14話 奴隷商隊
翌朝、イルヴァナト村の南門前には人だかりができていた。
村へ入ってきたのは、六台の荷馬車と二十人ほどの護衛を連れた商隊だった。
荷台には穀物や布、鉄製品などが積まれている。
それだけなら珍しい光景ではない。
問題は、最後尾を進む二台の荷馬車だった。
鉄格子に囲まれた荷台の中に、十数人の男女が乗せられている。
全員の首には鉄の輪が嵌められていた。
(⋯⋯奴隷か)
神殿からその光景を見ていた直人は、何とも言えない不快感を覚えた。
知識としては分かっている。
ここは日本ではない。
身分制度もあれば、戦争で捕らえられた人間が奴隷になることもある。
この一年で何度か旅商人から話を聞き、この大陸で奴隷売買が珍しいものではないことも知っていた。
それでも、実際に人間へ値札が付けられている光景を見ると、到底受け入れられるものではなかった。
「神様」
祭壇の前にいたリシェラも、険しい表情で荷馬車を見つめている。
「あの方たちは⋯⋯」
「うん。たぶん奴隷だね」
リシェラは胸元の首飾りを握った。
彼女も嫌悪感を抱いているのだろう。
だが、商隊を追い返すわけにもいかない。
イルヴァナト村には、まだ自給できない物が多い。
特に鉄製品と塩は外部の商人へ頼っていた。
蜂蜜を売って得た金で、それらを購入する。
今では商隊との取引そのものが、村の生活を支える重要な要素になっていた。
商隊は広場へ入ると、すぐに商品を並べ始めた。
「帝国産の鉄鍋だ!これだけ丈夫な物は滅多にないぞ!」
「塩もある!布もあるぞ!」
商人の威勢のいい声が響く。
村人たちが次々と集まってきた。
そんな中、奴隷たちは荷馬車から降ろされ、広場の隅へ並ばされた。
「こちらも商品だ!」
太った商人が声を張り上げる。
「農作業のできる男!料理のできる女!読み書きのできる者もいる!」
直人の気分はますます悪くなった。
(人間を商品って⋯⋯)
何か言いたくなるが、今のイルヴァナト村に帝国の制度へ口を出せるだけの力はない。
ここはまだ人口千八百人ほどの村に過ぎないのだ。
直人は感情を抑えながら、奴隷たちを一人ずつ見ていった。
痩せた男。
幼い子どもを抱く女性。
足を怪我している老人。
(⋯⋯ん?)
一人だけ、様子の違う女がいた。
二十代半ばほどだろうか。
赤みのある栗色の髪を後ろで一つに結び、他の奴隷と同じ粗末な服を着ている。
だが俯いていない。
その琥珀色の瞳は、商人たちが荷物を運ぶ様子をじっと観察していた。
特に見ているのは、商品ではない。——帳簿だった。
(何してるんだ?)
直人は気になって意識を集中させた。
神力が増えたことで、以前よりも遠くの音を拾えるようになっている。
商人の一人が帳簿を持って歩いている。
「塩十二袋、鉄鍋二十、布三十反⋯⋯」
別の商人が確認する。
「蜂蜜との交換分は?」
「銀貨百二十枚相当だ」
その瞬間、女の眉が動いた。
「⋯⋯馬鹿みたい」
小さな呟きだった。
(え?)
直人は思わず彼女へ意識を向ける。
近くにいた護衛が聞き咎めた。
「何か言ったか?」
「別に」
「奴隷が余計な口を利くな」
女は肩を竦めた。
だが視線は帳簿から離れない。
しばらくして、商隊の代表らしい男が村人との取引を始めた。
「蜂蜜十瓶で銀貨十二枚分だ」
村人が戸惑う。
「前に来た商人は十五枚だったぞ?」
「今は相場が落ちている」
「そうなのか⋯⋯?」
「帝国じゃ蜂蜜が余っているんだよ。十二枚でも高く買ってやってる」
村人は困ったように蜂蜜を見る。
直人にも現在の帝国相場までは分からない。
神の目で見えるのは、この周辺だけだ。だが————。
「嘘よ」
また声がした。
先ほどの女だ。
商人の顔が強張る。
「⋯⋯何だと?」
「蜂蜜の相場は落ちてない」
女は淡々と言った。
「むしろ北部で不作があって、保存食用の需要が増えている。先月の帝都西市場なら、その品質で一瓶銀貨二枚近くになっていたわ」
広場が静かになった。
「ティアナ!」
商人が怒鳴る。
どうやら彼女の名前らしい。
「黙っていろ!」
「聞こえたから答えただけよ」
「誰がお前に答えろと言った!」
護衛が近づこうとする。
「待ってください!」
リシェラがその間へ入った。
護衛の足が止まる。
この村で巫女へ乱暴を働くことがどういう意味を持つのかは、外から来た商人にも知られているらしい。
リシェラは女を見る。
「今のお話、本当ですか?」
「ええ」
ティアナと呼ばれた女は即答した。
「ついでに言えば、その帳簿もおかしいわ」
「何?」
商人の顔色が変わった。
ティアナは顎で帳簿を示す。
「さっき塩十二袋と言っていたけど、荷車から降ろしたのは十一袋。鉄鍋は二十じゃなく十九。布は三十反あるけど、そのうち四反は水濡れして商品価値が落ちてる」
周囲の商人たちが慌てて荷物を見る。
「それから」
ティアナは続けた。
「蜂蜜十瓶を銀貨十二枚相当で仕入れて、帝国側で最低でも十八枚。輸送費を差し引いても十分利益は出る。相場が落ちているなんて話は完全な嘘ね」
「黙れ!」
商人が顔を真っ赤にした。
ティアナは怯まない。
「帳簿の計算も三箇所間違ってる」
「貴様⋯⋯!」
「一箇所はただの足し算の間違い。でも残り二箇所は意図的でしょうね。仕入れ値を高く記録して利益を少なく見せてる。税逃れでもしてるの?」
今度こそ、商人は完全に言葉を失った。
直人も驚いていた。
(⋯⋯全部、あの短時間で見たのか?)
