5話 難民
帝国軍が去った翌日。
神殿の高台から村を見渡していた直人は、視界の端に昨日見た集団を見つけた。
神力を得てから広がった視界は、村だけではなく周囲の森や街道まで見渡せるようになっていた。
街道脇を、百人近い人々がゆっくりと歩いている。
老人が杖を突き、母親が幼子を抱え、痩せ細った子どもが大人の服を掴んで歩いていた。
兵士の姿はほとんどない。
いや、兵士だった者たちなのだろう。鎧は傷だらけで、剣を持つ腕にも力がない。
誰が見ても、逃げ延びてきた難民だった。
「リシェラ」
「はい、神様」
「街道を見てほしい」
リシェラが神殿の外へ出る。
遠くを見つめた彼女の表情が凍りついた。
「⋯⋯そんな」
「難民だ。このままなら今日中にここへ着く」
リシェラは小さく息を呑む。
「助けないと⋯⋯」
その言葉を聞き、直人は静かに問い掛けた。
「君は助けたいんだね」
「もちろんです」
返事に迷いはなかった。
「ですが⋯⋯」
リシェラは村を見下ろす。
「今の私たちにも余裕はありません」
昨日、地下の備蓄は守れた。
それでも帝国軍に奪われた食料は多い。
村人たちですら、冬を越えられる保証はない。
「このまま受け入れれば、みんなが飢えてしまいます⋯⋯」
直人も同じ結論だった。
助けたい。
しかし理想だけでは人は救えない。
それは前世で嫌というほど思い知らされた。
「まずは村のみんなと話そう」
「⋯⋯はい」
◆
昼過ぎ。
広場へ村人たちが集められた。
街道の先では難民たちが力尽きるように座り込んでいる。
その姿は、この村の人々と何も変わらなかった。
長老が重い口を開く。
「受け入れは無理じゃ。食わせる物がない」
「追い返せば死ぬぞ」
若い男が言い返す。
「だからって、こっちも死ぬわけにはいかねぇ!」
「子どもを飢えさせるのか!」
「じゃあ、お前が責任を取れるのか!」
広場の空気が険しくなる。
誰も悪くなかった。
誰もが家族を守りたいだけだった。
リシェラは何度も口を開こうとしたが、言葉が出ない。
受け入れたい。
でも、受け入れれば村が滅ぶかもしれない。
そんな責任を、自分一人では背負えなかった。
「神様⋯⋯」
神殿へ戻ると、彼女は小さく呟いた。
「私は、どうすれば⋯⋯」
直人は少し考えた。
そして、静かに答える。
「助けよう」
リシェラが顔を上げる。
「でも、どうやって⋯⋯」
「まだ方法はあるかもしれない」
直人は広がった視界をさらに遠くへ向けた。
今まで見えなかった場所まで意識を伸ばす。
(何かないか⋯⋯)
人が生きるために必要なもの。食料や水、他にも色々。
必死に探していると、不意に森の奥で無数の影が動いた。
「⋯⋯いた」
木々の間を駆ける大きな群れ。
二十頭、三十頭ではない。五十頭を超える鹿⋯⋯たぶん鹿、の群れだった。
しかも村から半日も掛からない距離にいる。
「リシェラ!」
「はい!」
「森の北側に鹿の群れがいる!」
「鹿⋯⋯ですか?」
「かなりの数だ。あれだけいれば村も難民も食べられる」
リシェラは目を見開く。
「そんな場所、誰も⋯⋯」
「ザイードを呼ぼう」
◆
神託を聞いたザイードは、すぐに敗残兵たちを集めた。
「神殿の神様が鹿の群れを見つけられたそうです」
リシェラが伝えると、兵士たちは顔を見合わせる。
「本当にいるのか?」
「昨日の神託も当たった」
「なら信じるしかねぇ」
ザイードは短く頷いた。
「行くぞ」
六十人あまりの敗残兵が森へ入る。
直人は神殿からその様子を見守っていた。
神力のおかげで、彼らの位置も鹿の群れの動きも分かる。
「もう少し右だ」
リシェラが息を切らしながら伝える。
「神様が、右へと言っています!」
ザイードは迷わず進路を変えた。
しばらくすると、兵士の一人が声を上げる。
「いた!」
木々の向こうで鹿の群れが草を食んでいる。
「本当にいたぞ!」
歓声が上がる。
ザイードはすぐに冷静な声で指示を飛ばした。
「囲め。逃がすな」
敗残兵たちが散開する。
逃げ道を塞ぎ、一斉に飛び出した。
鹿の群れが走る。
「左だ!」
「そっちへ追い込め!」
直人も必死だった。
「リシェラ、谷側へ逃げる!」
「神様が谷側へ逃げると告げています!」
神託のおかげで群れは狭い谷へ追い込まれた。
やがて狩りは終わる。
仕留められた鹿は十数頭。
荷車へ積み切れないほどの獲物だった。
◆
夕暮れ。
荷車いっぱいの鹿肉を見た瞬間、村中がどよめいた。
「こんなに⋯⋯!」
「冬まで食えるぞ!」
「難民にも分けられる!」
長老はゆっくりと難民たちを見た。
痩せた子どもが、肉を見つめながら唾を飲み込んでいる。
長い沈黙の後。
長老は深く息を吐いた。
「⋯⋯わしの負けじゃ」
リシェラが顔を上げる。
「迎え入れよう」
「長老様⋯⋯!」
「神様がここまで道を示してくださったんじゃ。なら、わしら人間は歩かねばならん」
その言葉に、村人たちも一人、また一人とうなずいていく。
「そうだな」
「助けよう」
「俺たちも昨日、助けられたばかりだ」
リシェラの目から涙がこぼれた。
彼女は街道へ向かって駆け出す。
「皆さん!」
難民たちがゆっくりと顔を上げる。
「どうか、この村へ来てください」
「一緒に、生きましょう」
その瞬間だった。
直人の中へ、これまでとは比べものにならない数の光が流れ込んできた。
村人たちだけではない。
絶望の中にいた難民たちまでもが、神の存在を信じたのだ。
温かな光に包まれながら、直人は静かに空を見上げた。
(ありがとう⋯⋯)
自分一人では、誰も救えない。
神託を伝えたリシェラがいて、行動したザイードがいて、受け入れる決断をした村人たちがいた。
だから救えた。
だが、その一方で⋯⋯広がった視界のさらに遠く。
街道の向こうでは、なお多くの人々が故郷を追われ続けていた。
この小さな村だけでは、救いきれないほどに。
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