15話 ティアナ
「反対です!」
神殿前の広場に、村人の声が響いた。
ティアナを銀貨百五十枚で買い取る。
直人の神託が伝わってから、村ではすぐに話し合いが始まっていた。
「銀貨百五十枚ですよ!?」
「蜂蜜を売って、ようやく貯めた金だ!」
「塩も鉄も買わなきゃならないんだぞ!」
反対意見が次々と上がる。
直人にも、その気持ちはよく分かった。
今のイルヴァナト村にとって、銀貨百五十枚は大金だ。
一年間かけて蜂蜜や保存食を売り、少しずつ蓄えてきた共同資金。その多くを、たった一人へ使おうとしている。
前世で自治体職員をしていた直人なら、予算の使い道として説明責任を求められて当然だと思う。
「神様」
リシェラが困った表情で祭壇を見る。
「皆さん、神様を疑っているわけではないんです。ただ、このお金は冬の備えや、鉄を買うためにも必要で⋯⋯」
「うん。分かってる」
直人は怒っていなかった。
むしろ、何でも神託だからと従われるより健全だと思う。
だが今回は譲る気もなかった。
「それでも、彼女は必要だと思う」
リシェラがその言葉を伝えると、村人たちの間にざわめきが広がった。
「理由を教えていただけませんか?」
長老が尋ねる。
「この村は、この一年で物を作る力を手に入れた。でも、売る力が足りない」
直人はゆっくり説明する。
「蜂蜜を作れても、相場を知らなければ安く買われる。お金を持っていても、何を買うべきか分からなければ無駄になる。これから人が増えれば、今までみたいに何となく管理するだけじゃ回らなくなると思う」
まさに蜂蜜を安く買い叩かれそうになった。
ティアナがいなければ、村人たちは商人の言葉を信じていただろう。
「彼女には、俺にもできないことができる」
広場が静かになる。
神様にもできないことがある。
その言葉に驚いた者も多いらしい。
「だから力を借りたい」
直人はそう締めくくった。
それでも全員が納得したわけではなかった。
最終的には、ザイードが口を開いた。
「俺は神様を信じる」
短い一言だった。
「黒狼隊の時も、俺たちには見えないものを神様は見ていた。今回も同じなら、俺には反対する理由がない」
エレナも小さく手を挙げる。
「私も⋯⋯神様に選んでいただかなかったら、今みたいに人を助けられていません」
少しずつ空気が変わり——結局、条件付きでティアナを買い取ることになった。
条件は一つ。
共同資金へ大きな損害が出るようなら、今後は同じような使い方をする前に必ず村人へ相談する。
直人もそれを受け入れた。
翌朝。
ティアナの首から鉄輪が外された。
「これであなたはイルヴァナト村の奴隷です」
商人が契約書を差し出す。
その言葉に直人は引っ掛かった。
「リシェラ」
「はい」
「訂正してもらって」
リシェラが商人へ向き直る。
「神様は、ティアナさんを奴隷として所有するつもりはないと仰っています」
「は?」
「買い取った時点で解放します」
商人だけでなく、ティアナまで目を見開いた。
「⋯⋯私を買って、そのまま自由にするの?」
「はい」
「百五十枚払って?」
「そうです」
ティアナはしばらく言葉を失っていた。
やがて神殿を見る。
「神様って、商売が下手なの?」
直人は思わず笑った。
「その判断は、もう少し後にしてほしいかな」
リシェラがそのまま伝える。
ティアナは僅かに口元を上げた。
「いいわ。借りを作るのは嫌いだから」
左手の人差し指に嵌めた古い真鍮の指輪へ触れる。
「百五十枚。稼いで返せばいいんでしょう?」
直人は訂正しようとしたが、ティアナはすでに商人へ歩いていた。
「ところで、あなた」
「な、何だ」
「昨日の蜂蜜の話、まだ終わってないわよね?」
商人の顔が引きつる。
「相場が落ちていると言ったわね」
「そ、それは⋯⋯」
「帝都西市場の価格は一瓶銀貨二枚前後。ここから帝都までの輸送費と関税を入れても、銀貨一枚銅貨六枚以上なら十分利益が出る」
ティアナは広場に並んでいる蜂蜜を見る。
