風に乗せて歌おう 18
見送りから戻ってくると、日々はまた静けさを取り戻したようだった。
修道院、高い塀、荷馬車、それに老修道女の別れ際の言葉。どれもがまた、暮らしの隅へと押し込められていった。
ただ、マーガレットだけはときおり、あの傷のついた銅貨のことを口にした。
教会から戻ってきたときだったり、修道院へ持ち帰る荷物を一緒に整理しているときだったり。急に何かを思い出したように、自分でかき集めた情報を私に話して聞かせる。たいていは、さほど大きな意味のないものばかりだった——どこかの封筒に、同じ銅貨を封蝋の印に使った跡があったとか、どこかでたしかに同じ銅貨を見かけたことがある、とか。
まるで粉々に砕けた壺のかけらみたいに、どれもこれもつながりが見えない。
本人もわかっているのだろう、そんな話が何かの役に立つとは限らないと。
そしてついに一度、私はこらえきれずに尋ねた。どうしてそんなに、その銅貨のことを気にかけるのか、と。
碗の口からゆっくりと立ち昇る湯気を見つめていた。
沈黙が、ずいぶん長く続いた。
「もうすぐ修道院に戻るからね」
まるで、できるだけ気楽な声で、何でもない小さなことを言うみたいに、そう言った。
「ここを離れる前に、クローズの何かの役に立てるなら……」
少しだけ間を置いた。喉の奥から、さらにもう少しだけ力を搾り出そうとするかのように。
「せめてそれがあれば、少しは気が楽になるから」
私は返事をしなかった。ただ卓の上で、陽の光が切り取った光と影が、少しずつ動いていくのを見つめていた。
かつて本がぎっしりと並んでいた棚は、一段、また一段と空っぽになっていった。
ある本は教会へ返された。何冊かはカレンのもとへ残された。
机のうえの紙も、きちんと整えられてしまっている……
私はいつしか、マーガレットのことを目で追うようになっていた。
道端の花売りの小さな屋台があると、立ち止まる。そして小声でつぶやくのだ。こんな花、きっとカレンは好きだろうな、と。
吟遊詩人の語りがあると、いつも人の輪のそばに少し長く留まった。まるで、一人も聞き手がいなければ、舞台の上の人があまりに可哀想だとでも思うように。
たぶん、にぎやかなのが好きなのだろう。けれど人が多くなると、私の手を引いてずっと遠くへ逃げてしまう。たとえその人混みに私たちが加わったところで、べつに混み合いもしないのに。
それから数日後の午後、マーガレットは早くから酒場の辻に立って待っていた。
この道の何もかもが、見慣れたものばかりだ。半分まで押し倒された木の柵は、いまだに誰も起こさないままだし、小道の同じ場所に、あの飛び出した石が変わらずにある。
「カレンは?」
「ああ。祖父が病気らしくてね。ここ二日は家で看病している」
それを聞くと、少し考えてから言った。
「私のところにね、前にソフィアからもらった卵があるの。ここ数日のうちに、届けに行くね」
「ソフィア?」
「そう、修道院の会計係よ。引き継ぎの最後の仕事で、こっちに来てるの」
「そうか」
「うん、最後のね」
身を寄せてきて、その肩が私に触れた。とん、と軽く押すように。
「そういえば、なんだかこうやって歩いて帰るのも、もう何度も何度も繰り返してきた気がする」
「たぶん……十回くらいか?」
「え、そう?たぶん、そんなに少なくないと思うけど」
「じゃあ二十回」
「ちがうでしょ」
「じゃあ、百回」
手で口元を覆って、笑い声をかき消した。
「そこまでは多くないと思う」
言い終えると、立ち止まり、あのずっと倒れっぱなしになっていた柵のところまで歩いていき、それを起こそうとした。けれど、秋も深まったあとの土はもうひび割れて乾いている。起こしたばかりの柵は、まだちゃんと根を張れないうちに、また倒れてしまった。
