4話 泉
帝国軍が去ってから三日。
村には、少しだけ穏やかな時間が戻っていた。
とはいえ、それはあくまで「少しだけ」だ。
食料の半分は守れた。
しかし、畑は焼かれ、家畜もほとんど失われている。
何より深刻だったのは、水だった。
「また井戸が枯れたぞ!」
村人の叫び声が響く。
直人は意識を向ける。
数人の男たちが井戸を覗き込み、肩を落としていた。
「これで三つ目だ⋯⋯」
「今年は雨も少ねえ」
「川まで行けば水はあるが、片道一時間だぞ」
水を運ぶだけで半日が終わってしまう。
それでは畑も満足に耕せない。
(水か⋯⋯)
直人は先日感じた、地下を流れる青白い筋を思い出した。
あれが本当に水脈なら、村を救えるかもしれない。
直人は神殿へ来たリシェラへ声を掛けた。
「リシェラ」
「はい、神様」
「神殿の裏にある岩場を掘ってみてほしい」
リシェラは首を傾げた。
「岩場⋯⋯ですか?」
「ああ。地下に水が流れている気がするんだ」
もちろん確証はない。
神様になってから得た感覚だ。
勘違いの可能性だってある。
「私には見えませんが⋯⋯神様がそう仰るなら」
リシェラは迷わず頷いた。
だが問題は、それを誰が信じるかだった。
村人たちは神託を一度信じ始めたとはいえ、岩を掘れば水が出るなど簡単には信じられない。
案の定、長老は難しい顔をした。
「リシェラ様。あそこは岩盤ですぞ。昔から何度も掘った場所です。水など出ません」
周囲の村人たちも顔を見合わせる。
無理もない。
食料を隠すのとは違う。
今回は何日もかけて人手を割かなければならないのだ。
リシェラは一度目を閉じ、小さく息を吸った。
「⋯⋯私は、神様を信じます」
静かな声だった。
だが、その言葉には迷いがなかった。
「ですから、私が掘ります」
そう言うと、近くに置いてあったつるはしを持ち上げた。
「リシェラ様!」
「そんなことを!」
「大丈夫です」
彼女は微笑んだ。
「もし神様が間違っていたなら、それは私一人の無駄で済みます」
そう言って岩場へ向かう。
ガンッ。
乾いた音が響いた。
ガンッ。
ガンッ。
華奢な少女には重すぎる道具だった。
何度も振り下ろすたびに肩が震える。
それでも止まらない。
直人はその姿を見つめるしかなかった。
(やめてくれ⋯⋯一人でやることじゃない)
そう思っても、声を掛けることしかできない。
「少し休んだ方がいい」
「大丈夫です!」
汗を拭いながら、リシェラは笑った。
「神様を信じているのは、私ですから」
その言葉に、直人は何も返せなかった。
どれくらい時間が経っただろう。
やがて、一人の老人が近づいてきた。
「貸してみな」
「え?」
「若い娘に任せっきりじゃ、男が笑われる」
老人はつるはしを受け取る。
ガンッ。
ガンッ。
その音を聞いて、今度は若い男が歩み寄った。
「俺もやる」
「だったら俺も」
「井戸が増えるなら悪くねえ」
一人、また一人。
気付けば十人近い村人が岩場を掘り始めていた。
直人は胸が熱くなるのを感じた。
自分が命じたからではない。
リシェラが動いたから、人が動いたのだ。
(これが⋯⋯人を信じるってことか)
夕方。突然、一人の男が叫んだ。
「柔らかいぞ!」
周囲が一斉に手を止める。
「本当か!?」
さらに掘り進める。
次の瞬間、ゴボッと鈍い音がした。
そして一拍遅れて、勢いよく水が噴き上がる。
「うわっ!」
「水だ!」
「本当に出た!」
透き通った水が岩場から溢れ出し、小さな流れを作っていく。
子どもたちが歓声を上げる。
「冷たい!」
「すごい!」
村中に笑顔が広がっていく。
リシェラは泉の前で膝をつき、小さく微笑んだ。
「⋯⋯神様。ありがとうございます」
その瞬間。
直人の中へ、今までとは比べものにならないほど多くの光が流れ込んできた。
視界がさらに遠くまで広がる。
森、丘、川。そして、そのさらに先まで。
「これは⋯⋯」
不意に、視界の端で何かが動いた。
百人近い人影だった。
女、子ども、老人。社会的に弱者として扱われる人々だ。
荷車を引きながら、ゆっくりとこちらへ向かっている。
その姿は、あまりにも疲れ切っていた。
「⋯⋯難民⋯⋯か?」
直人は息を呑む。
彼らは間違いなく、この村を目指して歩いてきている。
だが、今の村に百人もの人々を養う余裕はない。
新たな希望が生まれたその日に——直人は次の選択を迫られることになった。
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