3. 突然、猫背になったバーブラ
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前述したように王子の婚約者、バーブラ・ストライド公爵令嬢は自宅で転倒して頭を打った。
幸いにも頭のケガは大事には至らず、拳骨ほどのコブができただけの軽傷で、そのコブも数日で完治した。
だがその日からバーブラはガラリと人が変わった。
以前の冷静沈着なバーブラではなく、高慢チキな態度は影を潜め、家族の顔や使用人を見る度に『ひゃい!』などと変な悲鳴をあげたり、返事もろくにせず、妙にオドオドして顔もよく赤らめた。
とくに侍従たちが驚いたのは食事だった。
バーブラは食事のマナーを忘れたのか、やたらガチャガチャと食器の音を立てて、食べにくそうにしている。まるで平民のような食べ方だった。
特に晩餐など、何本もあるフォークとナイフの使い方がまるでなってなかった。
フィンガーボールの水をゴクンと飲んだバーブラを見たメイドは卒倒した。
さらにバーブラの食事マナーを父親の公爵に指摘されると、本人もどうしていいかわからず、終いには人前で食事すらしなくなり、部屋に引き籠ってしまった。
「なぜだ、どうしたのだ!娘がおかしくなった!誰か医者だ、医者を呼べ!」
父親のストライド公爵は真っ青になって、すぐさま主治医にバーブラを|徹底的に診せた。
「公爵様、不思議なことですが、どうやらお嬢様は頭部打撲による一種の記憶傷害のようです」
「なぬ!記憶障害だと?」
「はい、全てではありませんが、部分的に記憶の欠落があるようでして、そのせいで貴族の所作や言動などを忘れてしまったのではなかろうかと……」
「なんと!!」
医師の診断を聞いたストライド公爵は、およよ……とそのばで軽い眩暈をおこした。
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数日後、バーブラの兄アンリはレッドフォード王子にその旨を伝えた。
「レッドフォード殿下、妹は転倒してから貴族の所作や食事、あろうことかダンスの踊り方まですっかり忘れてしまった。更に言動まで時折おかしくなって……ああ、なんたることだ!」
「所作や言葉遣いまでか?あのバーブラが? いや、それは信じられんな」
「そう思うだろう、だがな本当だ。ああ何より俺が一番嫌だったのは……」
とアンリが王子に嘆いたのは、バーブラの歩く“姿勢”だった。
記憶障害後のバーブラは、常にヨタヨタと猫背で歩くようになった。
※ ※
『ストップ!やめろバーブラ!ちっとも治ってないぞ!なぜそんな手長猿みたいな歩き方をする!──もっと以前のように背筋をシャンと伸ばして歩きなさい!』
『はい、お兄様──』
とアンリが注意すると、バーブラも一旦は背筋を伸ばして歩くのだが、すぐにダランと猫背になってしまう。
変な癖がついてるのか、これがなかなか治らなかった。
何度となくアンリが注意しても、バーブラの猫背は治らなかった。
そのまま背骨を曲げて、ヨタヨタと歩き続ける。
『おお、なんたることだ、常に氷山の如く上を向いて、女王のように闊歩していた我が妹が!!』
そのぶざまな姿を目にしたアンリは、天を仰いだ。
『これではまるで、腰を曲げて歩く老婆そのものじゃないか!』
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──ふふ、確かに。
腰の悪い老婆とは言い得て妙だ、アンリは中々うまいことをいう。
レッドフォード王子はアンリの言葉を思い出して、ククッとほくそ笑んだ。
──確かにバーブラの歩き方は老婆と見間ごうてもおかしくない。いったい……
とはいえレッドフォード王子は、目の前で落ち込んでいるバーブラが少し気の毒に思えた。
「バーブラ、そんなに落ち込むな。言葉遣いも猫背も、記憶を失ったのなら仕方があるまい。──だが、君の最後の言葉だけは、僕は少し引っ掛かる」
「え、最後の言葉ですか?」
バーブラは、顔をあげてレッドフォード王子を見つめた。
「そうだ、物語がスムーズに運ばないと君は言ったね。それはどういう意味だい?」
王子が質問をした途端、バーブラの顔はパァッと晴れやかになった。
「はい殿下!お答えしますわ、この世界は信じられないでしょうけど、現実ではなくて物語の中なんです!」
「はぁ?」
王子はバーブラの言葉に目が点になった。




