18話 鍛冶師
「今日は帰ろう」
「え?」
リシェラだけでなく、ティアナまで驚いた。
「せっかく二日もかけて来たのよ?」
「うん。でも嫌だって言ってる人に無理強いはできないよ」
リシェラが言葉を伝える。
グラドは怪訝そうな顔をした。
「⋯⋯それだけか?」
「はい」
「神様なら命令でもすると思ったが」
「神様は、最後に決めるのは人間だといつも仰います」
「変な神だな」
グラドは吐き捨てるように言った。
ティアナが肩を竦める。
「それは私も思うわ」
一行が山を下りようとした時だった。
直人の視界に、不自然なものが入った。
(ん?)
集落のさらに上、急斜面を流れる細い川。
その一部で水がせき止められている。
倒木と岩が重なり、その奥に大量の水が溜まっていた。
しかも地盤が崩れ始めている。
(まずい)
直人は意識を集中する。
もしあれが崩れれば、水と土砂が一気に下へ流れる。
その先にあるのは、この集落だった。
「リシェラ!」
「はい!」
「みんなを高い場所へ避難させて!上流が崩れる!」
リシェラの顔色が変わった。
「グラドさん!今すぐ皆さんを避難させてください!」
「何?」
「上流で水がせき止められています!もう崩れます!」
グラドが眉を寄せる。
「そんな報告は——」
「神様が見ています!」
リシェラが叫んだ。
その言葉で、ザイードは迷わなかった。
「全員動け!」
兵士たちが集落へ走る。
「家から離れろ!」
「高い場所へ上がれ!」
山岳民たちは混乱した。
「何だ!?」
「急げ!」
グラドも上流を見る。
だが山の陰になっていて、ここからは何も見えない。
「本当なのか?」
「俺は神様を信じる」
ザイードは断言した。
「疑うなら、避難してから疑え」
グラドが舌打ちする。
「全員、高台へ行け!」
その命令で山岳民たちも動き出した。
最後の家族が高台へ上がった直後、山の奥から低い轟音が響いた。
大量の水が土砂とともに斜面を流れ落ちる。
「なっ⋯⋯!」
グラドが絶句した。
濁流は集落の端を飲み込み、資材置き場と古い小屋を押し流した。
もし人が残っていれば、間違いなく死者が出ていた。
高台へ避難した者たちが、青ざめた顔でその光景を見つめる。
「本当に⋯⋯」
「神様がいるのか?」
「俺たちには何も見えなかったぞ⋯⋯」
ざわめきが広がるが、グラドだけは黙っていた。
やがて直人は、もう一つ気付く。
濁流で地表が削られた場所。その崖の一部に、赤黒い岩肌が露出している。
他の岩とは明らかに色が違う。
「リシェラ」
「はい?」
「あの崩れた崖、グラドさんに見てもらって」
リシェラが伝えると、グラドは不審そうに崖へ近づいた。
直人が見た赤黒い石をグラドは拾い、爪で叩く。
何かに気が付き、もう一度石を叩くと、今度は真剣な表情になった。
「⋯⋯鉄鉱石だ」
「え?」
ティアナが駆け寄る。
「本当に?」
「しかも質が悪くねえ」
グラドは周囲を見回した。
「これだけ露出してるなら、奥にも鉱脈がある可能性が高い」
山岳民たちが騒ぎ始める。
帝国に鉱山を奪われた彼らにとって、新しい鉱脈は生活そのものを変える発見だった。
「神様が⋯⋯また見つけた」
誰かが呟き、グラドは手の中の鉱石を見た。
直人は少し申し訳なく思った。
(これは偶然なんだけどな)
土砂崩れを見つけた結果、たまたま鉱脈が露出しただけだ。
だが周囲から見れば違う。
災害を事前に知らせ、人々を救い、その直後に鉄まで見つけた。
それは、神の奇跡にしか見えなかった。
グラドがゆっくり神殿の方角を向く。
もちろん、ここから神殿は見えない。
「巫女さん」
「はい」
「神さんに聞け」
グラドは鉱石を握った。
「本当に欲しいのは、何だ?」
直人は迷わなかった。
「鍬だよ」
リシェラが少し笑う。
「鍬だそうです」
「⋯⋯他には?」
「水車。井戸の設備。荷車。それと、壊れにくい農具を作れるならお願いしたいかな」
言葉が伝わるたびに、グラドの表情が変わっていく。
「⋯⋯剣は?」
「今すぐはいらない」
直人は答えた。
「まず、みんなが食べられるようにしたい」
グラドは長い間黙っていた。
やがて、手にしていた鉄鉱石を腰袋へ入れる。
「神なら真っ先に剣を欲しがると思ってた」
直人は苦笑する。
「俺、剣の使い方も分からないしね」
リシェラがそのまま伝えると、グラドは初めて笑った。
「はっ。そりゃそうか」
そしてザイードを見る。
「一か月だ」
「何?」
「一か月だけ、そっちの村へ行ってやる」
リシェラの顔が明るくなる。
「本当ですか!」
「勘違いすんな。神さんを信じたわけじゃねえ」
グラドはぶっきらぼうに言う。
「俺が見たいだけだ」
「何を?」
「剣より鍬を欲しがる神が、どんな村を作ってるのかをな」
直人は嬉しくなった。
(よし)
イルヴァナト村に、初めて本格的な職人が加わる。
しかも目の前の男は、恐らくただの鍛冶師ではない。壊れた生活を、自分の手で作り直せる人間だ。
山を下りる準備を始めるグラドの後ろで、山岳民たちが小さく話していた。
「また神様が助けたな」
「水も鉄も、神様が見つけた」
「イルヴァナトって、本当に神がいるんだな」
その言葉を聞きながら、直人は北西の山々へ意識を広げた。
自分が見つけられるものは、まだきっとある。
そして見つけたものを形にできる人間もいる。
それなら、もっと多くの人を豊かにできるはずだ。
グラド・バルガン。
後にイルヴァナトの発展を支える職人が、初めて村へ向かうことになった。
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