私もそばに行き、一緒に、ぐっと体重をかけて土を踏み固めた。マーガレットはあまり変わり映えのしない様子を見ると、しゃがみ込み、枯れ草のなかから枯れ枝を拾って、柵のわきの土をかき回した。
そうしてようやく、どうにかこうにか、その足場を落ち着かせた。ただ、そうしてまっすぐに立て直された柵は、どことなく傾いた十字架のようにも見えて、道端に立っている。それが、あの無数の「同じ」のなかにあった、たった一つの「違う」だった。
風が通りを吹き抜け、落ち葉がさらさらと音を立てる。
私はその場に立ち尽くし、目の前の、あの見慣れた姿を見つめながら、ふと老修道女の言葉を思い出した。
十歳で修道院に入り、何十年もの時を経て修道院を去り、それからもう一つの修道院へと向かう。老修道女はその話をするとき、笑ってさえいた。
ただ、あの穏やかに、なんでもないことのように語り終えられた一生が、私の胸の奥を、かすかに締めつけてやまなかった。
まるで、川のうえに落ちて、流れに押されるまま進んでいく、一枚の木の葉のように。
私とマーガレットは、また歩き出した。
風に乱される、その髪を見つめる。
スカートの裾をからげ、水の浮いた石畳を跳び越える、その姿を見つめる。
そのとき、一度も考えたことのない思いが、不意に胸をもたげた。
人の一生は、ただこうして、押し流されるように進むしかないのだろうか。
もし修道女でなければ、もし私生児でなければ、もし誰かの決めた筋書きどおりに進まなくてもよかったのなら。
私はふと、あの日のことを思い出した。私とマーガレット、それからカレンと三人で、町外れの花畑にいたとき、彼女が私に尋ねたあの言葉を。
「うーん……クローズは、私にどうしてほしい?」
……
おまえは? おまえ自身はどうなんだ?
私は息を吐き出し、マーガレットのほうへもう少しだけ近づこうとした。
私と彼女に必要だったのは、きっと最初から、答えなんかじゃない。
答えなら、とっくに誰かが彼女のために用意していた。
教会にも。
父親にも。
そして彼女自身でさえ、すでにその答えを受け入れてしまっている。
ほんとうに足りなかったのは、たぶん、たった一つの問いだけだ。
まだ誰も、彼女に投げかけたことのない問い。
マーガレット。
おまえは、どんな人生を、生きたいんだ。
私たち二人の歩みは、数歩のうちにいつしか重なり合っていた。風が通りの向こうから吹いてきて、地面の枯れ葉を巻き上げる。
私は隣を歩くマーガレットを見つめ、手を伸ばして、その腕をそっと引き寄せようとした。そのとき、彼女がふいに立ち止まり、くるりと身をひるがえした。私の手は服の裾をかすめただけで、何にも触れられなかった。
「そうだ」
何かを急に思い出したように、目の奥がほんの少し輝いた。
「思い出したの」
「何を?」
「あの銅貨のこと」
しばらく眉を寄せて考え込んでいた。「前に一度、教会の文書のなかで、どこかでこれに似たものを見たことがあるの。ついさっき、急に思い出したから、戻ってもう一度確かめてみたい」
私は少し呆けてしまった。「今からか?」
「うん」マーガレットは頷いた。「もし私の記憶が間違ってなければ、まだなんとか間に合うはずだから」
そう話すあいだも、風がマーガレットの髪をそっと揺らしていた。私はその姿を見つめ、ついに小さく頷いた。
「じゃあ、明日にしよう。朝になったら、辻のあの木の下で待ってる」
「うん」少し笑った。「また明日ね」
「また明日」
手を振り、くるりと背を向けて、教会のほうへ走り去っていった。
私はその場に立ったまま、それを見送っていた。
風が通りを吹き抜ける。
その姿は、ほんのわずかのあいだに、曲がり角の向こうへと消えていった。
私は知らず半歩だけあとを追いかけようとして、それから立ち止まった。
まあいい。
どうせ、明日もまた会えるのだから。