帳簿を手に取ってすらいない。
横から数字を眺め、商品の数を数え、相場まで組み合わせた。
しかも恐らく暗算だ。この世界の教育レベルは、この一年で十分理解した。その頭脳は、この世界では異端と呼ぶに相応しいだろう。
直人は思わずリシェラに声をかける。
「リシェラ」
「はい」
「その人に聞いてみて。商人なのかって」
リシェラが頷く。
「神様からのお尋ねです。あなたは商人なのですか?」
ティアナの表情が初めて変わった。
「神様?」
「はい」
リシェラの瞳が黄金色へ輝いている。
ティアナは神殿の方角を見た。
もちろん彼女から直人の姿は見えない。
「⋯⋯元商人よ」
しばらくして答えた。
「帝国で交易をしていたわ」
「なぜ奴隷に?」
「役人と商人が組んだ価格操作を告発したから」
ティアナは自嘲気味に笑った。
「正しいことをすれば報われるなんて、子どもの頃に卒業しておくべきだったわね」
直人は黙って彼女を見る。
数字に強く、相場を知っていて、帳簿を読める。さらには商売の経験もある。そして不正を見て黙っていられない。
(⋯⋯欲しい)
直人の中で、はっきりとそう思った。
イルヴァナト村は豊かになった。
食料も増えた。蜂蜜という商品もできた。
だが、それをどう売ればいいのか。得た金をどう管理するのか。何を仕入れ、何を作り、どこへ売るのか。
直人には行政の経験はある。
しかし商売の専門家ではない。
(この人なら⋯⋯)
村をもう一段階、上へ進められるかもしれない。
その時だった。
「ところで」
ティアナが商人を見た。
「私の値段はいくらなの?」
「⋯⋯銀貨百五十枚だ」
「高いわね」
ティアナは鼻で笑った。
「私を仕入れた時は八十枚だったでしょう?」
商人の額に青筋が浮かぶ。
「輸送費と管理費だ!」
「一か月で七十枚?随分と高級な食事を食べさせてもらったみたいね。毎日硬いパンと豆だったけど」
村人の間から笑いが漏れた。
「それに私を帝国で売るつもりなら、その値段じゃ買い手が付かない。元商人で、役人に逆らって奴隷落ちした女なんて扱いづらいもの」
「⋯⋯」
「銀貨百枚でも売れ残るでしょうね」
商人が何も言えなくなる。
直人は思わず笑ってしまった。
(自分の値段まで値切るのか、この人⋯⋯)
「リシェラ」
「はい?」
「俺、この人が欲しい」
リシェラが固まった。
「⋯⋯え?」
「いや、変な意味じゃなくて」
「わ、分かっています!」
リシェラが慌てて首を振る。
「商人として、ですよね?」
「もちろん」
直人は改めてティアナを見る。彼女は、この村には足りないもの——金を管理する人間だ。
「買おう」
リシェラが目を見開いた。
「神様、本気ですか?」
「うん」
直人は即答した。
「彼女をイルヴァナト村で買い取る」
その神託が伝えられた瞬間、周囲の村人たちが一斉にざわめいた。
「奴隷を買う!?」
「銀貨百五十枚だぞ!」
「そんな金がどこにある!」
「神様は何を考えてるんだ!?」
当然の反応だった。
イルヴァナト村にとって、銀貨百五十枚は決して小さな金額ではない。
蜂蜜を売って少しずつ蓄えた、大切な資産だ。
それを一人の奴隷へ使うというのは、反対されるに決まっている。
それでも直人は考えを変えなかった。
(たぶん、この人は百五十枚なんかよりずっと価値がある)
いや——使い方次第では、その何倍もの富をこの村へもたらす。
直人にはそんな確信があった。
騒ぐ村人たちの中で、ティアナだけが黙っていた。
そして神殿を見上げる。
「⋯⋯変な神様」
小さく呟いた。
その口元には、ほんの僅かに笑みが浮かんでいた。
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