1話 亡国の神様
暫く複数話投稿します。
夜。仕事を終えた久世直人は、人気のない横断歩道を渡っていた。
地方自治体の企画政策課。
地方創生、防災、観光振興——住民が少しでも幸せに暮らせる町を作りたくて選んだ仕事だった。
だが現実は甘くない。
予算不足、人口減少、前例主義、政治的事情。人は心と思惑があり、思うように動かない。
理想を語るたびに、「現実を見ろ」と言われ続けた。
それでも諦めたことは一度もない。
来年度の地方創生計画も、ようやく形になってきたところだった。
「⋯⋯明日、もう一回資料を見直そうかな」
そう呟いた瞬間だった。
視界いっぱいに、眩しいライトが飛び込んでくる。
耳をつんざくようなブレーキ音が聞こえたと思った後には、身体が宙へ浮いていた。
(あ⋯⋯)
最後に思い浮かんだのは、自分の命ではなかった。
(まだ⋯⋯終わってないのに)
もっと、あの町を良くしたかった。
その想いだけを残して、久世直人の意識は途切れた。
◆
「⋯⋯ここは?」
暫くして、久世直人は目を覚ました。だが、自分の身体はどこにもなかった。
手も足もない。いや——もはや、呼吸もしていない。
それなのに、意識だけははっきりとしている。
まさか幽霊にでもなったのだろうか。町興しの未練が残り、地縛霊になったとか⋯⋯。
そんな事を考えていると、視界だけが自由に動くことに気づいた。
試しに見下ろした先には、崩れかけた神殿があった。
天井には大穴が開き、石柱は何本も倒れている。
祭壇には長い亀裂が走り、今にも崩れ落ちそうだった。
まるで何百年も放置された廃墟だ。
しかし、不思議なことに祭壇だけは綺麗だった。
小さな花が供えられ、床も掃き清められている。
誰かが毎日手入れをしているのだろう。
その時、不意に意識が神殿の外へ広がった。
「⋯⋯!」
思わず息を呑む。
村だ。——いや、村だった場所だ。
焼け落ちた家々。
崩れた石垣。
黒く焦げた畑。
包帯を巻いた人々。
痩せ細った子ども。
絶望という言葉が、そのまま形になったような光景だった。
「戦争⋯⋯なのか?」
誰に聞くでもなく呟くが、もちろん返事はない。
その時だった。
神殿の扉が静かに開く。
一人の少女が入ってきた。
十六歳ほどだろうか。
淡い銀髪を肩まで伸ばし、何度も繕われた白い巫女服を身にまとっている。
疲れ切った表情を浮かべながらも、祭壇の前へ進み、静かに膝をついた。
「今日も、お祈りに参りました」
少女は目を閉じる。
「怪我をした方々が回復しますように。
子どもたちがお腹いっぱい食べられますように。
明日も、皆さんが笑顔で過ごせますように」
一つ一つの願いは、とてもささやかだった。
そして最後に、小さく笑う。
「⋯⋯もう、この国には神様すらいないのですね」
ぽたり、と涙が祭壇へ落ちた。
「皆さんは、神様は私たちを見捨てたと言います。
でも私は、そう思いたくありません。
神様がいらっしゃらなくても⋯⋯この神殿だけは、守り続けたいんです」
その姿を見て、直人は胸が締め付けられた。
この少女は、一人で祈り続けていた。
誰もいないと思いながら。
誰にも届かないと思いながら。
気付けば、言葉が零れていた。
「君は、一人じゃない」
少女が勢いよく顔を上げる。
「え⋯⋯?」
神殿を見回す。
誰もいない。
「い、今の声⋯⋯」
直人も驚いていた。
聞こえたのか。
もう一度話しかける。
「聞こえるの?」
少女は祭壇を見つめたまま震え始める。
「神様⋯⋯?」
その瞬間だった。
直人の中へ、小さな光が流れ込む。
温かな何かが、自分という存在を少しだけ満たした。
理由は分からない。
だが、本能的に理解した。
この少女は、自分の存在を信じたのだ。
その時、神殿の外から慌ただしい足音が響く。
「大変だ!」
鎧姿の男が駆け込んできた。
鎧は泥と煤で汚れ、顔にも疲労が滲んでいる。
「どうしたんですか?」
男は息を切らせながら叫んだ。
「帝国軍の徴収隊が、明日の昼には村へ到着するらしい!」
リシェラの表情から血の気が引く。
「そんな⋯⋯!」
「残っている食料も、すべて持っていかれてしまうかもしれん⋯⋯!」
沈黙が流れる。
直人は焼け跡となった村を見下ろした。
あの痩せた子どもたちから食料まで奪われれば、この村は冬を越えられない。
神様になった理由は分からない。
この世界のことも何一つ知らない。
だが、地方創生の仕事をしていた頃から、一つだけ変わらない考えがある。
————人は、生きてるだけで尊いんだ。
直人は静かに告げた。
「食料を隠そう」
リシェラが目を見開く。
「まずは、この冬を生き延びるんだ」
リシェラは戸惑いながらも、小さく首を振った。
「⋯⋯無理です。私が神託を伝えても、誰も信じてくれません」
神殿に重い沈黙が落ちる。
神は神託を授けられる。
だが、その神託を聞けるのは、この少女ただ一人。
そして、その少女の言葉を信じる者は——もう、この国には誰もいなかった。
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