327話:絶対女王の息子
シェイラの意識が浮上する。まぶたが、持ち上がる。視界が白む。
(生きている……)
全身が痛かった。外も中も悲鳴を上げている。〈命脈〉を消費した感覚があったのに、目覚めることができたのは、サルオン老師からもらった気付け薬のおかげかもしれない。
それでも、シェイラは自分の体がもう限界に至っているのがわかった。
当たり前だ。あれほどの魔法を放った。手間暇をかけて準備した、全力の魔法だった。
なのに、朧竜には、まったく効かなかった。
それどころか、シェイラはこの体だ。
老師たちはどうなったのだろう。フェノアやラムル、スヴェリは無事だろうか。
(イディさんは?)
彼は今、どこにいるのだろうか。
そこまで考えて、シェイラは自分がどういう状態にあるのか思い至った。倒れた柱か壁か、瓦礫のなかにできた空間に、自分の体がある。人ひとりかふたりか、手も足も潰れておらず、無事だった。竜の尾で、あれだけ叩かれたのに身体的損傷が少ないのは、長外套の力だけでは説明がつかなかった。
顔を上げる。
そうして、シェイラは驚愕を口にした。
「エヴェリヤン殿下……!」
〜*〜
イディオンは、焦燥に駆られていた。
古いノザリエ城砦は、ほとんど崩落していて、周囲には青炎と、紅炎が揺らめいている。あまく立ち込めた腐ったにおいのなかに、有機物の焦げついた臭さが混ざった。辺り一面の凄惨なさまに、イディオンは苦痛を覚える。飛来する〈蜈蚣〉や〈蝙蝠〉を屠りながら、軸をさぐる。
大地が、時折かすかに揺れる。未だ無事な場所も、まもなくすれば倒壊する。
付近まで来ると、イディオンは叫んだ。
「シェイラ……っ!」
声が残響する。木霊となっていく。
かすかに、反応があったのは、倒れかかった柱の下からだった。イディオンはまた、名を呼ぶ。繰り返す。
「──……イ、……さんっ!」
イディオンは、そして、たしかにシェイラの声を聞いた。{浮遊}を象り、周囲の瓦礫を片っ端から退けていく。そうすると、ひとつぽっかりと空間があって、手首はそこから見えた。揃いの組紐が目に入って、イディオンはためらわずに体を引き抜いた。
「シェイラ……!」
「イディ、さん……っ」
抱擁をすると、シェイラのぬくもりがあって、イディオンは強くたしかめた。腕のなかの心地があまりにもかけがえがなくて、言葉にならなかった。
シェイラの手が、強く背に回ってきた。頭が胸のなかに沈む。
「……会いたかったです」
小さく聞こえてきた声に、イディオンは思わずさらに力を込めた。頭と背を引き寄せる。
イディオンの感情は、伝わっているようだった。ぎゅっと背にある外套が握られる。
ややもせぬうちに、シェイラの顔が後ろ向いた。
「エヴェリヤン殿下が……」
「父上が……?」
イディオンは、シェイラのつぶやきに意味するところを知った。抱擁を解いて、魔導でさらに瓦礫を取り除いた。
現れた姿はまもなく柱に押し潰されそうな、父の姿だった。
「……イディオン」
下肢はすでに下敷きになっていて、上体を保っていられるのは、おそらく身体魔術による力を行使しているからであろうと思えた。
「父上……」
イディオンは、二の句を継げなかった。
「立派な……姿だな。出会った時の、グシェアを……思い出す。私の……憧れだった……」
父は、甲冑に身を包んだ息子に、薄く笑った。もう生気はなく、防霧林の白い倒木であった。
枯れて力を失った父は、空を見上げた。朧竜が霧を吐き出している。叫びが上空で反響している。
「こんなはずでは……なかった」
「言い訳です」
つぶやく父に、イディオンは断じた。厳しく繰り返す。
「それは言い訳です、父上。母上が、一番最も嫌うものです」
「……そう、だな」
父は、力なく笑った。
「母上は、たしかに言葉が足りない人でしたが、それを自分でわかっていて詫びる人でした」
「…………」
「母上は、だから人望があったのです。裏表のないムディアンの姿は、母上の血です。父上は、それをずっと、わかってこなかったのですか?」
「私は……」
「あなたを慕っていると話す母上の気持ちを、ずっと疑ってきたのですか?」
イディオンは腹が立って、言葉を連ねた。
「おれは、あなたと母上の関係が憧れでした。あのように語り合える関係でありたいと思っていました」
イディオンにとって、豪快な母と賢明な父が話をしている姿は、あたたかな家族の思い出であった。
母のようになりたい。
──父のようにも。
イディオンは、そう、ずっと思っていた。
無意識にシェイラの体を引き寄せる。シェイラの顔が上がった。じっと、イディオンのほうを見上げてくる。
「失望です、父上」
「イディオン……」
「失望しました」
イディオンの怒りに、シェイラが反応した。震える拳が、そっと包まれる。
エヴェリヤンの顔は、凪いだ。疲れたように、笑った。
「……すまなかった」
「詫びは、母上に言ってください。きっと、いつまででも待っていますよ」
「……待って、くれているだろうか」
「ええ、きっと。適当に体でも動かしながら、待ってくれています。母上は、そういう人です」
「そう……だな」
エヴェリヤンは、ふと、すっきりしたような顔をした。
それから、一言告げる。
「あれを、止めてくれ」
エヴェリヤンは、朧竜を見上げる。
イディオンは返答する。
「止めます。──絶対女王グシェアネスの息子イディオンは、皆の希望になる」




