16話 新商品開発
ティアナがイルヴァナト村の帳簿を預かって三日。
神殿前の集会所には、朝から大量の紙が並べられていた。
「ひどいわね」
ティアナは一枚の帳簿を持ち上げた。
「本当にひどい」
「二回言った⋯⋯」
隣に座るリシェラが小さく呟く。
「だって、本当にひどいんだもの」
ティアナは机を指で軽く叩いた。
「蜂蜜を売ったお金、商隊から買った塩、農具の修理費、共同倉庫の食料、兵士の装備。全部別々の人間が記録してるでしょう?」
「はい」
「しかも書き方が全員違う」
「はい⋯⋯」
「昨日残っていた銀貨の枚数すら、三つの帳簿で数字が違うわ」
リシェラが申し訳なさそうに俯いた。
直人は神殿から二人のやり取りを聞きながら苦笑した。
(まあ、そうなるよな)
人口百人ほどなら、誰が何を持っているか顔を合わせて確認できる。
だが現在は千八百人。
畑も増えた。漁をする者も、養蜂をする者もいる。あと、商隊との取引も増えた。
村が急速に大きくなったせいで、仕組みが追いついていなかった。
「神様」
リシェラが祭壇を見る。
「ティアナさんが、村のお金をすべて一つの帳簿で管理したいそうです」
「うん。それがいいと思う」
「あと、共同倉庫に入る物も価値を記録したいと」
「それもお願いしよう」
直人には分かる。
金だけ数えていても駄目だ。
食料や道具も村にとっては資産だ。前世の役所でも、予算だけでは事業は動かなかった。
何にいくら使い、何が残り、次に何が必要になるのか。
それが見えなければ計画を立てられない。
ところがティアナは、直人が考えていた以上のことを始めた。
「養蜂をしている家は十二軒」
「はい」
「なのに巣箱の数が全部違う。蜂蜜を共同販売するなら、生産量を記録するわ」
「分かりました」
「魚は?」
「昨日は百七十匹ほど共同倉庫へ」
「種類は?」
「え?」
「魚によって保存できる日数が違うでしょう」
「あ⋯⋯」
「薬草も種類別。畑は作物別。木材は長さと用途を分ける。鉄製品は修理できる物と買い替える物を分けて」
周囲で作業を手伝っていた村人たちの顔が引きつっていく。
「そこまでやるのか⋯⋯?」
一人が呟いた。
ティアナは当然のように答える。
「やるわよ」
「大変すぎないか?」
「何を持ってるか分からない村が、どうやって次に必要な物を決めるの?」
誰も反論できなかった。
(強いなあ⋯⋯)
直人は感心していた。
自分なら、もう少し柔らかく説明しただろう。
だがティアナは必要なことを迷わず進めていく。
そして五日後。
最初の集計結果が出た。
「足りないわ」
ティアナの第一声だった。
「何が?」
リシェラが尋ねる。
「全部」
「全部!?」
「正確には、今は足りてる。でも半年後には足りなくなる」
ティアナは新しく作った帳簿を開いた。
「人口が増えているのよ。この三か月だけで百人以上増えた。このままなら食料の消費も、塩も、農具も、薬も増える」
リシェラの表情が曇る。
「また食料が足りなくなるんでしょうか?」
「食料は今の生産量ならまだ大丈夫。でも問題は金」
イルヴァナト村は蜂蜜を売っている。
保存食や薬草も売り始めている。しかし、外から買う物も多かった。
人口が増えれば、その支出も増える。
「このまま人数だけ増えたら、いずれ貯めたお金が尽きるわ」
直人も考え込む。
(収入を増やさないと駄目か)
蜂蜜だけに依存するのは危険だ。
一つの商品が売れなくなれば終わる。
「リシェラ」
「はい」
「ティアナに、何を売ればいいと思うか聞いてみて」
ティアナは少し考えた。
「商品を見てから決めたいわね」
「商品?」
「この村の周りに何があるのか、私は知らないもの」
直人はそこで気付いた。
(それなら、俺が探せばいい)
神の視界を広げる。
一年前とは比べものにならない範囲が見える。
森や川に、人々が開墾した畑。
そのさらに外側まで意識を伸ばす。
何か売れる物、外から買われる物⋯⋯。
蜂蜜とは違う、この土地ならではの資源⋯⋯。何か、何か無いかな⋯⋯。
東の森には薬草がある。すでにエレナたちが使っている。
川には魚がいるが、保存には手間が掛かる。
さらに視界を広げた時、北側の森に見慣れない木々が密集している場所があった。
(あれは⋯⋯?)
