6話 臆病者の騎士
難民を受け入れて三日が過ぎた。
泉が湧いたことで水不足は解消され、子どもたちの表情にも少しずつ笑顔が戻り始めている。
だが、人が増えたことで新たな火種も生まれていた。
「いたぞ!」
村の入口から怒鳴り声が響く。
薪を運んでいたザイードへ、一人の男が駆け寄った。
「お前⋯⋯ザイード・ベルクだな!」
ザイードは静かに振り返る。
「そうだ」
「やっぱりお前か!」
男は拳を震わせながら叫んだ。
「王都を捨てて逃げた臆病者が!」
その言葉に、周囲の空気が凍り付く。
難民たちも村人たちも、一斉にザイードへ視線を向けた。
「臆病者⋯⋯?」
「聞いたことがあるぞ」
「軍令を破って逃げた騎士だって⋯⋯」
囁きが広がっていく。
ザイードは何も言わなかった。
反論もしない。
ただ黙って男の言葉を受け止めている。
神殿からその様子を見ていた直人は、小さく眉をひそめた。
(どういうことだ)
ザイードはこの数日、誰よりも働いていた。
食料を運び、井戸を掘り、夜は見張りに立つ。
そんな男が、民を見捨てて逃げるだろうか。
どうにも話が噛み合わない。
「神様⋯⋯」
神殿へ駆け込んできたリシェラが、不安そうに声を掛ける。
「村が⋯⋯」
「見えてるよ」
直人は静かに答えた。
「でも、俺にも真実は分からない」
ザイード本人へ聞けばいい。
そう思ったが、それでは意味がない。
本人はきっと何も言わない。そんな気がした。
直人の胸へ、微かな熱が灯る。
信仰によって得た神力が、勝手に広がっていく。
視界が揺れた。
「⋯⋯え?」
景色が変わった。
燃え盛る炎。崩れ落ちる城壁。逃げ惑う人々。
そこは、この村ではなかった。ただ、そこは間違いなく戦場だった。
無数の兵士が戦い、悲鳴が響く。
そして一人の将校が怒鳴った。
『第三隊は退却せよ!』
その命令を受けた男がいた。——ザイードだった。
『待ってください! まだ民間人が取り残されています!』
『構うな!囮だ!』
その一言に、直人は息を呑む。
囮————。取り残された住民は、退却時間を稼ぐための捨て石だった。
『命令だ!』
ザイードは歯を食いしばる。そして——。
『⋯⋯申し訳ありません』
馬首を返した。
直人は思わず目を見開く。
(逃げた⋯⋯?)
違った。
向かった先は城門ではない。
炎に包まれた住宅街だった。
『子どもを先に!』
『老人もだ!』
『急げ!』
ザイードは次々と住民を救い出していく。
その背中を追うように、多くの兵士が続いた。
『隊長一人には行かせるか!』
『命令違反なら全員だ!』
『民を見捨てるくらいなら軍法会議でも何でも受けてやる!』
一人、また一人。
結局、六十四人もの兵士がザイードへ続いた。
そのせいで本隊は戦力不足となり、敗走。
責任は全てザイードへ押し付けられた。
そこで映像は途切れた。
「⋯⋯そういうことか」
直人は静かに呟いた。
ザイードは逃げたのではない。それどころか、直人の目には英雄として映っていた。
最後まで民を守った。
その代償として、戦犯にされたのだ。
「リシェラ」
「はい」
「みんなを集めて」
数分後。村人も難民も、神殿の前へ集まっていた。
リシェラは深呼吸し、神託を伝える。
「神様は仰っています」
皆が息を呑む。
「ザイードさんは逃げたのではありません」
ざわめきが起きる。
「民を見捨てろという命令へ逆らい、最後まで救い続けたそうです」
「そんな馬鹿な!」
先ほど叫んでいた男が声を荒げる。
「証拠はあるのか!」
その時だった。
「ある」
低い声が響く。
一人の兵士が前へ出た。
「俺も、あの日一緒に命令違反した」
続いてもう一人。
「俺もだ」
「俺も」
「俺も同じだ!」
次々と兵士が歩み出る。
六十四人の仲間たちは、誰一人として迷わなかった。
「隊長は逃げてなんかいない!」
「俺たちは見た」
「子どもを背負って走ってた!」
「燃える家へ何度も戻った。だから今、生きてる奴がいる」
難民たちは言葉を失う。
最初に叫んだ男が、ゆっくりと拳を下ろした。
「⋯⋯そうだったのか」
ザイードは困ったように頭を掻く。
「終わった話だ」
「終わってません!」
珍しくリシェラが強い声を出した。
「助けられた人がいるなら、その事実まで消えてはいけません」
静まり返る広場。
やがて一人の老人がザイードへ歩み寄る。
そして深く頭を下げた。
「疑ってすまなかった」
その姿を見て、難民たちも次々と頭を下げていく。
「悪かった」
「許してくれ」
「本当にすまない」
ザイードは照れくさそうに息を吐いた。
「⋯⋯頭を上げてくれ。助かった命があるなら、それで十分だ」
直人は、その光景を静かに見つめていた。
(こういう人が報われる場所を作りたい)
前世で叶えられなかった願い。
それを、この世界では絶対に諦めたくなかった。
その瞬間、また一筋の温かな光が直人の胸へ流れ込む。
今までで一番大きな光だった。
それは、奇跡を起こしたからではない。
一人の人間の真実を、多くの人が信じたからだった。
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