326話:時鏡
額が、熱い。ちかちかと、またたく。
眠っていた魔法の力が、輝く額のなかに意識を招いているようであった。
──時鏡の魔法。
シェイラの意識は、沈んだ鏡のなかへと潜っていく。水面を覗き込んで、そのまま深くへ。時の螺旋を越え、意識だけが{浮遊}するように、沈んでいく。
気づけば、シェイラは草地に足を下ろしていた。
心地よい春のにおいがする。
紫苑ザクラが、舞っている。草間に、蝶やテントウムシが春の訪いを喜び、花ツバメが羽を黄緑と桃色にしていた。のどかで、ほっとするような景色であった。
シェイラは、おだやかな景色に見とれるようになる。
「──こんにちは」
ぼうっとしていると、サクラの袂で魔導書を読んでいる男がいることに気がついた。ゆっくりと書を閉じて、こちらを見る。大きな体だった。がっしりとしていて、肩が広い。大きさだけだと座っているだけでも威圧感があったが、シェイラは不思議とその男にそれを感じなかった。
「こんにちは」
シェイラは、ぺこっと頭を下げる。薄紫の髪が流れ落ちて、顔を上げると、瑠璃のやさしい瞳とかち合った。
──ユベーヌの民。
男は、シェイラと同郷のようだった。
チュリ、チュリ、と小鳥の声があいだを縫っていく。
「よく来たね。君が来るのを、待っていたんだ」
壮年の男だった。髪も瑠璃のように青い。なぜだか安心感のある姿に、シェイラは父ベイドル・ロゼイユとは異なる父性を感じた。
「わたしが来ると知っていたんですか?」
シェイラは、首をかしげる。この男のことをシェイラは知らない。
「ああ。未来からの旅人がね、いつか必ずシェイラータという魔導師が来るから、その魔導師が来たら、言葉を授けてほしいと言われたんだ」
「その旅人は、なんという方ですか?」
不思議な気分だった。先回りをされているような気分になる。
「名前は聞いてない。彼は、王だと言った。千年より先の王だと。自分は、未来を描いてもらったから、恩返しをしたいのだと言ってきたんだ」
「律儀な方なんですね」
シェイラの頭は少し疲れていて、あまり思考が働かなかった。
消耗しているのだ。〈命脈〉を削ってしまった。
もう、目覚めないかもしれない。
(だめ)
──会わなきゃ。約束を果たさないと。
シェイラの思考は、つきっとそれだけを刺す。
シェイラにここからの戻り方はわからなかった。そのまま、壮年の男と話をつづける。
「立派な王さまだったよ。僕も見習わなければって少し反省した。こんなところで、のんびりしてたら、またアンナに怒られる」
「あなたも、王さまなんですか?」
「一応、ね。がらじゃないから、小さな土地をもらって、一応治めている。一応なんとかやっている」
一応、と繰り返す男の返答に、シェイラは、吹き出した。朴訥な雰囲気に安心感が増していく。
「どうして、わたしを待っていたんですか?」
シェイラはその男の少し横に腰かけた。
王に対して無礼だと怒らない気がしたし、男はむしろ隣に来てほしい空気を出していた。その勘は正しくて、男はうれしそうに笑った。少年みたいな笑い方に、シェイラは懐かしくなった。
「君を手助けするためだよ」
「手助け?」
「僕も助けてほしくて。お互いのためってことだよ」
シェイラのぼうっとする頭は、疑問符だらけになった。子どもみたいに、首をかしげる。
男が楽しそうに笑う。
「僕は、幼馴染とある賭けをしたんだ。どっちの魔法が勝つかっていう賭けなんだけどね。最初は絶対に彼女が勝ってしまうから、どんでん返しをしたいんだ。君を手助けすれば、彼女を驚かすことができる。頼まれてくれるかな?」
「いいですけども……」
どんな賭けなのだろうか。
シェイラの怪訝さに気づきながらも、男はあえて答えなかった。近くにあるタンポポを手に取って黄色の花びらを見つめる。
しばらくすると、男は口を開いた。
「手間暇というのは、時間や手数をかけることだけじゃないんだ」
「え?」
シェイラは、首をかしげる。
「手間をかけることは、たしかに時間や手数をかけることになるんだけど、それだけじゃないんだ。そういったものは形になるかもしれないけど、形にならないものでも、手間暇はかけられる」
男がほほ笑む。
「──答えは、君のなかにある」
「わたしの、ですか?」
男は肯く。
「未来の王が、そう言っていた。自分がその証左なのだと。だから、これまでやって来たことを思い出してほしい。そのひらめきを信じて。彼は、そう言っていた」
男のほがらかさに、シェイラはなにか近しいものを覚えた。
探ろうとして、ふいに、足底が宙に浮かび上がるの感じる。
意識が、覚醒しようとしている。
浮揚したシェイラを、男が眩しそうに見上げた。
「ま、待ってください……!」
シェイラは声を上げた。
手を伸ばして、尋ねる。
「あなたのお名前は……!」
シェイラが尋ねると、男が瑠璃の目元をやわらげる。
「──ユベーヌ。僕は、魔導師ユベーヌ。手間をかけたまじないが好きな、ただの暇人だよ」
ユベーヌはそう言って手を振ると、シェイラの視界から霞むように消えていった。




