7話 黒狼隊
ザイードの名誉が回復してから数日後。
村には、ようやく穏やかな空気が流れ始めていた。
泉からは絶えず水が湧き、難民たちも畑仕事や家屋の修繕を手伝うようになっている。
子どもたちの笑い声も少しずつ戻ってきた。
そんなある日の朝だった。
「⋯⋯?」
神殿から村を見下ろしていた直人は、小さく眉をひそめた。
視界の端、森の向こうで何かが動いている。
神力——と呼んでいる謎パワー——を集中させる。
すると、以前より遥か遠くまで景色が鮮明に映し出された。
「これは⋯⋯」
黒い軍旗。百騎近い騎兵。
その先頭には、大きな黒狼の紋章が描かれている。
兵士たちは行軍というより、獲物を探す獣のように周囲を見回していた。
村を避ける気配はない。一直線にこちらへ向かってきている。
直人の背筋に嫌なものが走った。
「リシェラ!」
神殿を掃除していたリシェラが顔を上げる。
「はい、神様」
「急いでザイードを呼んで」
その声には、今までにない緊張が滲んでいた。
◆
ほどなくしてザイードが神殿へ駆け込んできた。
「神様、何がありました」
リシェラを通して直人は告げる。
「森の向こうから騎兵隊が来る」
ザイードの表情が変わる。
「数は?」
「百くらいかな」
その場にいた兵士たちが息を呑んだ。
「百⋯⋯」
「こっちは六十人ちょっとしかいないぞ」
直人は続ける。
「旗に黒狼の紋章が描かれてる」
その瞬間だった。
ザイードの顔色が変わる。
「黒狼隊⋯⋯!」
その名を聞いただけで、兵士たちの表情から血の気が引いた。
「まさか⋯⋯」
「本当に黒狼隊なのか」
一人の兵士が震える声で呟く。
リシェラが不安そうに尋ねた。
「知っている方々なんですか?」
答えたのはザイードだった。
「あいつらは帝国軍の中でも異例中の異例————。略奪専門の部隊だ」
神殿の空気が重くなる。
「村を襲い、食料を奪う。逆らえば殺す。女も子どもも関係ない。逆らわなくとも、男は殺し、女は犯し、子どもは売り飛ばす。帝国軍でも飛び抜けて強い彼らには、超法規的な略奪の権限が与えられている」
静かな口調だった。
だからこそ、その言葉の重みが伝わってくる。
「大陸最強の帝国軍の中でも——最悪と言っていいだろう。まぁ百人なら、黒狼隊のほんの一部の小隊だろうがな」
直人は森の先を見続けた。
黒狼隊はまだ距離がある。
だが進路は変わらない。
完全にこの村を目指している。
(徴収じゃない。狩りに来てる)
そう理解した瞬間だった。
「逃げますか」
兵士の一人が尋ねる。
ザイードは首を横へ振る。
「無理だ。老人も子どももいる。歩いて逃げても追いつかれる」
誰も反論できなかった。
リシェラは神殿の祭壇を見つめる。
「神様⋯⋯」
直人は考える。
自分は周囲を俯瞰し、敵も見える。だが、それだけだ。
まだ奇跡で敵を倒せる力はない。
(俺一人じゃ勝てない)
その時、前世の記憶がふと蘇る。あらゆる情報を整理し、人を動かしてきた日々。それらは決して戦争のための経験では無いが——。
(そうだ。俺が戦えなくても、俺には情報を集める力がある。そして、情報は武器になるはずだ)
直人は意識をさらに広げた。
村。その奥の森。そこに流れる川や谷。
その全てを見渡す。
そして。
一か所で視線が止まった。
「⋯⋯あった」
「神様?」
直人は静かに言う。
「村へ来るまでに、細い谷がある」
ザイードが地図を思い浮かべるように目を閉じた。
「ある。両側が崖になってる場所だ。そこでしか通れない」
直人は確信した。
「そこなら数の差を消せる」
ザイードは目を見開く。兵士たちも顔を上げた。六十人で百人を迎え撃つのは、本来なら無謀だ。
だが、戦う場所を選べるなら話は変わる。
ザイードはゆっくりと笑った。
ここ数日で初めて見る、戦士らしい笑みだった。
「なるほど。神様は戦場まで見えているのか」
リシェラが神託を伝える。
「神様は、谷へ誘い込めと仰っています」
兵士たちが顔を見合わせる。
そして一人が口を開いた。
「やれるかもしれない」
「いや⋯⋯やるしかない」
ザイードは静かに剣の柄へ手を置いた。
「全員、整列!」
兵士たちが一斉に姿勢を正す。敗戦の責任を背負わされた敗残兵たち。
だが今は違う。彼らの目には、再び戦う意思が宿っていた。
ザイードは全員を見渡す。
「俺たちは村を守る。神様が道を示してくださった。あとは俺たちの仕事だ」
六十四人の兵士が、一斉に拳を胸へ当てた。
「応!」
その声は、敗者のものではなかった。
直人は静かにその光景を見つめる。
(人は、情報だけじゃ動かない。信じられる誰かがいて、初めて動ける)
神は道を示す。歩くのは人間だ。
その信念を胸に、直人は迫り来る黒狼隊を見据えた。
この世界で初めての、本当の戦いが始まろうとしていた。
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