2話 神託
「⋯⋯無理です。私が神託を伝えても、誰も信じてくれません」
リシェラの言葉に、神殿は静まり返った。
直人は返す言葉を探した。
ついさっきまで、自分が神様になったことすら理解できていなかった。
そんな自分の言葉を、村人たちに信じろと言う方が無茶なのかもしれない。
「皆さん、もう神様を信じていないんです」
リシェラは俯いた。
「戦争が始まった時も、毎日祈りました。どうか国をお守りくださいって。でも王都は落ちて、たくさんの人が亡くなって⋯⋯神殿も、この有様です」
「⋯⋯そっか」
「だから、皆さんが怒るのも当然なんです。今さら神託が下ったなんて言っても、きっと——」
「じゃあ、無理に信じてもらわなくていいよ」
リシェラが顔を上げた。
「え?」
「俺だって、自分が本当に神様なのかよく分かってないからね」
「そ、それを神様ご本人が言うんですか?」
思わず漏れたような言葉だった。
その反応に、直人は少しだけ笑う。
「でも、食料を隠した方がいいとは思ってる。帝国軍が全部持っていくなら、何もしなければ冬を越せないんだろ?」
「それは⋯⋯はい」
「だったら、まず俺たちができることをやろう」
「俺たち⋯⋯?」
「君と俺。今のところ、二人しかいないけど」
リシェラは目を瞬いた。
神様と自分を同じ側に並べられるとは思っていなかったのだろう。
やがて胸元の銀色の首飾りを握りしめ、小さく頷いた。
「⋯⋯分かりました。私、皆さんに話してみます」
その日の夕方。
村の広場には、数十人の住民が集められていた。
子どもを抱く母親。
杖をついた老人。
包帯を巻いた男。
戦争で家を失った者たち。
皆、疲れ切った顔をしている。
リシェラは彼らの前に立った。
緊張しているのが、直人にも分かった。
胸元の首飾りを強く握っている。
「皆さん。突然集まっていただいて、ありがとうございます」
ざわついていた村人たちが、少しだけ静かになる。
「先ほど、神殿で⋯⋯神様の声を聞きました」
その言葉で、空気が変わった。
「神様?」
「今さら?」
「巫女様、何を言ってるんだ」
すぐに不信の声が上がり、リシェラの肩が僅かに震えた。それでも逃げなかった。
「帝国軍の徴収隊が明日の昼に来ます。神様は、食料を隠すようにと仰いました」
「どこに隠すんだ?」
「神殿の裏に、昔使われていた地下貯蔵庫があります。そこへ——」
「待ってくれ」
一人の老人が遮った。
「本当に神様がそう言ったのか?」
「はい」
「その声を聞いたのは?」
「⋯⋯私だけです」
沈黙。
直人には、それだけで結果が分かった。
「なら、確かめようがないじゃないか」
若い男が吐き捨てるように言う。
「俺たちは何度祈ったと思ってるんだ」
「そうだ。王都が落ちた時だって、誰も助けてくれなかった」
「今さら神様が戻ってきたって言われても⋯⋯」
次々と声が上がる。
リシェラは必死に説明しようとする。
「ですが、このままでは食料を——」
「食料を動かして、帝国兵に見つかったらどうする?」
「地下貯蔵庫なんて何年使ってないんだ。腐ったら?」
「残った食料まで失ったら、本当に終わりだぞ」
全部、もっともだった。
直人は言葉を失う。
役所で働いていた時もそうだった。
どれだけ正しいと思う案でも、住民の不安を無視すれば動いてもらえない。
自分には根拠を示す資料もない。
直接説明する声すらない。
神様という肩書きだけで人を動かせるほど、現実は簡単ではないらしい。
「⋯⋯分かりました」
不意に、リシェラが言った。
村人たちが静かになる。
「皆さんが信じられないのは当然です。ですから、無理にお願いはしません」
そう告げると、リシェラは広場を離れた。
直人は慌てる。
「リシェラ?」
「神様。地下貯蔵庫へ運ぶのは、食料で間違いありませんよね?」
「う、うん」
「では、私は運びます」
「一人で?」
「はい」
村の共同倉庫へ入ったリシェラは、小さな穀物袋を抱えて出てきた。
細い腕には重いらしく、身体が大きく傾く。
それでも、一歩ずつ神殿へ向かう。
「ちょっと待って」
直人は声をかけた。
「君まで俺を信じる必要はないんだよ」
「え?」
「俺が間違ってる可能性だってある」
自分で言っていて妙な気分だった。
神様が、自分の神託を疑えと言っている。
だが、直人にはそれが自然だった。
「だから、自分で考えて決めてほしい」
リシェラはしばらく黙っていた。
そして、穀物袋を抱え直す。
「考えました」
「うん」
「私も、隠した方がいいと思います」
その返事に、直人は少しだけ安心した。
「なら、お願いするよ」
「はい」
リシェラが歩き始める。
一往復、二往復。小柄な身体で何度も穀物袋を運ぶ。
誰も手伝おうとはしなかった。
いや——。
「貸せ」
低い声がした。
リシェラが振り返る。
そこには、昼に帝国軍の到来を知らせた男が立っていた。
「ザイードさん?」
「俺が持つ」
ザイードは返事を待たず、リシェラの腕から穀物袋を受け取った。
「でも、ザイードさんも神託を信じていないんじゃ⋯⋯」
「ああ」
即答だった。
「神様が戻ったなんて話は、今のところ信じてない」
リシェラが困ったような顔をする。
「じゃあ、どうして?」
「帝国軍が来るのは事実だ」
ザイードは袋を肩へ担ぐ。
「食料を全部奪われれば死ぬ。それも事実だ」
それだけ言うと、神殿へ向かって歩き始めた。
直人は、その背中を見つめる。
(⋯⋯なるほど)
神を信じたからではない。
自分で考えた結果、同じ結論へ辿り着いた。
それでいい。
むしろ、直人にはその方が嬉しかった。
リシェラもすぐに後を追う。
二人が何度か往復していると、一人の老婆が小さな袋を持ち上げた。
「全部は怖いけどね⋯⋯これくらいなら」
次に、一人の男。
また一人。
大半の村人は最後まで動かなかった。
それでも夜が更ける頃には、備蓄の半分近くが地下貯蔵庫へ移されていた。
直人は、ただ見守ることしかできなかった。
袋一つ持てない。誰かの肩を叩くこともできない。
人々へ直接声を届けることすらできない。
(神様って、思ってたよりずっと不便だな)
それでも————一人の少女が動いた。
それを見て一人の男が動いた。
そして、少しだけ人が続いた。
町興しの仕事をしていた頃と、どこか似ている。
制度だけでは人は動かない。最初に動く誰かが必要なのだ。
夜が明け——朝靄の向こう。村へ続く街道から、黒い軍旗が姿を現した。
馬蹄の音。
武装した兵士たち。
帝国軍の徴収隊。
リシェラが神殿の前で息を呑む。
「⋯⋯来ました」
直人もその軍勢を見つめる。
最初の神託が、この国を救う一手だったのか。
それとも——ただの間違いだったのか。
答えは、もうすぐ分かる。
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