329話:マーロ
マーロは、惨状になにも感じることはなかった。
荒れ果てた野が、さらに荒れ果てようが、興味はなかった。
──希望は、潰えた。
マーロがやって来たことは、やはり無駄で、なんの意味もないことで、思考実験でしかない絶望の未来であった。
それが、証明された。
雷氷が落ちるなか、マーロは吐き出した白い息を見る。大地は蠕動し、呪いを扱った騎士たちは皆その肉塊に喰われて落ちていった。まもなく、マーロも呪いを受け容れた結果、喰われる。
「……マーロ・スパン」
堕ちた尖塔に腰かけていたマーロのところにやって来たのは、飛翔したシェイラとイディオンであった。
女のほうはつい先刻まで殺り合っていた。団長と同じ命を削る茨が体中を這っている。
その目に絶望がないことを、マーロは口角を片方上げて、嘲笑った。
「みんな、死んだ」
上級騎士は、マーロ以外、全員死んだ。惨殺屋の少女メリルは助けようとしたが、彼女は噴き出した溶岩に呑まれてしまった。哀れな子であった。マーロが助けた、報われるべき子であった。彼女は親に恵まれなかっただけだった。
──マーロも、マーロの娘からしたら、ろくな親ではなかっただろう。
大地の魔法が使えなくて、学園でいじめられたのがマーロの娘だった。マーロが街の英雄だったからこそ起きたいじめだった。平民からの成り上がりを許せなかった者が、自分の子たちを使って起きたいじめだと、あとになって知った。
その時、マーロは選択を誤った。
より戦果を出せばいい。まもなくマーロは、戦績から、魔導師に叙されることが決まっている。魔導師になれば、破格の給金も出る。そうしたら、こんなごみのような人間しかない街は捨てて、どこか住み心地のよい街に移り住めばいい。
娘を救い出すのはそれが一番だと、思っていた。
ところが、マーロが、魔導師叙任の内定を持ち帰って家に帰宅すると、娘は自害し、妻は狂乱していた。
「どうして、一度でも、わたしたちのことを顧みてくれなかったの……っ?」
血走った目をした妻を見たのが最後だった。妻もまた死んでしまった。
マーロは、それからすべてがどうでもよくなった。
〈気高き魔女の騎士団〉に入団したのが、最後の希望だった。
「かわいそうに」
リマスはそう言って、マーロの境遇を不憫がった。ばかにされているとわかって、その言葉に乗った。
「僕たちは呪いを受け容れる代わりに、黎明をもたらすんだ」
そうだ。マーロが、やったことも同じのはずだ。妻と娘のために、自分は戦場を駆けた。斧を振るい、〈蜻蛉〉の毒を受けても、這い上がった。
──リマスの大義が叶えば、かつて夢見た家族との新しい生活が望めるような気がしたのだ。
「終わりだ。黎明は来ない」
夢は、叶わないのだ。
マーロの家族は、二度、失われた。
「来ますよ?」
絶望を吐くマーロと異なり、女の魔導師シェイラータは、凛と言った。
その瑠璃の目には、星が宿っていた。
「……周りを見ろ。現実を知れ。もう、死に絶えている」
生き残りはどれだけいるだろうか。狂った竜は、今にもまた咆哮を上げ、サージェシア大陸全土に無限に霧を吐こうとしている。
訪れるのは、黄昏であった。
「いいえ、来ます。わたしたちが、必ず導きます」
シェイラの言葉に、マーロは唾を吐いた。
「今にも死にそうなやつが言う台詞じゃねえな?」
「そうですか?」
「お前、死ぬだろう。団長と同じ呪いだ」
シェイラはそれでも笑みを崩さなかった。
「ええ。でも、希望はあります。未来があるんです。だから、わたしは絶望しません」
「……虫唾が走る」
「マーロ・スパン。あなたの、ほんとうの願いはなんだったのですか?」
出し抜けにシェイラがそう問うてきた。隻眼ごしにマーロは、太い眉を寄せる。
「あなたが願った黎明は、ほんとうは、なんだったのですか?」
ふいに、耳管の奥で、死んだ娘の声が聞こえた。
「おかえり、お父さんっ」
小さい頃、娘はよくマーロに飛びついてきた。二の腕で持ち上げると、きゃーきゃー言って喜んだのだ。
「あたし、お父さんが大好き。かっこいい、みんなの英雄で、あたしの大英雄なの。片眼しかないところが最高!」
大きくなったら、お父さんと結婚する!
それが娘のよく言う台詞だった。妻の作った、酢漬けと腸詰め肉の菜汁を口にしながら、親ふたりで娘の台詞を笑う。そういうあたたかな、どこにでもある家庭であった。
──その生活を、取り戻したかった。
マーロは、閃光のように込み上げてみたものに、乱されることはなかった。
人を殺め、呪いの代償としてきたマーロにはもう、込み上げる水はなかった。それは、他に死んでいった上級騎士たちも一緒だ。
犠牲をよしとしてきた者たちには、曙光は似合わない。
マーロは、闇の七色を描く空を見てから、横に放った折れかけの戦斧を持ち上げると、シェイラたちに背を向ける。
「……好きにしやがれ」
捨て台詞を吐く。
マーロは、臙脂色の長外套を翻すと、そのまま荒野へと消えていった。




