10話 神の加護
黒狼隊第三十八番小隊を退けた日の夕方。
村は、これまでにない熱気に包まれていた。
「勝ったぞ!」
「黒狼隊を追い返したんだ!」
「俺たちが⋯⋯勝った!」
ザイードたちが帰ってくる。
傷だらけだった。鎧は泥と血で汚れ、何人もの兵士が仲間に肩を貸されている。
それでも誰一人、俯いてはいなかった。
村の入口では、家族や住民たちが彼らを迎えていた。
「父ちゃん!」
幼い少年が兵士の一人へ飛びつく。
「おっと⋯⋯!痛えって!」
そう言いながら、男は笑っていた。
泣きながら夫へ抱きつく女。
帰ってきた息子の顔を何度も撫でる老人。
直人は神殿から、その光景を静かに眺めていた。
(⋯⋯良かった)
戦場に残された死者を見た時とは違う。
生きて帰ってきた者たちを見ると、はっきりと嬉しい。
胸が温かくなる。
やはり、自分の中から感情そのものが失われたわけではないらしい。
少しだけ安心した。
そんな事を思っていると、村のあちこちから淡い光が浮かび上がる。
(⋯⋯まただ)
光は一つや二つではない。十、百⋯⋯それ以上。これまでとは比較にならない数だった。
勝利を喜ぶ者。
家族が帰ってきたことに感謝する者。
神殿へ向かって手を合わせる者。
その全てから生まれた光が、直人へ流れ込んでくる。
「うわっ⋯⋯!」
思わず声が漏れた。
世界が一瞬、白く染まる。無いはずの目を開けると(目を開ける感覚が一番近い)今までより遥か遠くまで、自分の意識が一気に広がった。
(神力が⋯⋯増えてる)
しかも、それだけではない。
自分の中に、今までなかった何かがある。
使い方を教えられたわけでもない。
それなのに、本能的に理解できた。
(一人だけ⋯⋯人間へ力を与えられる?)
加護。
そんな言葉が自然と浮かんだ。
人間一人へ、自分の神力の一部を分け与える。
どんな力になるかは、与える相手と自分の願いによって変わるらしい。
「神様?」
騒ぎすぎたのか、リシェラが語りかけてくる。
「どうされました?」
「新しいことができるようになったみたいだ」
「新しいこと⋯⋯?」
「たぶん、一人だけに加護を与えられる」
リシェラの瞳が大きくなる。
「神様の加護⋯⋯!」
声が少し大きかったらしい。
近くにいた村人が聞きつけた。
そして噂が広がるまで、それほど時間は掛からなかった。
「神様が加護を授けられるらしい!」
「誰に!?」
「そんなのザイードさんしかいないだろ!」
いつの間にか神殿の前へ大勢の村人が集まっていた。
「ザイードさんならもっと強くなれる!」
「黒狼隊を倒した英雄だ!」
「神様、どうかザイードさんへ!」
直人は少し困った。
(まあ⋯⋯そうなるよな)
今回、一番活躍したのは間違いなくザイードだ。
自分が敵の位置を見つけても、それだけでは勝てなかった。
的確に兵を動かし、自ら剣を振るい、最後にはガラムを倒した。
戦力という意味では、ザイードへ加護を与えるのが最も合理的なのだろう。
やがて本人も神殿へ戻ってきた。
右腕には包帯。額にも小さな傷がある。
「ザイードさん」
リシェラが事情を説明すると、ザイードはすぐに首を横へ振った。
「俺には必要ない」
村人たちが驚く。
「しかしザイードさん!」
「次も黒狼隊が来るかもしれない!」
「強くなった方が!」
「もっと必要な奴がいる」
ザイードはそれだけ言った。
直人は思わず笑う。
(君ならそう言うと思ったよ)
その時、視界の端に一人の少女が映った。
村の外れ。
負傷兵たちを集めた簡素な治療所。
十五歳ほどだろうか。
服の袖をまくり、血で汚れた布を何度も洗っている。
戦いが終わってからずっと、怪我人の治療を続けていた少女だった。
一人の兵士の傷口へ新しい布を巻く。
「痛みますか?」
「大丈夫だ」
「嘘です。顔が引きつっています」
