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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち  作者: 稿 累華
第17章:魔法が使えない魔導師─後編─

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328話:手間をかける意味

 シェイラとイディオンがその場から離れてすぐに、後方で激しい倒壊の音が響いた。


 シェイラは、イディオンに抱かれながら、その音を瞑目して胸に刻む。飛翔するイディオンは後ろ背にも振り返っていなかった。彼のなかでは、すでに乗り越えたことなのだろう。


(強くなりました)


 見上げながら、シェイラは五年前を思う。母の発言に傷つき、父母の関係に暗いものを持て余していた少年の姿は、もうどこにも見当たらなかった。

 シェイラは、そんな青年の顔を、心から誇らしく、同時にかなしく思う。


(わたしが……)


 突き上げてきた象られた願いは、叶わない。

 シェイラの今一度の願いは、叶わない。


 皮膚下に完全に浮かび上がった線上文字と、気怠く今にも力を失いそうな体を感じながら、かなしみが満ちていく。

 それでも、シェイラは顔を上げた。眠気を感じながらも、奮い立たせるようにする。


(大丈夫)


 シェイラはもう、絶望しない。

 イディオンとまた、会えた。再会の約束を、果たせた。

 だから、シェイラは、なにも思い残すことがない。


(あとは……)


 ──朧竜を倒すだけだ。


 それだけを、胸に宿す。


「シェイラ、あれ」


 シェイラの体を抱えながら飛翔していたイディオンが、眼下を示す。シェイラも視線の先を見下ろした。


「……先生」

 瓦礫の山に、リマスと、副団長のフランの姿が目に入る。


「降りるか?」

「……はい」


 返事をすると、イディオンは霧を払いながら、降下していった。

 シェイラは、イディオンに支えられながら、リマスに対峙する。頭を抱えるリマスに、シェイラが言うことはひとつしかなかった。


「──かわいそうです、先生」


「黙れ……っ!」


 きっ、とリマスの顔が上がった。

 シェイラは、静かに言う。


「……これだけ時間をかけて犠牲を払ってきたのに、報われなかったのですから。わたしは、心から先生をかわいそうに思います」


「わかったような口を利くな」


 リマスは、よろりと立ち上がった。死体が起き上がったように、リマスはシェイラに這い寄る。

 前に立とうとするイディオンを、シェイラは止めた。

 リマスの澱んだ黒目を、シェイラは覗き込む。


「いいえ。先生……わたしはたぶん、だれよりも先生の気持ちがわかります」

「でたらめを……」

「……自分の命を代償としても、呪いを受け入れたとしても……、叶わない願いは、叶わないのです」


 シェイラは、諦念を口にする。


「呪いでは、未来は……描けません」

「…………」


「さようなら、先生」


 シェイラは、踵を返す。


「またすぐに、峡谷の岸辺でお会いしましょう。……師匠と一緒に、今度はお相手します」


 じゃりじゃりっ、と砂礫を踏みしめて過ぎ去ろうとして、シェイラは、フランという名の副団長の前で足を止めた。

 盲目の女は、シェイラがいることを察したようだった。


「私に御用ですか?」


「あなたは……なにを代償にされたのですか?」


 シェイラたちをこれまで妨害してきた{隠匿}の使い手は、この女だろう。イディオンの表象魔導でしか突破できなかった{隠匿}は、代償を払った魔術のはずだ。

 命が尽きようとしているシェイラは、女の話を聞いてみたかった。


「虹です」


 フランは、てらいなく答えた。そこにはもう、希望の塵芥も残っていなかった。


「虹の目を代償として、化け物になりました」


 シェイラは驚く。それから、少し前に女王国を訪れた時に出会った少年オランの姿が思い浮かんだ。女との共通点をさぐった。顔に似通った部分があるか思い出し、見定めて、それでもわからなかった。


