3話 略奪と信仰
朝靄を裂くように、黒い軍旗が村へ近づいてきた。
鎧を鳴らしながら歩く兵士は二十人ほど。
その中央には豪奢な鎧を身に着けた男が馬へ跨っている。
「ガルディアス帝国徴収隊である!」
男の怒声が村中へ響いた。
「反乱を防ぐため、食料等を規定通り徴収する!」
誰も反論しない。いや、できなかった。
剣を失った敗残兵。
子どもを抱える母親。
老人たち。
この状況で逆らえば、その場で命を落とす。
神殿から見下ろしていた直人は、自然と拳を握ろうとして——握れないことを思い出した。
(⋯⋯何もできないな⋯⋯くそ)
声を届けられるのはリシェラだけ。
自分は見守ることしかできない。
帝国兵たちは共同倉庫へ入り、袋という袋を運び出していく。
「これもだ!」
「樽も持っていけ!」
「干し肉も残すな!」
住民たちは俯いたまま、それを見送るしかなかった。
幼い子どもが母親の服を掴む。
「お母さん⋯⋯ご飯は?」
母親は笑顔を作ろうとしたが、上手く笑えなかった。
「⋯⋯大丈夫よ」
その声は震えていた。
やがて帝国兵の一人が首を傾げる。
「隊長。思ったより少なくありませんか?」
「戦争で消費したんだろう」
「ですが、この村の人口なら、もう少し備蓄があるはずでは⋯⋯」
直人の意識が張り詰める。
見つかるのか。
地下貯蔵庫まで調べられたら終わりだ。
隊長は村を見回した。
神殿の方へも視線が向く。
リシェラは思わず息を呑んだ。
(お願い⋯⋯)
その祈りが聞こえた気がした。
隊長は鼻で笑う。
「こんな廃神殿に隠すほど暇ではないか」
そう吐き捨てると、馬首を返した。
「撤収!」
兵士たちは荷車へ積み込んだ食料を引き連れ、村を後にしていく。
その姿が完全に見えなくなった瞬間。
村中から一斉に安堵の息が漏れた。
「⋯⋯助かった!」
「地下は見つからなかったぞ⋯⋯!」
「本当に助かった⋯⋯」
リシェラはその場へ座り込んだ。
張り詰めていた緊張が、一気に解けたのだろう。
「神様⋯⋯」
小さく呟く。
「ありがとうございました」
その瞬間だった。
直人の胸へ、昨日感じたものと同じ温かな光が流れ込む。
だが今回は違う。
一つではない。
小さな灯火が、いくつも重なって流れ込んでくる。
「⋯⋯これは?」
身体はないはずなのに、自分という存在が少しだけ大きくなった感覚があった。
視界が、ゆっくりと広がる。
神殿、村——さらにその先の森。
昨日より、はるか遠くまで見える。
「神様?」
リシェラが心配そうに呼び掛ける。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。たぶん⋯⋯」
直人は周囲へ意識を向けた。
不思議なことに、世界が少し違って見える。
木々の緑。
土の色。
川の流れ。
その全てが、ぼんやりと繋がっているような感覚だった。
「⋯⋯なんだろう」
視線を神殿裏の岩場へ向ける。
すると地面のずっと奥。
細い青白い筋のようなものが流れているのを感じた。
「水⋯⋯?」
いや、見えているわけではない。
そこに何かがあると、直感しているだけだ。
直人は首を傾げた。
(地下に、水がある⋯⋯?)
理由は分からない。
だが、その感覚は確信に近かった。
その時、神殿の外が騒がしくなる。
先ほどまで疑っていた村人たちが集まってきていた。
「リシェラ様!」
一人の老婆が深く頭を下げる。
「⋯⋯ありがとう」
「え?」
「私ゃ、あんたを疑っちまった」
続いて別の男も口を開く。
「俺もだ」
「半分しか隠せなかったが⋯⋯その半分が残った」
「冬を越えられるかもしれねえ」
リシェラは驚いたように目を瞬かせた。
「私は⋯⋯神様のお言葉を伝えただけです」
「それでもだ」
誰かが神殿へ向かって手を合わせる。
「本当に⋯⋯神様だったのか」
その言葉と同時に、直人へまた小さな光が流れ込んだ。
今度ははっきりと理解できた。
これは信仰だ。
誰かが自分を信じた分だけ、自分という存在は少しずつ力を得ている。
(そういう仕組みか⋯⋯!)
直人は静かに村を見渡した。
まだ何も救えてはいない。
食料の半分は奪われた。冬を越えられる保証もない。
それでも、一つだけ確かなことがあった。
昨日まで誰にも信じられていなかった神へ。
今日、この村で初めて祈りを捧げる人が生まれたのだった。
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