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「あ、あの……ナギ……?」
優太は勢い良く顔を上げた。目の前には不安そうな、気まずそうな、複雑な表情をしている侑子が立っていた。
「い、石神さん……」優太は目の前にいる人物に驚くと同時に、自分の口元によだれが垂れていることに気付き、慌てて拭く。
「ふっ」それを見た侑子は吹き出す。「大丈夫?」
「うん。だ、大丈夫」
優太は辺りの様子を伺う。生徒が思い思いに話している雰囲気から察するに、気付かないうちに放課後になっているようだった。
昨晩、エナジードリンクを飲み干した優太は、結局メロディにハマる歌詞を思いつくことができず、苦し紛れにトラックの音量や音質を整えるミックス作業に没頭した。そのおかげで後はほんの少しの調整で済むところまで作業は進んだが、一番重要であるボーカルトラックは後回しになってしまった。
そして、夕方にエナジードリンクを飲んだせいで作業を終えても眠れず、授業の大半を睡眠時間に費やすハメになってしまった。
呆けている優太の意識を起こすかのように、侑子は話しかける。
「芦宮さん、委員会の用事があったらしいんだけど、ナギが起きないからってずっと席の周りウロウロしててさ」侑子は苦笑いをした。「それで、私が見ておくからって言って、だからその、話しかけたんだけど」
侑子のよそよそしい態度を不思議に思った優太だったが、徐々に頭が起きてきてその理由が分かった。
「あ、ありがとう。ごめんね、気使わせちゃって」
「ううん。いいよこれくらい」侑子は顔の前で片手を振った。「ナギ、なんか最近大変そうだけど」
「あ、そうだね。えっと……」
優太は奏恵の機嫌を損なわない上に、侑子からも不審がられない嘘を考える。しかし、そんな都合の良い嘘は簡単には出てこなかった。
「石神さん、あのさ……」優太はまっすぐ侑子を見据える。「私、一昨日のこと、謝らなきゃいけないなってずっと思ってて」
「あ、っと、それは、私も」侑子は突然触れられた話題に目を丸くした。「ごめんナギ、私、無神経だったよね。いろいろ」
「えっと、そこまでって訳じゃないけど」優太は上手なフォローが見つからずに苦笑いをする。肯定をすれば侑子を、否定をすれば奏恵の気を悪くする気がして、曖昧な返事に逃げる他なかった。
「その、私も結構強く当たっちゃって。今さ、自分の中で結構大事なことをしてて、気が立ってたというか、滅入ってたに近いかもしれないけど、そんな感じで……。大人気ないこと言っちゃって、本当にごめんなさい」
優太は自分が思っていたことを一気に言い上げた。頭を下げたあとに侑子の様子を確認する。侑子は嬉しそうな、申し訳無さそうな、どちらともつかない表情をしていた。
「それじゃあ今は、ナギにとって大事な時期なんだね」
「うん。明後日くらいまで……」
「え、そんな近いの?」侑子は口元に手を当てて驚いた。
「う、うん。だから結構焦っちゃってて」
優太は黒板の上にある時計を見た。
「石神さん」
「な、なに?」
「今週末……は多分倒れてるから、来週末、どこか遊びに行こうよ」
「え! 遊びに?」侑子は体をのけぞらせた。
「あいや、駄目ならいいんだけど……」
侑子が驚いたことで、優太は冷静さを取り戻す。仲直りをするためにはどこかでじっくりと話す機会を設けるべきだと思っていたが、いくつかのステップを飛ばしてしまったかもしれない。
「ううん。嬉しい」侑子は言葉通り、嬉しそうに頷いた。「じゃあまずは、そのやらなきゃいけないことをやってから、だね」
「確かに」
「私、ああ言っちゃったけど、本当にナギのことを羨ましく思ってて、頑張ってて、すごいなって思ってるから」
今度は侑子がまっすぐ優太を見据えた。優太は思わず目を逸しかけるが、気まずそうな表情をしつつもしっかりと目を合わせる侑子を見て、逸らすことはできなかった。
「うん。ありがとう」
優太はにこやかに答えた。
気がつくと、周りに残っている生徒も少なくなっていた。再び時間を確認し、優太は侑子に別れの挨拶をして早々に教室をでた。
『優太、だんだん受け答え上手くなってきたね』奏恵が茶化すように言った。
「本当に?」優太は急いで携帯電話を耳に当てた。
『うん。私より私らしいかも』
「なにそれ」
『別に』奏恵は笑った。『帰ったらまた作詞するの?』
「いや、石神さんと話しながらいい案が浮かんだから、もう歌えると思う」
『え、話しながら浮かぶもんなの?』
「制作してると、人と話しながらでも常に曲のこと考えたりするんだよ」
『えぇ、そういうもんなんだ』
「そういう時は大体話半分だから、話したこと覚えてないことも多いけど」
『もしかして、さっきの話も適当?』
優太は墓穴を掘ってしまったことに気付き、何も言えなかった。
『えー! 信じられない!』
「いや、半分じゃない、七割くらい? 石神さんとは今、結構気を使わなきゃだから、ちゃんと話したことも覚えてるよ」
『本当に? 遊ぶ約束しちゃったけど』
「そこは大丈夫!」優太は笑った。「バンドとかで意見食い違ったときとかもさ、一回居酒屋行って酒でも飲めば大体仲直りできるから」
今度は奏恵が何も言えなくなった。
「え、どうかした?」優太は立ち止まって尋ねる。
『いや、私達、高校生なんだけど』
優太は手を滑らせて落とした携帯電話を慌てて拾いあげた。




