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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち  作者: 稿 累華
第17章:魔法が使えない魔導師─後編─

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321話:ひばりの叫び

 ひばりは、一歩進むごとに、不安が自分を侵蝕していくのがわかった。かつん、かつん、と廃墟となった石煉瓦に踵の音が響く。{転移}した先がどこかわからない。


「ねえ、ユベック……どこに行くの?」


 だれもいない。隙間から入り込んでくる風は冷たく、びょうびょうと聞こえてくる音は、テンの外套のなかにも入り込んでくるようだった。

 無言に案内された木戸の先に、簡素な寝台がある場所だった。黴臭く、すえたにおいがする。隅に置いてある香炉で誤魔化しているようで、周りには虫の死骸が溜まっていた。

 ユベックが、ためらわずに足を踏み入れるなかで、ひばりは足を止める。


「こちらへ」


 やさしげな手が差し出されると、数瞬、躊躇してからひばりは思わず手を載せた。


 そこからは、あっという間だった。

 引き寄せられて、寝台に導かれる。キスをされながら、体をまさぐられた。


 ひばりは、抵抗した。


「待って……っ、ユベック……!」

「あなたを解放します」


 なにを、とひばりが問う前に、首元に噛みつかれた。悲鳴を上げる。


「聖女の役割から。私に身を捧げてください。聖魔法をその過程で取って差し上げます。さすれば、もとの世界に戻す触媒に……」

「ユベック!」


 ひばりの抗議の声は、聞き届けられなかった。肌を剥かれ、つめたい手でさわられる。常にひばりを慮ってきた護衛騎士の姿はそこにはなかった。

 ひばりは、恐怖で声を上げる。


「ヴィック……っ!」

(助けて……!)


 瞬間、ひばりの顔が殴られた。怒り狂ったユベックの顔がある。


「黙ってろ!!」


 聞いたことがない暴力的な言い様に、ひばりは身が竦んだ。それでも、なおも抵抗していると、ユベックは懐から短剣を出した。習ったことのない文字の刻まれた柄が目に入る。


「大人しく、あなたはただ、私に身を任せてればよかったものを! 痛みなく終わったのに!」


 ユベックは言うと、ひばりが抵抗するよりも前に、その短剣をひばりの腹に突き立てた。


 絶叫を上げる。

 四肢をじたばたとさせて、そうしているあいだに、短剣に自分の身の内側にある力が吸われていくのがわかる。


 この世界に来た時に宿された力。


 無理やり体のなかに入ってきた力が、またもや強引に引き剥がされる。

 ひばりの脳裏に、召喚された時の光景がよぎった。


 ──降り立った先の金の髪。紅い眼。鼻梁の整った顔立ち。


 なんて、かっこいい人だろうと思った。ひばりは、げんきんで、自分に起きた事態よりも、ただぽうっとヴィクトルを見てしまったのだ。芸能人よりもよっぽどかっこいい。そんなことを、思ったのだ。


 ──あたしの王子さまだったらよかったのに。


 ヴィクトルが、シェイラと恋仲であることを知った時、ひばりは我儘にもそんなことを思った。

 想い合うふたりの恋路を裂くようなことを願ったから、きっと今、天罰がくだっているのだ。

 ごろっと、与えられた力が転がる音とともに、手首の組紐の存在が、思い出される。




「これだけ、付けて」


 紅と茶の組紐は、アマリアに教えてもらって、ひばりが一生懸命編んだものだった。できあがった二本のうち一本を、ヴィクトルに渡した。


「私はもらえない」


 ひばりと距離を空けるようになったヴィクトルは、想像した通り拒否を口にした。それだけ、シェイラのことを想っていると思うと、胸が傷んで仕方なかった。


「これで最後。これだけでいいから。付けるだけでいいの」


 組紐は切れると願いが叶うのだという。前にいた世界でもそういうおまじないグッズがあった。親友の陽毬と楽しんだことがあった。


「お願い」


 ひばりが、食い下がるように言うと、ヴィクトルは逡巡したのち受け取った。数日後、手首に付けてくれているのを見つければ、ひばりの心は弾んだ。


 ──ヴィックとまた……


 あの時、願ったことはいつの間にか忘れてしまったけど、その組紐は、ひばりにとってたったひとつのよすがであった。




 思い出すと、噴出する血とともに涙が零れ落ちる。

 自分の血に濡れて笑みを浮かべるユベックの顔が、幽鬼のように見えた。


(わたし、死ぬんだ)


