331話:黎明の空
リマスは、空から散り落ちるものを目にしながら、自分が竜と重なるように、朧に散っていくような気がしていた。
なんと、虚しいのだろう。
どれだけの時間をかけ、犠牲をはらい、準備してきたと思っているのだろう。汚濁を啜ってきたのと思っているのか。
それほどの代償を払って、結果、リマスは多くの仲間を失った。彼らに黎明をもたらすことができなかった。
リマスがやってきたことは、無駄骨でしかなかったのだ。
(僕たちは……)
世界から不要だと判断されたのだ。
「勝者は……理想主義者か」
体中に浮かび上がる脈の呪いを見て、リマスは自分を嘲る。
「団長……」
横にいるフランが、つぶやいた。
「今、外は、どのような景色ですか?」
「そうだね……」
リマスは、荒れ地だった場所を見渡す。
秋晴れの空に、花びらが舞い、濃い緑が茂って、風に揺れている。
「美しい光景だよ」
リマスは、返す。
「色がいっぱいあって、まるで春のようだ。この凍えた大地には似つかわしくない、春が訪れている」
「そう、ですか」
フランが揺れる長い白い髪を押さえつける。
「ありがとうございます」
「なんだい、急に」
礼を言うフランに、リマスは怪訝を覚える。
「団長がいてくださってよかったと思ったのです」
「なぜ」
「おかげさまで、見えないものを感じることができますから」
フランの答えに、リマスはゆっくりと黒目を見開いた。自分の呪いだらけの体に、わずかに沁み込むような、なにかだった。
「……そうか」
「はい」
フランはほほ笑んでいて、草花の香る風を感じているようであった。
リマスはわずかに口角を上げて、俯く。
「──団長」
ぼろぼろになった戦斧を背負ったマーロだった。
この男が、さきほどまで蟲を狩っていたのをリマスは知っている。シェイラとイディオンのほうに蟲がいかないように、戦場を駆け抜けてきた鋭い嗅覚で、軌道上の蟲を狩っていたのだ。
リマスは、ちらっとマーロを見上げる。
それから、重い腰を上げた。
「帰ろうか」
リマスは、見えないフランの手を取って立たせてやる。
「みんなの弔いをしよう」
地上に墓を作ろう。
リマスは、言った。
「黎明の空を見せてあげなければね」
──呪いは、決してなくならないだろう。
今を生きていれば、自分たちのように請け負う人間は必要だ。人が人であるかぎり。
(だが……)
リマスは、もう一度、空を見上げる。
「後ろ暗くないというのは、気分がいい」
それが魔法なのだろう。
リマスは、なんとなく、教え子であるシェイラに、そう教わった気がした。
〜*〜
ひばりは、竜が桜の花びらになっていくさまを、ヴィクトルと見上げていた。サルオンから下ろされた場所は、倒壊の恐れがない平地で、横たわったヴィクトルの隣に、ひばりは膝を折って座っていた。
遥か高い空では、その魔法を使ったシェイラとイディオンの姿が見える。ふたりが、成し遂げたことを見ても、どこかそれは、遠いできごとの気がした。
ひばりの頭はやはりくぐもっていて、失くしたものは空っぽなままだった。
花香るさまを、ぼうっと見つめる。
「……やられたな」
はは、とヴィクトルが乾いた笑いをした。{修復}を受けた彼は、片腕と血を失って、顔色が悪かった。{治癒}があればよかったけど、ひばりの盗られた魔法は戻ってこない。
(それでも)
無事でよかった、と思う。
「どうかしたの?」
ひばりが、ヴィクトルに尋ねると、また乾いた笑いが返ってくる。
「覚えているかい?」
「なにを?」
尋ねているのに、なぜか質問される。
「君が、五年前に言っていたことだよ」
「わたしが言ってたこと?」
ヴィクトルは語った。
五年前にガルバディアを訪れ、〈姑悪〉に襲われたイディオンを助けに行った。そこで、シェイラと再会し、ヴィクトルがその件をひばりに詫びた夜の話だった。
「君は、私の愚かさをあの時も許してくれたな」
「……だって、事後だったし」
「それは少し……言い方があまり、ではないか?」
「そう?」
「人聞きが悪い」
「そうかなー?」
「私が浮気しているようだ」
「浮気してたじゃん」
「…………」
「そこは否定してよ!」
ひばりは、ヴィクトルを叩いた。
痛っ、と声が聞こえてくる。失くなった利き腕が傷んだのかもしれなかった。
「……それでだ」
ヴィクトルは左手で右手の付け根をさすりながら言う。
「君は、あの時、言ったんだ」
シェイラは、絶対に、イディオンに狙われていると思う、と。
「わたし、そんなこと言ったっけ?」
ひばりは、自分を指さして目をぱちぱちとさせた。
「言っていたとも」
「ええー」
「胡座をかいていると、横から掠め取られるとな」
「そうだっけ?」
うーん、とひばりは首をかしげて、それから、ぱっと頭に電球がついたようになった。
「思い出した! 言った言った!」
「それでだ」
「うん」
「ほんとうだった」
「ん?」
「ほんとうに掠め取られた」
ヴィクトルは、真顔だった。ひどく落ち込んだ、失恋した男の顔だった。
ひばりは、それをまじまじと見て、それから、声を上げて笑った。
「なにそれー!」
「やられた」
「シェイラさん、取られちゃったの?」
「見事にな」
「だから、女の勘は当たるって言ったじゃん」
ひばりは、おかしくなって腹を抱えた。久しぶりにこんなに楽しくなった気がする。
笑いが痙攣を起こしたようになって、ひばりはしばらく止まらなかった。目尻に涙が浮かぶ。
「残念でしたねー」
「ああ……」
悄然とした男の声に、ひばりは、よしよしと声をかけた。
「仕方ないから、このひばりさまが慰めてあげましょう」
「恩に着る」
「えへへ」
ひばりは、ほんとうにヴィクトルの頭をなでてやった。
そうすると、紅い双眸がひばりを見てくる。
「こういうので、いいのかな?」
「ん……?」
首をかしげるひばりに、ヴィクトルが言う。
「他愛のないのが好きだと言っていた」
ひばりは、はっとした。
くぐもっていたものが、上空の霧の晴れた空になっていく。
「他愛のないのがいいと言っていっただろう?」
ヴィクトルの組紐と、ひばりの組紐が、線でつながったようになった。思い出される。願ったこと。望んでいたこと。
ひばりの、ほんとうの願い。
──また、ヴィックと、他愛のない話ができますように。
■■■■■──他愛のない関係。
ひばりは、両手で口元を抑えた。不意打ちに、栗色の両目から雫が落っこちる。
「覚えてたの……?」
「……ああ」
「くだらないことだったのに」
「覚えていた」
ヴィクトルは、失恋していたが、それでもすっきりとした顔で返事をした。
「私も、他愛のない話に救われていたんだ」
ヴィクトルの言葉に、ひばりは、わあっと泣いた。みっともなく。血だらけの体に、泣きつく。
「ヴィックのばかー」
「すまない」
「あたし、ずっと寂しかった」
「ほんとうにすまない」
「今度は、寂しい思いさせないでよ」
「……ああ」
約束する、とヴィクトルは言う。
涙を流すひばりの頭を、ヴィクトルが片腕でなでる。
「他愛のない家族を築こう」
それが彼の叶ってない願いなのだろう。
「君と、あたたかい家族を築きたい」
「……うん」
ひばりは、肯いた。
この、実は寂しい人に、笑いのあふれる家族を作ってあげたいと、心から、そう思った。




