318話:イディオンとヴィクトル
イディオンは、眼下に七色の王都ガルバーンを見下ろしていた。風に縹色の外套がはためき、{防護}を{強化}した甲冑が銀色に、曇る陽光を輝かせていた。今しがた殲滅した〈螟蛾〉や〈飛蝗〉の群れの残滓が、周囲を煙らせている。
女王国の〈極光の壁〉を模倣した結界は、王都を霧の侵入から完璧に防いでいた。あの邪な精霊魔術を目にしておいてよかったと思う。思わぬところで、国の防衛に役立った。
イディオンは無言のうちに下降し、〈極光の壁〉をすり抜ければ、都からの歓声が聞こえた。この厄災のうちに民衆が希望を忘れないのは大事なことで、イディオンは手を上げて、観衆に応じる。王城へ帰還すれば、現実が待っていた。
「──殿下、ヴェッセンダリアより通達です」
伝令兵が、イディオンに告げる。
「各国代表は、明朝までに廃都ノザリエに集結せよ。厄災の目、現れし、とのこと」
「承知した。ガルバディアからは、王太子イディオン・ガルバディアが参じると返答してくれ」
イディオンはそう言うと、その場にいたムディアンとティアランに向き直った。
「あとは頼んだ」
「任せてください。貴族たちとともに、国内の防衛は霧が晴れるまで果たしてみせます!」
魔法を失ったムディアンの明るさに、イディオンは笑った。
「あたくしも、蟲が出たら、お母さまのように吹き飛ばしてみせますわ!」
妹ティアランの母に似た発言に、今度は呆れる。
「景観は壊すなよ?」
「はあーい」
「ティアが暴走しないように、見張るのもおまえの役目だからな、ムディ」
「心得ました!」
ムディアンとティアランの様子に、イディオンは元気をもらう。
「行ってくる」
イディオンはそう告げた翌早朝、王国の精鋭とともに、転移陣へと向かった。指定された座標軸──廃都ノザリエへ{転移}した。
旧ノザリアンナ。廃都ノザリエ。
大地が、干からびていた。ごうっ、ごうっ、と颶風が音を鳴らし、砂岩を削っていく。枯れ木はすでに枝や幹を失くし、代わりにところどころを蒼炎が揺らめいていた。
青い炎は、死んだ王国の民が恨みとなって、青くしているのだという。千年を超えた呪いは、大地を焼きつづけ、北の大地を憎悪で燃やしている。遠くには、アールヴ大山脈から生えた峻嶺な山々が連なり、この凍える恨みの大地を隔絶しているのだ。
イディオンは、その地を丘陵から睥睨していた。荒れ地の少し先には、かつての都を思わせる城と住居が残っているだけだった。
祖ガルバーンはなにをもって、この地を焼き、隔てたのか。
イディオンは未だ残る戦いの爪痕に、己の血に流れる魔導師の罪業を見た。
薄紫の〈魔導霧〉が、雲烟縹渺としている。遠くから、腐ったあまいにおいを漂わせ、霧障が今か今かと待ち受けている。
眼下には、召集を受けた国々の垂直旗が次々と揚がって、軍団を成していた。魔導師や魔術師、飛翔師たちのひしめくように押し殺された恐れと、どこか高揚とした空気が充満している。
イディオンは、その光景をどこか鳥瞰と、他人事のように見ていた。踵を返すと、風にくくった銀髪がなびく。
「──イディオン王太子」
後背に、呼ばう声があった。
イディオンは、ぴくっとする。感情が冷えていくのがわかった。
振り向いて、応じる。
「……ヴィクトル王太子」
そこに、聖剣使いヴィクトル・オルリアがいた。ヴィクトルもまた、常よりも{防護}にすぐれた甲冑を着込んで、紅い外套を風圧に揺らしている。
「久しいな。いや、一年前、星都ですれちがったか?」
「お久しぶりです」
イディオンは、憮然と会釈した。
「立太子されたと聞いた。めでたいな」
「やむを得ず。本来は、弟がなるはずでした」
「ガルバディア王家に遭ったことは聞き及んだ。女王陛下へのお悔やみ申し上げる」
「…………」
「こちらも……父が身罷った。これが終われば、私も戴冠する」
ヴィクトルは、山脈の先を見ていた。紅い双眸には、諦めのついたおだやかさがあって、イディオンは秀眉を寄せた。
「聖王家も大変だったと……聞いています」
だからつい、そんなことを言った。
ヴィクトルは、一瞬目を瞠ると、ふっとつかえの取れた笑みをイディオンに向けた。
「少し前に、ラータと会った」
「え……」
「彼女から、{朧竜}について聞いた。今や各国代表には伝わっているだろう。数ヶ月前、彼女がオルリアを訪れてな。いちはやく聞いたのだ」
「…………」
「魔女の騎士たちの計画も。私や、ヒバリがねらわれているのだと」
ヴィクトルは、ちらっと少し後ろにいる聖女ヒバリのほうを見た。それから、薄暗い空を見上げた。
「途方もない話だ。……同時に、虚無を覚えた。自分たちはどんな因果があって巻き込まれたのであろう、と。我が王家に起きたことも、その結果だろう」
「……そうですね」
イディオンは同調した。
ヴェッセンダリアで{朧龍}の正体を知った時。父が母を殺したのを認めた時。──かつて、魔法が使えないことに苦しんだ時。
ヴィクトルもまた、王族として同じような心境に至ったのだと、理解した。
「私は、ラータに振られてしまってな」
つづいた出し抜けの言葉に、イディオンは意表を突かれた。
「会った時に、告白したのだ。今でも愛している、と」
「……シェイラは、なんて」
「愛していた、と」
ヴィクトルが、苦笑する。
「他愛なく笑ってすごせることを願っていると言われてしまった。まさか、振られるとは思わなかった」
「…………」
「彼女を変えたのは、君か?」
ヴィクトルがおだやかな眼で、イディオンの手首──組紐を一瞥した。それから、射抜くように、見てくる。
イディオンは受け止め、逸らさずに応じた。
「ちがう」
そこは否定しなければいけない。
「変わったのはきっと、彼女自身だ。ぼくはただ……一年、それにも満たないあいだ、彼女の隣にいたにすぎない」
「隣に……」
「できそこないだった、ぼくの特権だ」
イディオンは、挑み返す。
ヴィクトルはしばらくイディオンの眼光を受け止めると、力を失くしたように眉尻を下げた。
「……そうか」
「彼女の隣は……心地よかった」
「妬けるな」
ヴィクトルは、心から思ったように漏らした。
「私が、いたかった」
「自分から放ったんだろう」
「そうだな」
「シェイラの気持ちを試したからだ」
「言いわけできないな」
苦笑いをつづけたのち、ヴィクトルは、真剣な顔になった。
「──ラータを、頼む」
「ああ」
「私はもう、まちがえない。私にはべつの、守るべき者がいる」
ヴィクトルの視線が一瞬、ヒバリに移る。
戻ってくると、声が低くなった。
「ひとつ、渡したいものがある」




