風に乗せて歌おう 2
「クローズ」
ひそやかな呼び声に、私は思い出から引き戻された。酒場に残っていた数人の客の言い争う声が、一気に耳へ飛び込んでくる。
扉のそばの椅子から立ち上がり、声の主を探すと、外に立つカレンの姿が目に入った。
カウンターに頬杖をついてうとうとしている店主に目をやると、彼もカレンに気づいたらしい。あくびを一つし、もう仕事はないと確認すると、手で帰っていいぞという仕草をして、再び細めた目を閉じた。
私は慌てて立ち上がり、荷物をまとめて外に出た。
カレンはうつむいて扉のそばにしゃがみ込み、靴の先で地面の小石をそっとこすりながら、ぼんやりと足元を見つめていた。
私は声をかけず、同じようにしゃがんで、その視線の先を追った。
沈みかけた陽が、地面をあの子の髪に近い金色に染めている。傍らに増えた影に気づくと、カレンは首をかしげて私を見た。
「何を見てるんだ?」
私から先に口を開いた。
カレンは前を向き直り、地面の蟻の群れを指さした。
「荷物を運んでるの」
身を寄せて見ると、なるほど、指す先には長い行列ができていた。
あの胡麻粒ほどのやつらは、自分たちを見つめる二人の巨大な存在に気づいたら、いったい何を思うのだろう。
蟻にすっかり気を取られていると、一輪の花が視界に差し出された。
「今日のお花」
私は少し黙ってから、花を受け取った。
カレンは先に立ち上がった。普段より少し素早く、一緒に歩く時間を無駄にしたくないとでもいうように。私も続いて立ち上がり、二人で壁伝いにゆっくりとその場を離れた。
ふう……
酒場には見慣れない顔がずいぶん増え、家ではカレンからもらう花も、この前から何度か入れ替わった。すべてがいつも通りに戻っていくようだった。望みどおり、酒場の暮らしに逃げ帰ったとも言える。
違うのは、サシスが正式な手伝いになったおかげで、私もだいぶ楽になったことだ。違うのは、あれから毎日、仕事の後はカレンと一緒に過ごすようになったことだ。
そして違うのは、もうすっかり秋だというのに、いつまでも降り止まない雨がまだ降り続いているように感じることだ。
私たちは夕陽の下の野原を歩いていた。金色の麦畑を清らかな風が吹き抜け、実りかけた穀物の香りがほのかに漂う。一本の泥道が、麦畑のあいだをどこまでも長く伸びている。分厚い油絵のような暖色が、現実とは思えないほどにぼんやりと滲んでいた。
ぽつりぽつりと、鍬を振るう農夫たち。時折、籠を提げた婦人が道を通り過ぎていく。
前を歩くカレンは、折にふれて振り返り、私が遅れていないか確かめる。
彼女に感化されたのか、私はいつのまにかカレンの小さな世界に引き込まれ、言葉にされない、あの子だけの決まりごとに、知らず従っていた。
小さく頷いてその確認に応える。そうやって、私たちのあいだの静けさを保っていた。
速くなったり遅くなったりする足取りは、カレンの家の外にある花畑のそばまで続いた。
橙色の光の暈のなか、黒い影が花々のあいだに立ち止まった。
その視線に気づき、顔を上げて目を見つめた。
唇の端がかすかに震え、私たち二人にしか聞こえない声がこぼれた。
「クローズ」
私は息をひそめ、耳を澄ませた。ほんのわずかな吐息で、その言葉が吹き散ってしまわないように。
しかしカレンは続けずに、痩せた小さな手を振って、別れのしるしとした。
私が手を振り返したのを見届けると、泥道を踏んで、家へと駆け戻っていった。
祖父が、向こう側で静かに見守っている。私たちは最後まで言葉を交わさなかった。
私は背を向け、ゆっくりと自分の姿を、深まる夕闇のなかに溶け込ませていった。




