330話:最後の祈り
フランの{隠匿}の範囲を越えると、朧竜が吐く〈魔導霧〉から蟲がシェイラたちに向かってくるのがわかった。
イディオンが閃光で撃ち抜いていく。
「このままじゃ、埒が明かない」
イディオンのつぶやきに、同意であった。
シェイラは今、魔力が枯渇している。シェイラのひらめきは、イディオンと協力しなければ実現できない。蟲を相手にしている暇はない。
そのうちに、〈水蛇〉や〈姑悪〉などが湧いてくる。おそらく、〈蒼鷹〉なども現れる。
シェイラが焦りを覚えているところで、下から突き上げるようにして剛腕が、鳥型の蟲を殴りつけていった。
剛腕の魔導師セベスタ老師と、彼を乗せているのは、巨人になった小人のエテルーネ・ファブロ老師であった。
つづくように、瓦礫を除けて、パレ老師や、フェノアやラムルらの姿が見える。ロゼイユ城砦跡からは、サルオン老師が極大の手術魔導具を操って、こちらに向かっていた。浮遊要塞のような魔導具の縁には横たわったヴィクトルと、彼のそばにヒバリが見える。
フェノアの玲瓏とした{拡声}した声が聞こえる。{魅了}の乗った声は、きーんとして、シェイラは上空から耳を塞ぎたくなった。
シェイラが眉をしかめているそばで、今度はイディオンが不機嫌な声を出す。
「スヴェリ」
「……うっす」
まもなく、ぼろぼろになったスヴェリが{転移}してくると、イディオンは憮然と命じる。
「ぼくたちは、朧竜に用がある。下にいる老師たちに、少しのあいだ蟲を足止めしてくれるように伝えてきてくれ」
「え、死に体の俺がやるの?」
「お前がやれ」
「俺、出血で死にそうなんだけど」
「死んでもいいから行ってこい」
「ひでえ」
「使いっ走りの役目を果たせ」
イディオンにそう言われると、スヴェリは飄々と{転移}していった。
その姿を認めて、シェイラはほっと息をつく。
「よかった……スヴェリさん、無事だったんですね」
「……あいつの心配なんかしなくていい」
「どうして、ですか?」
「どうしてもだ」
むっつりとするイディオンに、シェイラは食い下がる。
「妬いているみたいですね?」
「は?」
「イディさん、妬いてるんですか?」
シェイラは、イディオンに運ばれながら、くすくす笑った。
「かわいいですね」
「かわいいって言うな」
「では、愛らしい?」
「シェイラ!」
イディオンが怒った。
久しぶりに、からかってしまった。最後のご褒美だと思ってもらいたい。
ひとしきり笑ってから、シェイラはイディオンの結われた銀の髪にふれる。
「うれしいです」
きれいな銀色の光だ。
シェイラは、下ろしている時が好きだった。
「妬いてくださって、うれしい」
髪を指で梳きながら、そう告げる。
イディオンが驚いているうちに、竜のそばまでやって来た。腐ったあまい吐息が、螺鈿の鱗を光らせる巨躯から放たれている。
残った力でイディオンから離れ、翅を開く。
漆黒の手甲のはまった両手を取って、手首の組紐を確認した。きっと、首元には昔あげたラリシャ銀のお守りも下げてくれている。
シェイラは、幸せを、噛み締めた。ずっと積み上げてきた野石が、こんなにもあふれてくるとは思っていなかった。
喜びを胸に、願う。
「イディさん、魔力を貸してください」
シェイラが力を入れると、イディオンが肯いた。
「ああ、頼んだ」
やがて、重ねた手から、青銀の魔力が、シェイラの枯れた〈命脈〉に流れ込んできた。あたたかくやさしい、澄んだ香りがする。
──雪原の針葉樹。
いつか、潜り込んだイディオンの心象風景。
その魔力香がする。まぶたを閉じれば、砂岩の城が見える気がした。銀砂の砂岩は輝いて、栄光を放っている。顔のない人形模型は、やがてイディオンの顔になって、その頭に冠を戴き、王者の外套を背負う。
シェイラは、謳うように、その呪文を紡ぎあげる。折しも、パレ老師の竪琴の音が重なって、優雅な調べとなった。
「──其よ、朧の竜、聞くがよい」
シェイラは、歌う。奏でる。
ユベーヌの旅唄の旋律を、思い出す。
「我らの祈りを、知るがよい」
あれは、ユベーヌからノザリアンナへの祈りの歌なのだ。
罪を償うのではなく、友情の歌だ。
シェイラは、その友情も、届ける。
「──落ち着きのない子」
シェイラは、そうして、はじめた。
落ち着きのない子は、恩を忘れず、
