9話 決着
「ザイードさん!別働隊です!崖の上を十騎が、村へ向かっています!」
リシェラの叫びが谷へ響く。
ザイードは即座に状況を理解した。
「第四隊!俺について来い!残りは谷を死守しろ!」
「応!」
十五人ほどの敗残兵が駆け出し、ガラムは口元を歪めた。
「ようやく引っ掛かったか」
別働隊は囮だった。
ザイードが兵を割けば、その分だけ正面は薄くなる。
そこを一気に押し潰す。それが本命だった。
「全軍、突撃!」
黒狼隊が鬨の声を上げる。
だが——。
「神様!」
リシェラが叫ぶ。直人は戦場全体を見下ろしていた。
谷、森、崖、村。全てが頭の中へ一枚の地図のように浮かび上がる。
(⋯⋯見える)
崖を登る別働隊。
谷底へ雪崩れ込もうとする本隊。
森の中を隠れて進む弓兵。
全てが見えていた。
その瞬間、不思議な感覚が胸をよぎる。
これから大勢の人が死ぬ。
ほんの数日前まで日本で暮らしていた自分なら、その事実だけで足がすくみ、吐き気を覚えていたはずだ。
それなのに。
(⋯⋯冷静すぎる)
敵も味方も、盤上の駒の配置を見るように把握できてしまう。
人が死ぬことを望んでいるわけではない。
だが恐怖も嫌悪も、どこか膜を一枚隔てたように遠かった。
(俺⋯⋯どうしたんだ)
一瞬だけ戸惑う。だが、答えは出ない。
ただ一つだけ分かることがあった。
迷っている時間はない。
神である自分が止まれば、この村の人たちが死ぬ。
「リシェラ!」
「はい!」
「別働隊は囮だ!本命は正面!ザイードさんへ伝えてくれ!」
リシェラは息を吸い込み、谷へ叫んだ。
「神託です!別働隊は囮!本隊が一斉に押し寄せます!」
ザイードは振り返らない。
「第四隊、そのまま行け!残りは岩場まで後退!」
兵士たちが一斉に動く。
黒狼隊は勝利を確信して追撃した。
「逃げたぞ!」
「押し潰せ!」
しかし。
「止まれ!」
ザイードの号令と同時に、敗残兵たちは左右へ散開した。
次の瞬間。
谷の上から巨大な岩が転がり落ちる。
「なっ!?」
黒狼隊が顔色を変えた。
狭い谷。逃げ場はない。
岩は馬ごと兵士を飲み込み、隊列を真っ二つに引き裂いた。
「ぐあああ!」
「隊長!」
「まだだ!」
直人はさらに戦場を見続ける。
「右の森!」
リシェラが叫ぶ。
「右の森から弓兵二十!」
「盾!」
村の兵たちは一斉に盾を構える。
矢が降り注ぐが、被害は最小限だった。
「今です!」
リシェラの神託が飛ぶ。
「左斜面!」
そこへ待機していた敗残兵たちが一斉に突撃した。
「うおおお!」
弓兵たちは接近戦へ持ち込まれ、次々と倒されていく。
黒狼隊は完全に混乱していた。
「何故だ!何故全部読まれる!」
ガラムが怒鳴る。
その時だった。
「隊長!」
副官が青ざめた顔で叫ぶ。
「別働隊が!」
「何だ!」
「全滅しました!」
「⋯⋯は?」
崖を迂回した十騎。
彼らはザイード率いる第四隊に待ち伏せされ、一人残らず討ち取られていた。
ザイードがゆっくりと谷へ戻って来る。
血で染まった剣を携えながら。
「待たせたな」
その姿を見た敗残兵たちの士気が一気に爆発した。
「隊長が帰って来た!」
「勝てる!」
「神様が見ていてくださる!」
対する黒狼隊は完全に動揺していた。
「隊長⋯⋯」
「俺たち⋯⋯」
「相手は本当に神なのか⋯⋯?」
ガラムは奥歯を噛み締める。
「馬鹿を言うな!」
叫ぶ。
「神などいるものか!」
そう叫びながら、自分でもその言葉を信じられなかった。
