2章 戦火の広がる地1
あの日決めた
絶対に思い通りにはならないと。
どんなに険しく、そして、非道な道であろうとも突き進むと。
――お母さん、これは何?
幼い指先が示したものを見て、母は笑う。
――これは火ね。危ないから触っちゃだめよ。
触ろうとする私の手を押さえ、母は注意した。
――なんで危ないの?
――熱くて熱くて怪我しちゃうからよ。お母さん、空に怪我してほしくないな。
優しい母の言葉も理解できる。
でも、でもね、お母さん。なんで危ないと思うの?
こんなに、こんなに綺麗なのに・・・
「う・・」
冷たい。ひんやりしたその感触に私の意識は覚醒した。
体が重い。床か何かに横たわっているらしい。
両腕に力を籠め、起き上がった。
「しょ・・何?ここ・・」
辺りは薄暗く、全体ははっきりとは見えない。
段々と暗さに目が慣れてきた。
「――教会?」
そこは聖堂のようであった。高さ何十メートルともわからない天井は不気味に広がっている。
薄暗い理由はすぐに判明した。窓の外には漆黒の闇が広がり、おそらく時刻が夜であることを物語っていた。にもかかわらず、聖堂を照らす明かりは数本のろうそくだけであったのだ。
無音。風の音すらかすかにしか聞こえない。静寂が支配する中、脳裏に先刻の出来事が浮かび上がってきた。
そうだ。私は天使みたいな女性に連れられてきたのだ。
「レビウス、とか言っていたような・・。私のこと?」
聞いたこともない。でも、何故か口に出すとその単語は実にしっくりとくる。
――この女も連れていって差し上げよう
「あ!!りの!」
確か、りのも一緒に連れてこられたはず。ここがどこの聖堂かはわからないが、りのを見つけないことには帰ることも出来やしない。
きょろきょろと辺りを見回しながら、手探りでさまよい、りのを探した。
かつかつと自分の足音だけが響き渡る。
聖堂の中央に来た辺りで、ここには自分以外いないのではと思った。
途端、急速に胸のあたりが冷え切っていった。
怖い。そう感じると同時に、振り返り、聖堂の中央の道の先にある大扉に向かって走り出した。
ふらつきながら大扉にたどり着くと、巨大な故に重い扉を力の限り押し開けた。
すると、扉の隙間から吐き気をさそう嫌な風が入ってきた。
「う!?・・・何、この風・・・」
思い切って外を見ると、薄暗い霧がかった世界が広がっていた。
薄く目を凝らし、周囲を見渡した。
「いったい・・・えっ!?」
それを見た瞬間、私は動けなくなった。
聖堂の入り口。石段の最後の段のところに何かが落ちていた。
ごろりと転がるそれからは赤い粘り気のある液体が流れ落ち、その中に白い何かが見え隠れする。
まぎれもない、人間の腕だった。
肘から先、千切れている。
「キャァァァァ!!!!」
驚き、思わず尻餅をつく。
手を着いた先、ねちょ、という音と共に何かに触れた。恐る恐る見る。
「イヤァァ!!」
(く、首!?人の?)