 そう、思った。


 ひばりは、騙されたのだ。

 元の世界に帰れると囁かれて、信じて、裏切られた。ほんとうに、ひばりを戻すつもりがあるのなら、刺したりしないはずだ。


 利用されただけ。


 それには、絶望しなかった。自分がただ、男を見る目がなかっただけ。見目麗しい騎士の甘言に乗った自分が悪い。そう思った。

 だけど、


(ほんとうの願いじゃなかった)


 ひばりの失った願いは、なんだったのだろう。


 それがどうしても思い出せなくて、悲しくてたまらなかった。

 ユベックが、ひばりから生じた真っ白に光る石を見て笑う。大きな笑い声を上げる。そうして、今一度ひばりを見た。


「すみません、痛いですよね。今、あなたの清らかな心を元の世界に戻してあげます。どうか、安らかに──」


 ユベックが敬虔な祈りを言い終えぬうちに、それは起こった。


 眩しい金の光が、元修道騎士の男を石壁に突き飛ばす。壁が崩れ落ちて砂礫が舞った。すさまじい音と衝撃に、意識が途絶えそうになったひばりは、一気に覚醒する。


「ヒバリっ!」


 呼ばう声に、ひばりは驚く。

 なんで、と言う声が出なかった。


「すまない……っ、ヒバリ。すまない、すまない……!」


 剥かれたひばりの体は、紅い外套ですぐに隠された。出血する腹にあたたかい光を感じる。


「……ヴィ、ク」


 ひばりは、言葉を失う。

 ヴィクトルが苦悩をあらわに、ひばりに魔法をかけていた。


「私が……不甲斐ないせいだ。君を、こんな目に……」


 癒やしの力が少し痛みと出血をやわらげた。{治癒}ではない。{治癒}は、聖女にしか使えない。薬水瓶などに込められる慰め程度の魔法。ヴィクトルが、その魔法をひばりにかけてくれているのがわかった。


「助けに……」


 来てくれたの。


 ヴィクトルは、ひたすら詫びながら、ひばりの処置をする。距離が近いせいで、脇に抱えた聖剣の柄が当たって、それが少し痛かったけど、ひばりはただ、なされるままだった。


「すまない、ヒバリ。すまない……」


 謝んないでよ。


 繰り返される謝罪に、ひばりは、顔がぐしゃぐしゃになった。

 かっこいいのに、謝ってばかり。

 それがどうしようもなく愛しくて、痛みの残る体でも、ひばりは笑う。


「……ばかだよ、ヴィックは」


 ヴィクトルに、悪気も、悪意もないことを知っている。むしろ、彼の正義感や義務感からこれまでの行動があったことを知っている。だから、心の底から憎むことができなかったのだ。

 ひばりは、泣き笑う。


「ヴィックの……ばか」

「……すまない」

「わたしを、ちゃんと守ってよ」

「ほんとうに……すまない」

「仕方ないなあ」


 ひばりは、悄然とする男に言った。


「許してあげる」

 このやり取りが、懐かしかった。

「助けに来てくれたから」


 ヴィクトルが、ひばりを見た。


「……助けに来てくれて、ありがとう」


 ひばりが告げると、ヴィクトルの顔は情けなくなった。はじめて見る顔だった。


「間に合って……よかった」


 その言葉に、どれほどのものが込められていたのかわからない。

 ひばりは感じ取ろうとして、だがすぐに、声を上げた。


 後ろに見える影。



「ヴィック……っ!!」



 ひばりの悲鳴とともに、戦斧の刃先が振り下ろされた。

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