規律正しい師は、其の善を識る
大人しくて目立たない娘は、友を思い、
笑みを紡ぐ師は、彼女に笑顔を与う
空気の読めない孤児は、決断に富み、
読みすぎる師もまた、果断を得る
シェイラの紡ぎはじめた呪文と歌に驚いたのは、目の前にいたイディオンであった。
歌に導かれた魔力はふたりの足元に水紋を描き、イディオンの叙任式を思い出した。青銀がシェイラに入り、シェイラのなかを通って、白縹の色になり、足元から雫が落ちる。落ちた雫は、波紋となり、そうして、描いていく。
ついてくる少女は、匠の心を持ち、
熱血の師は、往時を想う
「──できそこないの王子」
シェイラは今までで一番の想いを向けた。象られてきたものが、すべて滲む。
「できそこないの王子は、努めて、なお、やさしく……」
間を、置く。
「……魔法が使えない魔導師の、心を癒やす」
イディオンが不思議そうにシェイラを見つめる。
シェイラは笑った。唱えた。
今までやってきたこと。手間をかけてきたこと。それが自分のなかを通って、魔法になる。
竜に込められた最後の祈り〈ユベーヌのまじない〉と呼応する。
白縹の光が、輝きを増す。
我らはともに識り、
互いに衝きながらも、解を示す
手間を惜しまず、信を重ね、願いを結び、
かくして魔導へ至る道を示す
「魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の、師と教え子たち」
シェイラは、語り歌った。
きっと、自分はこの祈りを逆算するために、歩んできたのだと思った。
我らの物語は、其の証
魔導へと至る、其の証
「──ゆえに、」
シェイラは、強く声音に力を込めた。
「朧竜よ、識れ。
我らが祈りを聴け。
魔導への道は、我らがここに示す。
其の役目、今ぞ尽きぬ。
散れ、朧の竜」
シェイラは告げる。宣言する。
「──我らが祈り、其を散らす」
瞬間、青銀の魔力が渦潮となって、シェイラとイディオンを巻き込む奔流になった。
視界が、一気に光輝でいっぱいになる。
目を開いていられない。
周囲一体を、限界まで白銀の光をたたえて、竜の巨躯が明滅する。
そうしてやがて、光量が弱まっていった。
シェイラとイディオンの周りに収束していく。
朧竜の叫びが木霊した。空間をつんざくような悲鳴だった。
シェイラは束の間、恐怖を覚えた。蒼白になったところで、イディオンが竜を指差す。
「見て」
鱗が、一枚、剥がれ落ちていた。
螺鈿の光を煌めいたあと、ひらっ、と剥がれ、落ちていく。
ひらひら、と舞う。一枚一枚、螺鈿は花びらになる。ゆっくりと、流れ落ちていく。
がこんっ、と鈍い金属の音がした。竜の背や腹から、魔術歯車が飛び落ちる。下降しながら、とけるように、やがて花びらになった。薄い紫の花片。紫苑ザクラの花びらが、雪片のように降り落ちる。
大気に塵が輝き、水滴が落ちる。
雲間に、薄明の光が射し、筋となった線が、割れた大地に注ぎ、緑と成った。
蒼穹には、淡紫の花が吹雪となって舞う。
竜が、滅んでいく。
霧が、晴れていく。
シェイラとイディオンは、きっと、同じ時を思い出していた。
──ふたりで、魔法を成功させた日。
はしゃいだ、あの日。
シェイラの両目からは、いっぱいにあふれたものが、次から次へと零れ落ちた。空には、いっぱい、これまで積み上げてきたものが紙吹雪となって舞っている。
イディオンが、そばでシェイラの目尻を拭った。
シェイラは、得意げに見上げる。
「ほら、うまくいったでしょう?」
イディオンが破顔する。
「答えは、シェイラのなかにあった?」
「はい」
「ほら、やっぱり」
イディオンは、にかっとした。
「ぼくの言った通りだったろう?」
シェイラは、涙を拭って、つんとした洟も見せないようにして、花吹雪に笑む。
「……うん」
花びらに負けない、一番の幸福を見せる。
(ああ……)
ふうっ、と息を吐き出すと、シェイラは力を抜いた。
──満足だ。
ゆるやかに、体から力が抜けていく。張っていた気がゆるむと、シェイラのなかに残るのは、ただ幸福と喜びだけだった。まぶたを、閉じる。
(わたしは、だれよりも……)
──幸せ、だった。
そして、シェイラの体からは力が抜ける。落下する。
イディオンが、悲鳴をあげるように、名を呼んだ。