こちらの伏兵、別働隊、弓兵。それら全てが読まれている。
人間業ではない。まさに神業。
そして、あの廃神殿から何かが見ている錯覚が消えない。ガラムは、自分が恐ろしい何かを呼び覚ましてしまったのでは無いかと、心の底から恐怖に震えた。
「あああああ!クソクソクソクソ!!」
ガラムは頭を掻き毟り、そのままザイードに剣を構える。
「イルヴァナトの敗残兵風情が!!ぶっ殺してやる!!」
「望むところだ。祖国の恨み、晴らしてやる!」
二人が激突する。
鋼と鋼が激しい火花を散らした。
ガラムも強い。
帝国最悪と名高い黒狼隊の小隊を率いる男だけの実力はある。
だが。ザイードは一歩も退かなかった。
かつて守れなかった人々。
救えなかった故郷。そして、今度こそ守ると誓った村。
全てを背負った剣だった。
「終わりだ!」
ガラムが大上段から振り下ろす。
その瞬間。
「ザイードさん!」
リシェラが叫ぶ。
「左足です!」
ガラムの左足。
先ほど岩を避けた際に捻った傷。
直人には、その僅かな違和感まで見えていた。
ザイードは迷わない。
一歩踏み込み——横薙ぎ。
ガラムの体勢が崩れる。
「しまっ——」
最後まで言わせなかった。
一閃。
ガラムの剣が宙を舞う。
続く二撃目で鎧ごと斬り裂かれ、ガラムは膝をついた。
「⋯⋯神、だと」
それが最期の言葉だった。
隊長が倒れた。その瞬間。
「逃げろ!」
「無理だ!」
「化け物だ!」
黒狼隊は総崩れとなる。
敗残兵たちは追撃する。
しかしザイードは剣を掲げて叫んだ。
「深追いするな!」
全員が止まる。
「逃げる者まで追う必要はない!村へ戻るぞ!」
「応!」
勝鬨が谷へ響いた。
神殿では直人が静かに戦場を見つめていた。
勝った。
大勢が生き残った。
それなのに、自分の心は驚くほど静かだった。
(敵が死んだ⋯⋯。なのに、俺は思ったより何も感じていない)
もちろん嬉しいわけではない。
命が失われることを軽いとも思わない。
だが、日本にいた頃の自分なら、この光景は何日も夢に見るほど衝撃だったはずだ。
今は違う。
悲しみも嫌悪もある。
けれど、それ以上に「守れた」という安堵が勝っている。
(神になった影響⋯⋯なのか)
答えは分からない。
ただ、この世界で生きる以上、その変化も受け入れていくしかないのだろう。
谷には歓声が響いていた。
「勝った!」
「黒狼隊に——帝国軍に勝ったぞ!」
「神様だ!」
「神託のおかげだ!」
その声が重なるたび、温かな光が直人の中へ流れ込む。
今までとは比べ物にならないほど大きな光だった。
一方、その戦いを遠くから見ていた一人の帝国斥候は、震える手で馬を走らせていた。
「急げ⋯⋯!」
彼は帝国領へ戻ると、上官へ息を切らせながら報告する。
「黒狼隊第三十八番小隊⋯⋯壊滅!」
「何?」
「敗因は⋯⋯分かりません。ただ一つだけ⋯⋯」
斥候は唾を飲み込む。
「敵には⋯⋯神がおります!」
その報告は、やがて帝国中へ広まっていく。
辺境にある、王国イルヴァナトから奪った名もなき村。
そこには戦場の全てを見通す神がいる。
そんな噂が、静かに生まれ始めていた。
評価、ブックマーク、感想など励みになります。
モチベーションになりますので、よろしくお願いします。
また、作者Xにて更新通知を行っております。
新作の通知なども行いますので、ぜひフォローお願いします。
@MokaSufure




