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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち  作者: 稿 累華
第17章:魔法が使えない魔導師─後編─

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332話:シェイラとイディオン

 イディオンが、呼んでいる。

 何度も何度も、シェイラの名前を繰り返している。


 頬に、落ちるものを感じた。ぽたっ、ぽたっ、と恵雨が降り注ぐようなのに、それでも、シェイラはそこに手を伸ばした。


 ──泣かないでください。


 あなたに泣かれると、わたしは、いつも困ってしまいます。


 シェイラは、薄く、まぶたを開く。紫苑ザクラの香りを運んでくる風に、ほどけた銀の髪が揺れている。背に、螺鈿から移ろった花片が舞っていた。


「シェイラ……っ」

「イ、ディ……さ」


 シェイラが視線を向けると、イディオンは縹の瞳から、次から次へと涙を流していた。

 青年になってからはじめて見る泣き顔に、シェイラは残りの力を振り絞った。ほんとうに、わずかな力しか残っていなかった。それで、最後に祈りを伝えられたらいい。


「泣か……ない、で」

「シェイラ……!」


 イディオンがシェイラの頭を引き寄せる。

 抱え込まれると、針葉樹のにおいがして、どうしようもなく心地よかった。シェイラも、やっとの思いで、わずかに抱擁を返す。


「悲しま、ないで……」

「いやだ……っ、やだ、だめなんだ」


 駄々っ子のような言い方にシェイラは苦笑する。


「わたしの、〈命脈〉は……もう、尽きます……」

「……いやだ」

「どう、しようもない……」

「ぼくは、まだ、約束を果たせてない! 南瓜のとろみ汁(ポタージュ)を作るって約束した……っ」


 イディオンの台詞に、シェイラは顔をくしゃっとさせた。


「ごめん、なさい……守れ、なくて」

「シェイラ、なんで、……諦めないで。ぼくは……、ぼくは、ずっと──」


 イディオンが泣きながら言おうとすることに、シェイラは笑う。


「ずっと……、わたしの寿命に、ふれないように……してきてくださった?」


「…………」


「なぜ……ですか?」


「あなたから、言ってほしかったんだ」


 イディオンは、顔を拭った。青年の顔つきになる。


「あなたに、心から望んでほしかったんだ」

「なにを……?」


 シェイラは、自分のなかに象られているものを意識する。それを取り上げようとしたところで、イディオンから手を取られた。



「ぼくが、魔法を使う理由を知っているか?」



 シェイラは虚を衝かれて、ゆるゆると首を振った。


「……いいえ。教えて……くださる約束、でした」


 再会の約束に、それを含ませたのは、シェイラだ。

 イディオンは、シェイラの両手を取ると、覚悟を決めたようにぎゅっと力を込めた。



「──あなたの、未来を(かたど)るために」



「え……?」



「生きることを諦め、未来を諦めてしまったあなたの道を描くために、ぼくは魔法を使うと決めた。それが、ガザン老師に問われた、ぼくの答えだった」



 イディオンは、つづける。


「ぼくは、それを……あなたに押しつけたくなかった。ぼくの望みだったからだ」


「…………」


「ぼくは……あなたに生きていてほしかった。あなたの未来と幸せを表象したかった。五年近く前、あなたがこれに祈りをこめてくれたように」


 イディオンは、黒い手甲を見やる。


「でも、わかっていたんだ」


 イディオンの目に、また涙が滲んだ。


「あなたは望んでない。生きることも、未来も望んでないと……。自分がかつて願ったことを後悔もしていなくて、殉ずる気持ちでいることを……わかっていた。だから、言いたくなかった」


 かつての願い。


 ──ヴィクトルの隣に、ただずっといたい。

 それが少女の頃の、ほんとうの願いだった。


「どうしたら、あなたが未来を考えてくれるようになるのか、生きることを望んでくれるのか……わからなかった。再会しても、わからなくて……ただ、ぼくには隣にいることしかできなくて……」


 涙がまた、落っこちてくる。


「でも、隣にいたら……、ぼくはまた、ずっとあなたにいてほしくなった。ぼくの隣にずっと、いてほしくて……それで……」


 イディオンはまた顔を拭った。


「これはもう、ぼくの望みでしかない」


 シェイラを見つめる。


「それでも、描きたい。あなたの未来を」


「……イディ、さん」


「考えた。どうやったら、あなたの未来を……どうしたら代償を払った〈命脈〉の呪いに代わるか。あなたのかつての願いを無駄にせず、どう置き換えればいいか、考えた。どんな〈ゆえある裂け目〉があれば、表象できるか」


 イディオンの視線は強かった。



「──二十年、ぼくはあなたの未来を描ける」



 イディオンは、そうして腰からひとつのファル石を取った。

 紅いファル石。金の光がところどころ脈打つように輝いて、透明な瑪瑙のような石だった。


「ヴィクトル王太子から預かった。シェイラに返したい、と。これで、八年」


 シェイラは驚く。ヴィクトルの強い意志を感じられる輝きに、その石を見つめる。

 それから、とイディオンはつづけた。


「ぼくの寿命を半分削って、十二年。足して、あなたに二十年あげられる」

「イディさん……!」


 シェイラは声を上げたが、イディオンはかたく首を振った。


「どうせ、ぼくは長命だ。仮に六百年あったとしても、三百年になるだけで、大差はない。もとよりあなたに導いてもらった道だ。あなたがいないなかで、そんなに長く生きていたいとも思わない」


「です、が……!」


「聞いて、シェイラ。でも、それだけじゃ魔法を描くのに足りない。足りなかった。足りないと……ぼくは思ってしまった。あなたのかつての願いを無碍にしないためにも、この魔法を表象するためには、ひとつ、〈ゆえある裂け目〉が必要だ、と」


 イディオンは、唇を噛んだ。



「──あなたは、魔法を失う」



 シェイラは、はっとした。


「〈命脈〉を失う。魔法が使えなくなる。代わりに……二十年、未来を象ることができる」


 イディオンは、苦痛をたえるように言って、視線を逸らす。


「でも、これは、あくまでぼくの望みなんだ。シェイラが望まなければ……、もし望まないで、このままを選ぶなら──」


「そうしたら、イディさんは……泣き、やんで、くださいますか……?」


 シェイラは、吐き漏らすように尋ねた。

 涙に濡らすイディオンの頬を両手で包む。



「そう……したら、あなたの、隣に……いられますか?」



 イディオンの顔が歪んだ。


「ああ……」


 シェイラの手に手甲が重なる。

 頬が寄せられる。


「ぼくの隣は、ずっと、あなたのためにある」


 シェイラは、イディオンの顔を見て、まぶたを閉じた。


「でしたら、わたしは……」


 自分のなかにあるものを感じる。

 シェイラは、青金色の目をゆっくりと開く。


「わたしの望みは──」



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