322話:{代償召喚}
シェイラは、スヴェリとともに、旧ノザリエ城砦のなかを走っていた。体にはフェノアに施してもらった{増強}の力が満ちている。消耗しなければ、半日は起きていられる。
シェイラは内心でフェノアに感謝しながら、空間を走り抜ける。
「おそらく、もう少し先に外にせり出た巨大な空間があります。そのあたりに騎士たちはいるかと」
「わかりました」
「シェイラさんだけで向かうんですか?」
「いいえ、わたしが場所を確認したら合図を送ります。そうすれば、パレ老師に連絡が。わたしは{朧竜}召喚に必要な陣を破壊する手筈になっています。代償となるものもそうですが、あの陣のほうが厄介で──」
シェイラの声は、悲鳴とともに呑み込まれた。
ともに、地面に揺れるような振動。つい先刻も感じたものとはべつの振動が伝わる。
収まるのを待つか待たぬかのうちに、直後、シェイラたちの近くの壁をなにかが突き破った。
臙脂色の長外套。見覚えのある戦斧。隙間に見える隻眼のその男が持っているのは、聖剣と、光るファル石であった。肩には別の男の巨体を抱えている。
シェイラは顔面が蒼白になった。
男が──マーロ・スパンが出てきた壁のほうに曲がる。スヴェリがつづいた。
「トール……っ!」
シェイラは、ひばりが狂乱になっている場に入った。
壁中に噴き出した血が飛び散って、ヴィクトルが失くなった腕を押さえて叫び声を上げていた。
シェイラは、なにがあったのか悟った。
ヴィクトルの傷口に、すぐに{修復}を描く。
「スヴェリさん、お願いです! サルオン老師のもとへ!」
シェイラは悲鳴をあげるようにスヴェリを命じた。受け取ったスヴェリヤスがまたたくうちに{転移}の残光になる。
「ヴィックが……! ヴィックっ!」
恐慌を起こしているひばりに、シェイラは尋ねる。
「ひばりさま、{治癒}は? {治癒}は使えませんか?」
「つ、使え……ないの。取られて、使えなくて、わたし……!」
涙を流すひばりに、シェイラは、事がすべて終わったあとであることを理解した。唇を噛む。
リマスや、騎士たちへの許しがたい怒りが募った。
シェイラは怒りのままに魔力を練り上げて、{修復}をヴィクトルに施す。
「……ラータ、{朧竜}を」
激痛に歪んだヴィクトルが、つぶやいた。脂汗を玉のように浮かせながら、失くしていない片腕でシェイラの手を止める。
「{朧竜}を……止めて、くれ」
「トール……」
「もう、私たちのようなことは……あっては、ならない」
シェイラとヴィクトル、あるいは、ヒバリとヴィクトルのような、こと。
シェイラは、もう一度きゅっと唇を噛んだ。
「……はい」
返事と同時に、{転移}の光がふたつ、赤黒い部屋を照らした。
「ひでえ部屋だ」
医術国に出向いていた老師サルオンは、惨状を目の当たりにすると、すぐに医療魔導師の顔になった。
シェイラは場所を空ける。
震えるひばりに、最後声をかけた。
「トールを、よろしくお願いします、ヒバリさま」
「シェイラさん……」
「ずっと、あなたを苦しませて申しわけございませんでした」
「わたしは、でも……」
ひばりは、ひきつけを起こしたようになりながら、シェイラを見る。
「もう、わたしと彼は終わりました。どうか……お幸せに」
シェイラは言い残すと、マーロが走って行った先を、スヴェリとまた追った。
ヴィクトルとヒバリはサルオン老師に任せる。
寸刻もおかぬうちに、城砦の広場となるような空間に出た。かつては、城に仕える者たちが行き来したり、国を守る衛兵が訓練をしたような広場であろうと思えた。学園や学院にある広場に似ている。
シェイラは辿り着いて、そこに彫られている陣を見た。
──〈峡谷より導く竜の角笛〉。
ノザリアンナの手記に描かれた禍々しい魔法陣が、石床に削り取られている。十二の〈完成された文字〉の上には、うち十のファル石。
残りふたつは、今まさにマーロの手から離れ、置かれる。白く輝くファル石が十一個目。最後に、聖剣が中央の字を貫いた。
マーロの肩から下ろされたもう一人の男の体が、陣のうえに無造作に投げ出される。出血した体が転がる。
シェイラは、翅を開いて空へと躍り出た。魔力から大地の柱を現出させて、陣全体を攻撃範囲にする。
シェイラが魔法を放つのと、{転移}してきたマーロが戦斧を振るってくるのは、同時だった。シェイラは{防護}を描く。
「邪魔はさせん」
「あなたは……っ!」
シェイラは、マーロとの戦闘になった。元素魔術の応酬になる。隙間に、スヴェリに言い放った。
「パレ老師に……!」
スヴェリは、さきほど同様に{転移}をしようとした。
ところが、阻んだのは、突然集まってきた霧だった。〈魔導霧〉が凝集する。スヴェリに集まる。
「黎明の世はもうすぐです」
霧使いのイダ。
リヨンの魔法を奪ったイダは、霧砂を散布して、{霧喚び}を行っていた。スヴェリが足止めを喰らうのを確認して、シェイラは、マーロの戦斧をやり過ごしながら、{通信}を放つ。
(老師……!)
──イディオン。
シェイラは、無意識のうちに放っていた。
届いたのかはわからない。確認するよりも前に、廃墟から現れたリマスの姿を捉えた。白目をも侵襲した黒目がつぶやく。
〈魔導霧〉が城に満ちた。
青炎が揺らぐ。
「はじめようか」
シェイラは、マーロを相手にしながら、沸いてくる蟲を散らすのに、精いっぱいになった。
リマスは放り出された騎士の男に声をかけていた。
「ユベック、覚悟はできているね?」
「はい……!」
唇を切り、腫れ上がった顔の男は、リマスを見上げると、心酔しきった顔でオルリア聖教の祈りの言葉をつぶやいた。そして、ためらいなく、自らの心ノ臓に剣を突き立てた。
シェイラは静止する暇もなく、絶命した男の血が、陣の溝に沈んでいく。
──いつか、十五の時の恐怖を思い出した。
シェイラは、叫んだ。
リマスのぬるりと入り込んでくる声が、割れ鐘のように響き渡りはじめたのは、間もなくたった。
「──血は、呪いに」
呪いは、原初の闇に
汝、虚空に統べる者
汝、霧の彼方から来たる者
古の魔導師らより作られれし竜
角笛は響く 虚空の門を開く
角笛は呼ぶ 霧の彼方より
我、汝を呼ばん
我、汝に捧ぐ
四の〈哀れな子どもの魔法〉、
一の〈哀れな超克した力〉。
〈偉大な女魔導師の力〉は一、
〈冠を戴く偉大なる力〉は三、
〈冠を待つ偉大なる力〉は一
供物として、汝に捧げん
〈聖なる娘の力〉は門を開き、
{聖剣}は鍵となる
角笛よ、鳴らせ
虚空の門より、来たれ来たれ
「──汝、{朧竜}なり」
赤黒くなった陣が明滅すると、そこから烈風が生じた。集まった〈魔導霧〉が一瞬で中心に風を生じさせる。
陣が、浮き上がった。剥がれるように、宙に浮かぶ。
音が、響く。
重低の不協和音。
翅音を煮詰めたような不快な音が、呪了の魔術となって響き渡る。周囲一体から円陣を広げるようにして、角笛の音が軍営の戦場をも抜けていった。




