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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち  作者: 稿 累華
第17章:魔法が使えない魔導師─後編─

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323/334

323話:叡智の魔法(1)

 イディオンは、それを見た。


 シェイラの声が聞こえてきてすぐに、豪雨のような重低音が鳴響したかと思うと、周囲の〈魔導霧〉が意志を持ったように、廃城砦の上空へと渦を描いて集まっていった。戦っていた蟲の形を崩し、巻き込まれるほどのすさまじい風圧で、霧が集約していく。


 ……目だ。


 〈魔導霧〉が空一面を覆い、その中心に大きな、台風の目がある。渦潮の中央。

 その中央を縁取るように赤黒い円環が見えた。イディオンが閃光を放つ時の外周に圧縮されたような円環の陣。なかは虚空の深い闇につながる。


 足が見えた。鋭い鉤爪。それから、鱗。びっしりと覆われた鱗は、すべて螺鈿(らでん)できているようで、灰と霧の空で、虹のように、遊色のように、稜鏡(プリズム)のように輝いて見えた。

 みしっと(ひび)が入った。空が割れるようにして、円環のたわむ音がする。ほどなくして、その姿が見えた。


 ──天地一体を占める、巨大さ。


 視界に入りきらない、巨躯。

 朧の、竜。


 戦場を焼き切るような咆哮が、響いた。荒れ地を抜け、山脈を越え、竜の叫び声が残響する。空からは、赤雷、紫電、青雷。落ちたそばから、地を穿(うが)つ。旋風は、蒼炎を煽ぎ、(ひょう)が落下する。大地は揺れ、割れて、隆起し、立つこともままならない震えが、軍営を襲う。恐慌は、一瞬ですべてを呑み込んだ。


 イディオンは、そのさなかに、シェイラの影を見た。

 上空に、薄紫の光が、ぽつんとある。鱗粉が、光の粉が舞っている。

 眼球に、はじめて出会った時が思い起こされた。



 ──流れ星、なのだろうか。



 イディオンは、高台にある欄干に座りながら見たのだ。星ノ都には、流星に祈れば、願いが叶うという言い伝えがある。ならば、イディオンの願いも叶うだろうか。



 ──魔法が、使えるようになりますように。



 そう願えば、叶うだろうか。


 追いかければ、空から優雅に、紫水の月光蛾が降りてきた。落胆はなかった。むしろ、流れ星がこの世で一番美しい生きものとなって、イディオンのもとへ降り立ってきてくれたのだ、と思った。石段に座って、揚げ麦粉焼(パン)をおいしそうに食べる姿が、眼球の奥に焼きついた。


「シェイラっ!!」


 イディオンは、叫んだ。

 彼女が最大の魔法を放って、墜落する姿を目にする。イディオンは{転移}した。



〜*〜



 シェイラは、{朧竜}の出現とともに、またたきのうちに起きたできごとを目にした。愕然とする暇もなかった。


 竜の雄叫びは、氷雷を呼び、大地を裂いた。絶命したユベック・エペストスの体は、あっという間に裂け目に喰われ、つづいて霧使いのイダ・ロータを呑み込んでしまった。叫び声もないなかで、悲鳴はべつのところから上がった。


「メリルっ!」


 反応したのは、マーロ・スパンだった。

 シェイラの相手をやめ、海上のようになった地の、崩れはじめる廃墟の粉塵のなかに飛び込んでいく。

 絶望を喚いたのは、リマスだった。


「なぜだっ!!」


 空を割るような絶叫だった。


「角笛は、竜を呼ぶとともに、自壊を招く魔術じゃなかったのかっ!」


 リマスの声は竜の次なる唸り声でかき消えた。開いた地の底から溶岩が噴き出し、嘲笑う声が聞こえた。



 ──呪われろ呪われろ。

 ──だから、言ったであろう。



 女の声だ。おぞましく、怨嗟の声が嗤笑(ししょう)する。



 ──人とは、醜い。

 ──結果を急ぎ、我慢ができない。

 ──こうして、供物を捧げる代わりに願いを聞き届けよと言う。



 せせら笑う声が聞こえる。



 ──聞いてやろうとも。人がいなくなれば、平和になろう。

 ──魔法がなくなれば、よいのであろう?

 ──魔法があるから、困るのであれば、魔法を使う人間など滅ぼしてしまえばよいだろう。



 呪詛の声は、リマスを嘲弄する。竜が笑っているのか、地が笑っているのか、世界が笑っているのか、シェイラにはわからなかった。

 だが、心底世界を憎んでいることだけはわかった。その憎しみは、竜のなかにあって、()()()()()()()()()()()()のだとわかった。


 盲目のフランが、リマスを呼んだ。ふたりの姿はすぐに崩れる瓦礫で見えなくなってしまった。


 スヴェリの姿も見えない。焦りが背を伝う。


 シェイラに助ける余力はなかった。落ちてくる霰雹(せんぱく)を弾き、雷を避ける。暴風雨のなか、翅を開き、落ちないように舞うしかない。


(まだ……!)


 シェイラは、待っていた。{通信}が届いた結果を、待っていた。

 シェイラひとりでは、準備に手間取ってしまう。だから、待っていた。


「──シェイラータ!」


 そうして、詩人の魔導師ワレリーノ・パレとともに、ラムルやフェノアが姿を現す。さらには、手の空いた老師や、魔導師たち。

 {朧竜}を認めると、パレ老師はシェイラに言う。


「止められなかったか」

「……間に合いませんでした」

「想定していた事態だ。やろう。発動は、任せていいね?」

「はい」


 パレ老師はシェイラの返事を受けると、集った魔導師たちに告げた。


「いいか、お前たち」

 ロン、と竪琴が鳴る。


「シェイラータが呪文を紡ぎ終えるまで、拙らが防衛をするぞ。あわよくば、あの竜を倒せるものがいればいい」


 雅な笑みを浮かべると、パレ老師はラムルに振り向いた。


「ラムルや、行くぞ」


 ふたりが紡ぎはじめたのは、遥か遠き地平線へ沈んだ古い神を奉り、呼び起こす神代の叙事詩であった。今や文献にはほとんど残っておらず、オルリア聖教によって、焚書となった古い言い伝えは、竪琴の爪弾きとともに蘇る。


 そのあいだに、巨人となったエテルーネ・ファブロ老師が吶喊(とっかん)の声を上げ、剛腕の老師とともに竜の巨躯へと突っ込んでいった。

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