「はは⋯⋯厳しいな」
「我慢しないでください」
少女自身も疲れていた。
手は震えている。それでも休もうとしない。
別の負傷者へ駆け寄り、水を飲ませる。
直人はしばらく、その姿を見つめた。
「リシェラ」
「はい」
「あの子は?」
リシェラも少女へ目を向ける。
「あの子ですか?村の薬師のお手伝いをしている子で——エレナという子です。今回も、皆さんが戦っている間からずっと治療の準備をしていました」
「そうか」
直人は決めた。
「加護は、あの子へ与える」
「え?加護を、エレナにですか?」
リシェラが驚く。
リシェラの復唱した発言に、神殿の前にいた人々もざわめいた。
「ザイードさんではないのですか?」
「うん」
直人は静かに答える。
「ザイードさんは十分強い」
もちろん、さらに強くする意味はある。しかし——。
「今回、戦った人たちだけが村を守ったわけじゃないと思う」
リシェラは黙って聞いている。
「怪我をした人を治す人がいた。水を運んだ人がいた。帰る場所を守っていた人たちがいた」
直人は治療所を見る。
「だから俺は、傷ついた人を一人でも多く助けられる力を渡したい」
リシェラの顔が柔らかく綻んだ。
「分かりました」
彼女は治療所へ向かう。
エレナは突然呼ばれ、訳も分からないまま神殿の前へ連れてこられた。
「わ、私ですか?」
緊張しているのか、何度も周囲を見る。
リシェラが優しく頷いた。
「神様が、あなたへ加護を授けたいと仰っています」
「私に⋯⋯?」
少女は信じられないという顔をした。
「でも、私⋯⋯何もしてません」
その言葉を聞いて、直人は即座に否定した。
「そんなことないよ」
もちろんエレナには聞こえない。
リシェラが代わりに伝える。
「神様は『そんなことはない』と仰っています」
少女の目から涙が零れた。直人は意識を集中する。
(この子が、一人でも多くの人を助けられますように)
その願いと同時に。
金色の光が神殿から少女へ降り注いだ。
「⋯⋯!」
少女の身体を淡い光が包む。
周囲からどよめきが起きる。
「神様の光だ⋯⋯」
「本当に加護を⋯⋯」
やがて光が消える。
少女は自分の両手を見つめていた。
「何か⋯⋯温かい」
そこへ負傷した兵士が運ばれてくる。
傷口から血が滲んでいた。
少女が反射的に手を添える。
すると、淡い金色の光が傷口を包んだ。
「え⋯⋯?」
出血が止まる。
深かった傷が、僅かではあるが目に見えて塞がっていく。
「治った⋯⋯?」
「神の加護だ!」
村人たちから歓声が上がった。
だが直人は、派手な奇跡そのものよりも、泣きながら喜ぶ少女と、助かった兵士を見ていた。
「神様」
リシェラが祭壇を見上げる。
「どうして、あの子だったんですか?」
直人は少し考えた。
そして答える。
「勝つことも大切だと思う」
「はい」
「でも、勝つために人がいるわけじゃない」
村で笑っている人々を見る。
「人が生きるために、戦うんだと思う」
リシェラは静かに微笑んだ。
その言葉は神託として、やがて村人たちへ伝わっていく。
そして誰かが呟いた。
「⋯⋯この神様は、戦の神じゃない」
別の者が頷く。
「俺たちを勝たせる神様じゃなくて⋯⋯」
「俺たちを守ってくださる神様なんだ」
その瞬間、また無数の光が直人へ向かって昇ってきた。
信仰。
今度は勝利への感謝だけではない。
この神を信じたい。
この神なら自分たちを守ってくれる。
そんな人々の想いだった。
直人は静かにその光を受け止める。
(守る神、か)
悪くない。いや————。
(俺は、そういう神様になりたいな)
滅びかけていた小さな村に。
初めて、人々が心から信じる神が生まれた。
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