うつろな目をし、恐怖に顔をゆがめた首だけがそこにはあった。
急いで入口の方に後ずさった。
扉に縋りながら聖堂前を改めて見た。
「これ・・・は・・・?」
そこはまるで地獄だった。
そこら中に人間と思しき死体の山が形成されていた。腹が切り裂かれているものから、四肢がバラバラなものまであり、醜悪な匂いを発している。嫌な風の正体はこれだったのだと思い知った。
理解すると同時に、私は急いで聖堂の中へと引き換えした。
大きく音をたて扉は外の世界をと中とを隔てた。
「はぁはぁ・・・何よ、これ。どうして、死体が・・・?」
「それはレビウス、そなたが一番理解しているはずだ」
突然の声に体を震わせた。
ゆっくりと声のしたオルガン付近を見ると、そこにはあの女がいた。
じっと私を見据えるその瞳は、氷のように冷ややかだった。
「どういう意味?・・・そもそも、貴女はいったい誰なの?私をどこに連れて来たというの?」
私は今まで聞きたくて堪らなかったことを一気に問いかけた。
オルガンに寄り掛かり、微動だにしなかった女が、ここでようやく何かを悟ったかのように目を大きく見開いた。
「そうか・・・記憶がないのか」
「え?」
「いや、何でもない。」
首を振り、女は呟きを打ち消した。そして姿勢を正し、私と1mほどの間隔まで近寄り、ゆっくりと跪いた。
「我が名はスノウ。久しくお目にかかります、風と炎を司しアノンの王よ。ここは御身が治めしアノンの南部都市エルドランでございます。本来ならば正式な儀式の元、貴女様をこの世にお連れすべきところをこのような形となり、誠に申し訳ございませんでした。」
スノウは淡々と、しかし私の目をしっかりと見つめて述べた。
何だって?アノン?儀式?何を言っているんだこの人は。
混乱した頭では、何が何だか理解できず、ただただ呆然とするしかなかった。
「・・・私は、学校にいたはず・・・・」
「確かにいらっしゃいました。しかし、私がこちらに貴女を連れて参りました。5つの国が守りしこの世界に。」
「5つの国・・・?」
スノウは小さく頷いた。
「この世界には5つの国が存在します。植物と大地を司るエーバス、空と水を司るルルベン、雷と音を司るオーガス、星と魔術を司るマラス。そして、ここアノンです。この世界はこの5つの国によってバランスを保っているのです。」
スノウは跪いたまま、答える。
「え、ちょっ・・ちょっと待って。ここが異世界だというの!?」
そんなこと信じられるわけもない。これは夢だ。夢に決まっている。
しかし、スノウはそんな私の希望すらあっさりと否定した。
「その通りです。貴女様がお育ちになった世界は【青海人の世界】。こことは違います。しかし、貴女様の魂はこの世でお生まれになりました。」
【青海】。どうやらそれが私達の住む世界をさすらしい。青き海の星だから、なのか?いやいや名前の由来などこの際どうでもよいことだ。
額に手をやり、一度肺の中の空気を深く吐いた。落ち着け、慌てたこところで状況はおそらくなんら変わらないだろう。
ふと、先ほど見た凄惨な光景が頭に浮かんだ。途端に吐き気が戻ってきたが、生唾の飲み下すことで無理やりに抑えた。あれが自分の世界の出来事だと言われたら・・・NOだ。即答できる。戦争が続いているにしてもあそこまでの戦闘が報道されないわけがない。まだ時代を渡ったと説明された方が納得出来たというものを。思わずはっと乾いた笑いを漏らした。タイムトラベルすら信じられないというのに、異世界を信じろというのは酷な話だった。
あれこれ思考を巡らす私を前に、スノウは溜息をつき立ち上がった。
「記憶のない状態の貴女が、全てを受け入れるのは急には不可能であろう。」
スノウの背に生える美しい翼が大きく広がる。
「時間をかけ、思い出して下さいませ。女王レビウス様」
翼をはためかせると、同時に強い風が巻き起こった。とっさに風から顔をかばい、やがて収まってきてから前方を確認すると、そこにはもう誰の姿もなかった。
聖堂内は相も変わらず、しんとしている。
スノウの気配など微塵も残っていなかった。そのことに少し安堵し、私は聖堂に設置されている長椅子に腰かけた。
いったいなんだったというのか。外を確かめようにも、あの状態の中を1人で行くのは躊躇われた。仕方なく聖堂内を観察した。作りはどちらかというと欧州のゴシック様式に似ていた。しかし、石柱や壁に掘られている紋様には一切の見覚えはなかった。それが一段と、ここが別世界であることを表しているようで怖かった。
さらに視線を巡らすと、中央の祭壇に目が留まった。そこには勿論、イエス・キリストは飾られていなかった。代わりに飾られていたのは、1人の女性の石像だった。一枚の布を体に巻きつけただけの質素なドレスをはためかせ、両の手を天に向かって大きく翳している。長い少しカールした髪は風にあおられたように広がり、顔は少し上向きだった。しかしその中でも印象的だったのは、その表情だった。小さめの美しい顔立ち、しかしその瞳は薄く細められどこか決然としていた。笑えば美少女であろうと想像がつくだけに、その表情は違和感があった。まるで・・・・
ギィィィ・・・
突然の扉の開閉音に、私は驚き文字通り飛び上がった。
慌ててそちらの方を見た。




