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優太は叫び声を上げながら飛び起きた。
縁起でもない夢を見た。心臓は痛いほど高鳴っている。優太は気持ちを落ち着かせるために深呼吸をし、そのまま自分の記憶を辿った。どうやら暁人から電話があったあと、スタジオに行かず寝てしまったらしい。
もしかすると、暁人からの電話すら夢かもしれない。優太は暁人から連絡があったか確かめようと携帯電話を探した。
そこで、周囲の様子がいつもと違うことに気が付く。
まず、着ている服が違った。パステルカラーの黄色いパジャマ。そして枕カバーとシーツはピンク。可愛らしい花柄の刺繍があしらわれていた。
「どこだ? ここ……」
服やベッドだけではない。ここは優太の全く知らない部屋だった。
優太はもう一度、着ている服を見る。すると、胸まで垂れている髪が目に留まった。
「は?」
そして、自分が発した声がやけに高いことにも気が付く。
「なんだ、これ?」
優太は部屋の隅にあった全身鏡を恐る恐る覗き込んだ。
「え?」
鏡は優太よりも一回り以上若いであろう少女の姿を映した。
「か、かわいい……」
優太は自分の発言に赤面する。頭を振ってもう一度状況を整理することにした。
車に轢かれたのは夢じゃなく現実だったのだろうか。しかしすぐに、それ以上に考えるべきは今の状況だと思い直す。
『…れ…、なん…わたし……』
状況を整理する足がかりとして、優太は卓上カレンダーを見た。
「え、一週間経ってる」
『わ、しゃべ…た……』
優太はあたりを見回した。さっきからなにか聞こえている気がする。
『ねぇ、聞こえてないのかな』
今度は確かに聞こえた。耳元、というより耳の内側から聞こえるような不思議な響きだった。優太はむず痒くなり、耳を塞ぐ。
『あ、聞こえてる?』
同じように声は聞こえた。どうやら本当に耳の内側から聞こえているらしい。
「き、聞こえてるけど」
優太は困惑しながらも答えた。自分が発する声と、聞こえてくる声はとても良く似ている。録音した自分の声を聞いたときのような感覚になった。
『よかったぁ。ねぇこれ、どういう状況?』
「それが、俺にも何がなんだか……」
『え、俺?』声は驚いた様子だった。
「え、そう。俺……」
優太はもう一度鏡を確認する。やはり、そこに優太の姿はなかった。
『あなた、一体誰なの?』
「誰って……」
それはこっちのセリフだ、と言いたくなる気持ちを抑えて、優太は自己紹介を始めた。
「俺は、一ノ瀬優太」
『ゆーた、ね』
「えっと、優しいに太いって書いて、優太」
少しの間を空けて、声はくすくすと笑いだした。
『そう。よろしく、優太』
優太はどうして笑われたのか気になったが、話の流れを優先することにした。
「えっと、君は?」
『凪咲奏恵。十七歳。高校二年生』
奏恵は優太よりもはるかに簡潔に自己紹介をした。
『奏でるに恵みで奏恵』
奏恵はにやけながら話しているような声色だった。優太は言い返されて初めて、漢字は伝える必要がない情報だったことに気が付く。
「よろしく、奏恵ちゃん」優太はその場で会釈した。
『よろしく』奏恵はたどたどしく挨拶する優太とは正反対に、短く言い切った。『とりあえず……そうね、状況を整理しましょうか』
「そうだね」
優太は何を優先して整理するべきかを考えながらベッドに腰掛ける。
『そもそも、優太は――』
「奏恵」
ドアの向こうから女性の声が聞こえた。
『あ、お母さん』奏恵がつぶやく。
「今日、千春ちゃんと約束してるんじゃないの?」
『え、あ……そうだ。今何時?』
優太はベッドの袖机においてあった携帯電話を見た。
『やば、こんな時間だったの?』
奏恵は焦った様子でつぶやき、ドアの向こうにいる奏恵の母親に語りかける。
『すぐ準備する! 朝ごはんは?』
しかし、返事はなかった。
「奏恵、寝てるの?」
部屋のドアが開く。優太は奏恵の母と目を合わせた。
「なんだ、起きてるじゃない」奏恵の母親は呆れた様子で言った。「ぼーっとしてないで早く支度しないと、遅刻するよ」
『うん。今やるよ』奏恵はゆっくりと聞こえるように返事をした。
しかし、それでも奏恵の母親はなにも言わずに立ったままだった。
「あんた、もしかしてまだ寝てるの?」
『いや、起きてるって!』奏恵は語気を強めた。『目も開いてるし!』
「……大丈夫? 気分でも悪いの?」
奏恵の母親の表情がみるみるうちに心配の色に変わっていく。
『あ。優太、返事。ちょっと返事してみて』
「え、あ……。うん」優太は訳もわからず相槌を打った。
「そうなの? 千春ちゃんに連絡した方がいいんじゃない? 熱は?」
奏恵の母親が部屋に入ってきた。そこで優太は奏恵に言われたことの意味を理解する。
「あ、いや、大丈夫です! えっと、ちょっと寝ぼけてたみたいで……」
奏恵の母親は、身振り手振りで必死に話す娘を見て笑った。
「なんで敬語? まだ寝ぼけてるんじゃない?」
「あ、そうかも。はは……」
「まぁ元気ならいいけど。朝ごはんもうできてるから」
そう言って、奏恵の母親は去っていった。階段を下りる音を聞きながら、優太は大きくため息をつく。遅れて、奏恵のため息も聞こえてきた。
『もう、しっかりしてよ』
「ごめん」
『まぁいいや。とりあえず先に支度しよ』
「え、支度って?」
『今日、絶対に外せない用事があるから』
「用事……?」
『あぁもう、どんくさいな! 早く準備して!』
優太は奏恵に命令されるまま、外に出る支度を始めた。