枝には小さな赤い実が大量についている。
村人が普段採っている様子はない。
「リシェラ。北の森に赤い実がなる木があるんだけど、誰か知ってるかな?」
話を聞いた老人が答えた。
「ああ、ロッカの実ですな」
「食べられる?」
「そのままでは酸っぱすぎます。昔は煮て肉料理に使う者もいましたが、今ではほとんど誰も採りません」
ティアナが顔を上げた。
「見せて」
すぐに数人が森へ向かい、実を持ち帰った。
ティアナは一粒口へ入れる。
「酸っぱ⋯⋯!」
顔をしかめた。
「ティアナさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないわよ。何よこれ」
リシェラが少し笑う。
だがティアナはすぐに真剣な表情へ戻った。
「でも、悪くない」
「え?」
「砂糖か蜂蜜で煮たら保存できる」
直人も思いつく。
(ジャムみたいにできるか)
蜂蜜なら村にある。
試しに潰した実を蜂蜜と一緒に煮てもらった。
完成したものをパンへ塗る。
最初に食べたのはエレナだった。
「⋯⋯美味しいです!」
「本当?」
リシェラも口にする。
「甘いのに少し酸っぱくて⋯⋯これ、好きです」
子どもたちにも好評だった。
ティアナはすぐに計算を始める。
「待って。この実、どれくらい採れるの?」
「かなりあると思う」
直人は神の目で森を見る。
「北側だけでも、今見えてる範囲なら数百本はあるかな」
ティアナの指が止まった。
「数百?」
「うん」
「全部、誰も使ってない?」
「たぶん」
ティアナの目が変わった。
「神様」
「何?」
「この村、本当にずるいわね」
直人は意味が分からない。
「森の中に商品がある場所を、歩き回らずに見つけられるんでしょう?」
「ああ⋯⋯まあ」
「商人が何年もかけて探す情報を、一瞬で手に入れられるじゃない」
ティアナは立ち上がった。
「これ、売れるわ」
翌日から村人たちはロッカの実を採り始めた。
ただし直人は、すべて採り尽くさないよう神託を出した。
来年も実がなるように、木を傷つけず、一定量を残す。
採った実は蜂蜜で煮て、小さな壺に詰める。
最初の二十壺が完成した頃、ちょうど商隊が村へやって来た。
「これは何だ?」
「イルヴァナトで作った保存果実よ」
ティアナが商人へ試食させる。
男は一口食べると、もう一度パンへ付けた。
「⋯⋯いくらだ?」
ティアナが笑う。
そこから先は彼女の仕事だった。
三十分後、用意した二十壺はすべて売れた。
さらに次回分として百壺の注文まで入った。
「百!?」
村人たちが歓声を上げる。
「そんなに売れるのか!」
「森にいくらでもあるぞ!」
「神様がまた見つけてくださった!」
その声を聞いた直人は、少し嬉しくなる。
ティアナも神殿を見る。
「神様」
リシェラを通して声が届く。
「あなた、商売分かってないと思ってたけど訂正するわ」
「俺は何も売ってないよ」
「売る物を見つけてるじゃない」
ティアナは笑った。
「それが一番難しいのよ」
その日から、村では新しい言葉が広まり始めた。
困ったことがあれば神様へ聞く。
売る物がなければ神様に探してもらう。
場所が分からなければ神託を待つ。
「神様に聞けば何とかなる」
誰かがそう言い始めると、多くの村人が当然のように頷いた。
直人も、その言葉を聞いていた。
(⋯⋯まあ、今はそれでもいいか)
頼られるのは嫌ではない。
むしろ自分の力で生活が豊かになっていくことが嬉しかった。
イルヴァナト村は、もう飢えないだけの場所ではない。
少しずつ、金を稼げる村になり始めている。
だが、その成長には新しい問題も生まれていた。
畑が増え、人が増え、作る物も増えたことで、農具の修理が追いつかなくなっていた。
何より深刻なのは鉄だった。
ザイードから報告を受けたリシェラが告げる。
「神様。農具に使う鉄が、あと二か月ほどで足りなくなるそうです」
「鉄か⋯⋯」
直人は視界を北西へ向けた。
遠くに連なる山々が見える。
その山中に、以前から気になっている場所があった。
煙が上がっている。小さな集落があるようだ。
そして、神の目で見ても分かるほど大量の金属と炉。
(あそこなら、何か分かるかもしれない)
イルヴァナト村が次に必要としているのは、金ではなかった。
人々の暮らしを支える、鉄と技術だった。
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