「イルヴァナトの蜂蜜は品質が良い。香りが強く、混ぜ物もない。だから一瓶、銀貨一枚と銅貨八枚よ」
「高すぎる!」
「なら買わなくていいわ」
即答だった。
「待て!」
商人が慌てる。
「銅貨五枚!」
「銅貨八枚」
「六枚!」
「八枚」
「七枚!」
「では別の商人へ売ります」
ティアナが背を向けた。
「⋯⋯!チッ、分かった!銀貨一枚銅貨八枚で買う!」
村人たちが目を丸くする。
昨日まで十瓶で銀貨十二枚だった蜂蜜が、銀貨十八枚になった。
「それから塩」
ティアナは止まらない。
「あなたの提示額は高すぎる。帝国南部から仕入れているでしょう?」
「なぜ分かる」
「袋の印よ」
ティアナは塩袋の端にある小さな焼印を指した。
「南部産なら今年は豊作で価格が下がってる。昨日の値段から二割下げなさい」
「無茶だ!」
「なら買わない」
「ここまで運んできたんだぞ!」
「だから何?」
商人の顔が引きつる。
交渉は一時間近く続いた。
結果、蜂蜜の売却額は予定より大幅に上昇。
逆に塩、布、鉄鍋の購入価格は下がった。
取引を終えた後、村の長老が帳簿を見ながら震えていた。
「⋯⋯銀貨四十三枚」
「え?」
「昨日の条件で売買した場合と比べて、四十三枚も得をしている」
広場が静まり返った。
ティアナは平然としている。
「別に大したことじゃないわ。相場を知って、適正価格で売買しただけ」
四十三枚。
たった一度の取引で、買い取り金額の三分の一近くを取り戻した。
しかも彼女はまだ加入して一日目だ。
昨日まで猛反対していた男が、恐る恐る尋ねる。
「⋯⋯ティアナさん」
「何?」
「次の商隊が来た時も、お願いできますか?」
「給料次第ね」
「払います!」
周囲から笑いが起きる。
直人も少しだけ誇らしい気持ちになった。
(やっぱりすごい人だったな⋯⋯)
自分が優秀なのではない。
神の目で才能そのものが見えるわけでもない。
ただ、目の前にいる人間をよく見る。
何ができるのか、どんな力を持っているのか。
それを考えるのは、前世の仕事でも大切にしていたことだった。
そんな中、ティアナが突然言った。
「でも、まだ全然駄目ね」
村人たちの笑顔が止まる。
「何がですか?」
リシェラが尋ねる。
「この村の金の管理よ」
ティアナは共有の帳簿を手に取った。
「誰が何を売って、何を買って、共同倉庫にどれだけ入っていて、村の共有財産がいくらあるのか、全部別々に記録されてる」
「一応、管理は⋯⋯」
「管理できてないわ」
ばっさり切った。
「今は千八百人だから何とかなってる。でも二千、三千と増えたら絶対に破綻する」
帳簿を机へ置く。
「この村、稼ぐ前に財布を作り直した方がいいわね」
直人は、その言葉に興味を引かれた。
「リシェラ」
「はい」
「ティアナに伝えて」
少しだけ笑う。
「好きにやってみてほしい」
神託を聞いたティアナは、神殿を見上げた。
「本当に?」
「神様はそう仰っています」
「後悔しても知らないわよ」
リシェラが直人の返事を待つ。
「大丈夫」
直人は即答した。
「任せるよ」
ティアナは一瞬だけ驚いた顔をした後、楽しそうに笑った。
「いいわ」
腕を組む。
「じゃあまず、この村がいくら持ってるのか全部出して」
翌日から、イルヴァナト村の金の流れが根本から変わり始める。
そして同じ日、直人はもう一つの神託を村人たちへ伝えた。
「これからイルヴァナト村では、人を奴隷として売ったり買ったりすることを禁止する」
広場が静かになる。
「俺は、人に値段が付くのが嫌なんだ」
それだけだった。
難しい理屈ではない。
この世界では当たり前の制度でも、直人には受け入れられなかった。
リシェラがその言葉を伝えると、ティアナは何も言わず神殿を見上げた。
その左手は、父から譲られた古い指輪を強く握っている。
「⋯⋯本当に、変な神様ね」
今度の言葉には、昨日とは違う温かさが混じっていた。
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