 逡巡して、口を開いたり閉じたりして、言い淀む。

 シェイラの肩を押したのは、横にいるイディオンだった。



「──精霊女王の国でオランという少年に出会った」



 シェイラが見上げるのと、フランという女がはっとするのは同時だった。


「彼は、皆がいやがる道案内の仕事をしていて、ぼくたちを女王国の出口まで送り届けてくれた」


「……その子は、なぜ道案内を?」

 フランの声が震えた気がした。


「罪を償っているのだそうです」


 問いを、シェイラが引き受けた。


「お母さんを化け物と言って殺してしまったから、償っているのだと言っていました。自分は真実を知らずにいて、母を死に至らしめてしまったからだと」


「…………」


「とても、悔いていらっしゃいました。お母さまのお墓に、きちんと償うことができているから安心してほしいと、そう……祈りをこめていらっしゃったそうです」


 風籟(ふうらい)が、あった。

 乾き、燃え、崩れた大地に、一瞬の音だった。


「……その子は、元気でいましたか」

「ええ」


 フランの問いに、シェイラは答える。


「元気でしたよ」


 それに対して、フランの反応はなかった。

 すっと長外套の裾から人差し指が持ち上がって、上空の竜が示される。


「このあたり一帯、半径二十馬身は、あれから視えていません。私の最大です」

「……はい」

「もし、なにかを準備されるなら、このあたりでなさい。術から出れば、蟲どもに視認されます」


 シェイラは頭を下げると、今度こそリマスたちに背を向けた。





 歩みながら、ふらつきを覚える。視界が濛々とする。


「シェイラ」


 イディオンが、シェイラの体を支えた。

 体中にはびっしりと線上文字が銀色に浮き上がって、額や背には汗が滲んでいた。きっとなにかを言いたいはずだろうに、イディオンは言ってこなかった。シェイラは、ほほ笑みを返す。



「──手間をかける、というのはどういうことだと思いますか?」



 イディオンから離れて尋ねた。

 夢だったのか、実際に時間を遡行したのかは、わからない。けれど、シェイラのなかには魔導師ユベーヌの言葉が残っていた。

 イディオンが奇妙な顔をする。


「時間をかけるのでもなく、手の込んだものを作るのでなく、手間をかける、とはなんでしょうか……」


 シェイラは自問するように、空を見上げる。

 霧を吐く朧の竜は、狂ったように蟲を産み出しつづける。シェイラの手の込んだ魔法は効かない。ならば、どんな手間をかければ、あの竜を、倒すことができるだろうか。


「知らないのか? あれだけ、やって来たのに」


 イディオンが、不思議そうな目でシェイラを見た。

 今にも笑い出しそうな、青年の顔になった。


「イディさん……?」

「ぼくだよ」


 イディオンは、言う。


「ぼくが証拠だよ、シェイラ」


 シェイラは、妙な符合を感じた。

 意識の奥底で出会った魔導師ユベーヌ。彼が語った、未来の王。


「シェイラは、ずっと、だれよりも、手間をかけてきてくれたじゃないか」


「わたしが……?」


「ああ、ぼくだけじゃない。みんなだよ、シェイラ。あなたは出会ってきたみんな……子どもたち……子どもたちだけじゃない。大人たちにも、手間をかけて寄り添い、理解しようとしてきたじゃないか」


 シェイラは、イディオンの言葉を聴いた。


「今、目の前にいる人に向き合いつづけてきただろう? その一番は、きっとぼくだ」


 イディオンが、にっと笑う。


「人に手間をかけて寄り添う。

 ──それが、あなたの魔法だろう?」


 瞬間、シェイラの頭のなかで、星々が降り注いだように、ひらめきが光を放った。

 イディオンの笑み。言葉。自分がやってきたこと。


『──答えは、君のなかにある』


 その台詞が、シェイラのなかで弾けた。

 胸のなかに満ちる。驚愕と、それから、誇り。


『そのひらめきを信じて』


 シェイラには、聞こえる。

 未来の声が、聞こえる。


(ああ……)


 ──イディオン。


(イディさん……)


 シェイラの胸には、琥珀色の樹液があふれるようになって、すべてを理解した。

 死するだけの道が、希望と未来を描き、シェイラを導く。

 自分がなにを成せばいいのか、鮮明に見通すことができた。


「そうでした」


 シェイラは、ほころんだ。

 喜びが、胸にあった。ガザン師の遺言が、あった。


「答えは、わたしのなかにあったんですね」

「ああ、そうだよ」


 ぼくと同じだ、とイディオンが笑った。

 シェイラは、イディオンの手を取る。強い意思でその手に願う。


「倒しましょう」


 イディオンが縹を見開く。


「わたしたちの魔法で。魔導師ユベーヌが遺した魔法が、竜を滅ぼします」


 シェイラはイディオンの手を握る。


「力を、貸してください。イディさんの魔力を、わたしに」

「女王国の時とは逆?」

「ええ。協力してやりましょう」


 シェイラは満面の笑みで肯定する。



「──必ず成功する実験です」

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