


『おい、一人足りないぞ!』

 野太い怒号が背中に突き刺さり、複数の足音が執拗しつように追いかけてきた。


 枝で顔を切り、泥に足を取られながら走り続け、やがて目の前が断崖で途切れた。

 深い谷底からは、死の匂いを含んだ風が吹き上げている。


 迫る気配。

 祐真は意を決し、虚空へと身を躍らせた。


「……そうか」

 秋彪の喉の奥から、絞り出すような安堵の声が漏れた。

 祐真の細い肩を強く掴み、体温を確かめるように頷く。


「よく、戻ってきた。あそこは瘴気が渦巻く底なしの谷のはずだ」

「イズナ姉師せんせいに教わったばかりの、風の術のおかげです」


 無我夢中で発動させた風術が体を僅かに浮遊させ、崖の岩場に二度、三度と激突しながらも、運良く中腹の岩の窪みに引っかかった。


『身を投げたか。こいつは助からんだろう』

『引き上げるぞ』


 頭上から、男たちの声が降ってきた。


 足音が遠ざかっても、窪みに身を潜め続けて夜を明かした。

 陽が昇ると共に動き出し、血のにじむ指で岩角を掴み、死にものぐるいで這い上がってきたのだ。


「繋がれていた角駿はいませんでした」

 祐真は一度言葉を切り、苦渋に満ちた顔で青と秋彪を見上げた。


「あの角駿の毛並みの色と、馬具……見覚えがあります」

「それは?」


 青が眉をひそめると、祐真は重く頷いた。


「あれは、曜琳ようりんのものと同じです。曜琳が森でケガをして、僕が手当をして……お迎えにいらした武官様たちとも……」

「!」


 息を呑む青の隣で、対照的に秋彪は眉一つ動かさなかった。


「あ……」

 祐真の顔が、青ざめる。


「曜琳が何かをしたと言いたいんじゃないんです! 曜琳はそんなこと――」

「分かっている。大丈夫だ」

 秋彪は静かに、諭すように頷いてみせた。


 祐真の強張っていた肩から、ふっと力が抜け、そのまま体が崩れ落ちる。


「祐真君……!」

 青が、失神した細い体を慌てて抱き留めた。


「奥の部屋へ」

 秋彪の指示に従い、青は屋根が残った奥の小部屋へと急ぐ。

 むしろの上に、疲れきった体をそっと横たえた。



 同じ頃。

 龍泉りゅうせん家の離れと本館をつなぐ中門のかんぬきが、重々しい音を立てて外された。


「お呼びでしょうか、お父様……」

 ようやく離れから出ることが叶った曜琳が通されたのは、父と兄たちが待つ書斎だった。

 正面に父が厳しい面持ちで座し、両脇を守るように、長兄と次兄が卓を囲んで左右に控えている。


 恐る恐る着席した曜琳の前、卓上に父は小さな桐箱を置いた。

「これが、何か分かるか」

 かけられた錦の紐と、箱に施された意匠を見て、曜琳は息を呑んだ。


「覚えがある、という顔だな」

 曜琳が押し黙ると、父は氷のように冷徹な声音で語り始めた。


「昨今、湖周辺で禍鬼まがきの目撃情報があってな。調査の結果、森の奥深くに禍鬼のねぐらを発見したのだ」

「ねぐら……」


 曜琳の頬は、乾いた顔料のように白く強張り、額にはじっとりと冷たい脂汗が滲む。

 そんな妹の様子を横目に、長兄が父の言葉を継ぐ。


「怪しげな毒や薬が多数、発見された」

 父の指先が、桐箱を叩く。


「湖のけがれを深刻化させ、あまつさえ、玄武の治世を揺るがさんとする反逆の証左に他ならない」

「そ、そんなこと――」


 曜琳の反論を遮って、父が再び口を開いた。


「この玉漿果ぎょくしょうかの箱も、その薄汚い塒から発見された。これは亀鏡宮より賜りし、玄武后様の恩寵おんちょうそのもの。それが何故、賊の隠れ家ごときで見つかったのであろうな」

「それは……」


 曜琳が言葉に詰まると、父の表情が一変した。

 卓が割れんばかりの勢いで拳を叩きつけ、椅子を蹴倒して立ち上がる。


「曜琳! お前には龍泉の血を引く者としての矜持きょうじがないのか! よりにもよって、国をむしばむ禍鬼ごときにたぶらかされおって!」

「お待ちください、お父様、兄さま……!」


 烈火のごとき怒号を浴びせる父と、冷徹なかおの長兄へ、曜琳は負けじと対峙する。


「あの方々は、大師たちは、そのような悪鬼ではありません!」

 曜琳は蒼白になりながらも、必死に声を張り上げた。


「大師、だと?」

 父の目元がピクリと痙攣けいれんし、眼光がいっそう鋭さを増す。


 曜琳は怯まずに続けた。


「あの方々は、清廉せいれんなる志をお持ちです。水や地の穢れをいかにして浄化するか、真摯に研究をなさっていました。霊《神》たちの力に頼るばかりでなく、人の手でできることを探さねばと!」


 兄たちの視線が痛いほど突き刺さるが、曜琳は止まらなかった。


「それに、身分の貴賤きせんに関わらず、誰もが適切な薬をもらえて、医術を受けられる世になるべきだと、村の子どもたちに薬草の知識を授けてくださっていたのです。私も、その考えに共感いたしました。穢れの仕組みや薬の作り方を学び、いつか薬師工房や治療院を作るのが、私の夢なのです!」


「ほう?」

 一気にまくし立てた曜琳に対し、父の激情は、波が引くように急速に冷えていった。


「そのような禍鬼の世迷言よまいごとそそのかされた結果」

 父は、娘の青い理想を切り捨て、低く問うた。


「無知で哀れな下賤げせんの童たちがどのような末路を辿ったか。分かるか、曜琳」

「え……」


 予想だにしなかった言葉に、曜琳は絶句した。


「どういう……こと……?」

 縋る視線を二人の兄へと送るが、長兄は無表情のまま首を横に振り、次兄は目を逸らし、俯くばかりだ。


「嘘……嘘、でしょう?」

 父は冷酷な宣告を下す。


「曜琳。これは、お前が龍泉家の人間として然るべき行動をしなかったことで招いたわざわいだ」

「……」

「力ある貴い血胤けついんに名を連ねるからには、相応の責任が伴う。お前ひとりが奔放な振る舞いをしたことで、多くの者が害を被るのだ。分かったであろう」


「私の、せいで……みんなが……?」

 曜琳の喉が、引きつった音を立てた。

 抑えきれない戦慄せんりつが細い肩を激しく揺さぶる。

 冷え切った指先が、刺繍ししゅうに彩られた衣を握りしめる。


 上等な絹に包まれたその身が、今はあまりに頼りなく、萎縮いしゅくしている。かちかちと奥歯が鳴る音が、静まり返った書斎に虚しく響いた。


「曜琳。お前の処遇は追って知らせる。それまで部屋で謹慎しておれ」

 言い捨てると、父は曜琳を素通りして部屋を出ていった。

 長兄も無言のままそれに従う。


「……」

 次兄だけが、扉の前で一度、足を止める。


 振り返り、項垂うなだれる妹の背中に何か言いたげな視線を向けたが、結局は口を開くことなく父と兄の後を追って姿を消した。


 扉の閉ざされる音が、棺のふたを打つ音のように冷たく響いた。

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