316話:エペストス
焦っていたのは、ユベックだ。
聖女の護衛として控えながら、ヒバリの心に変化が生じていることを機敏に察知していた。
ユベックが愛情を直接に伝え、口づけを施せば、文句は言わず顔を赤らめていたが、心ここにあらずな様子が最近増えていた。
「必ず、もとの世界に戻して差し上げます」
そう誓うユベックに、ヒバリは肯きながらも、どこか腑に落ちていないような目をするのだ。
ヒバリの心境に影響を与えているヴィクトルという男に、ユベックは憎しみを募らせていた。
──ユベック・エペストスは、もとはオルリア聖教の修道師であり、修道騎士であった。
敬虔なオルリア聖教徒であり、聖女という存在を崇拝し、貴族の地位を辞して、自ら修道の道を選んだのがユベックだった。
いつか現れる聖女を守ること。
霧を払う尊い存在。福音を受け、召喚陣より招かれる聖なる存在。
自分が生きているあいだに、聖女が召喚されるのかわからなかったが、幼いみぎりより修道師見習いとして、ユベックは聖女に憧れつづけていた。
ところが、ユベックは知ってしまったのだ。
オルリア召喚魔術の真実。聖剣と聖女というものがなにかということを。
それは、オルリア聖教の総本山、聖堂教会の地下禁書書庫で見つけた。修道師のなかでも、古文書の扱いに慣れているものでなければ、入室を許されない場所だった。
修道師たちはおおよそ貴族の次男次女以下で、家督を継ぐことが許されていないものが流れてくることも多かったから、学問への理解の浅いものが多かった。ところが、ユベックは、聖女への憧れから、共通文字以前の古代帝国の記号文字を修め、難解なオルリア聖教成立以前の文書も理解できた。
その碑文を見つけたのは、たまたまであった。宵燈と宵燈のあいだにできるちょうど薄暗い場所。折しも、そこは聖遺物である聖剣が安置されているすぐ真後ろに当たる石壁で、ユベックは{灯火}にその碑文を読み取った。
〝聖剣鋳造せしは、魔導師オルリア。異界より{召喚}した初代聖女の血を糧に石を留め、以後、抑止の力として機能したり〟
はじめ、ユベックはその意味を解しきれなかった。オルリア聖教では、聖剣は初代聖女が携えてきたものであり、霧が充満するようになった大陸の救い主とされてきた。聖剣を携えた聖女が霧を薄くし、聖剣を残してもとの世界へと戻ったというのが、聖教での教えだった。
ところが、聖教会とともに呪術研究を行っていた、当時、準師であったリマスは真実は異なると言った。
「君が信奉する聖女は、作られたものだ」
かわいそうに、とリマスは言った。聖堂教会の空き室に作られた研究室で、ユベックは聞いたのだ。碑文はおそらく、過去真実に辿り着いた人間が記したものであろう、と。
リマスはもとより〈気高き魔女の騎士団〉の団長で、すでに魔導師ノザリアンナの手記を読み解いていたゆえの補足であった。
語られたのは、{代償召喚}。オルリア召喚魔導のひとつとして確立されたのは、異界より女を喚び出し、〈帰れない〉ことを代償として、聖なる魔法をその皮膚下に宿らせ、霧を払う力を与えるという意味のわからない魔法の話だった。
「頭のおかしい連中が考えることは正気の沙汰ではないね」
リマスは、鷹揚に喋った。
「自分たちが作った〈大魔導〉の落とし前を異界人に付けさせるなんて、狂っていると思わないか?」
ユベックは、天地がひっくり返るような衝撃を受けて、言葉を失っていた。
「さっき言った通りだよ。霧を払うために聖女という装置を用意し、その聖女を呼ぶのが聖遺物である聖剣。実際は聖遺物じゃなくて、悪趣味な古びた魔導具だけどね」
リマスの目は、白目まで黒くなる。
「永続魔導機構{朧竜}を機能させるための、抑止力。霧が増えた時に抑制する力の正体が、君の信じる聖女の真実だよ」
「そんな、ばか、なこと……」
「信じられないかい? じゃあ、禁書庫にある歴史書や古記録を片っ端から読んでいけばいい。抜け落ちていること、逆にきれいに語られすぎていること。それらを集めれば、ひとつの抜け穴があることに気づくよ。きっと君も、僕と同じ真実に辿り着く」
そこからユベックは、禁書文書を読み漁り、リマスの言う真実へと辿り着いた。
初代聖女の帰還は描かれていない。去り際に国の幸福を願って、霧の彼方へ姿を消したという。以後の二代聖女、三代聖女は聖剣に招かれ、時の聖剣使いと厄を払い、王家の血に連なった。もとの世界に帰還したという話は書かれていない。
都合よく、聖剣使いと恋仲になって、ともにこの世界に帰化したのだ。
ユベックは、リマスの言っていることが真実であり、はじめ見つけた碑文に書かれたことも真実であると知った。ルペドの植物紙に記された色褪せた古記録には、かつて古文書管理を任された修道師が記した日誌が残っていたのだ。
──オルリア聖教の真実。
古語で記されたそれは、古文書を読める人間にしかわからない文字で、魔導師オルリアが作り上げた虚構を語っていたのだ。碑文もまた、その人間が記したものであった。
ユベックは、自分が子どもの頃から信じてきたものが、打ち破られた衝撃で怒りに染まった。
自分の二十年がないものとされた。
心を捧げ、信じてきたものに裏切られた。
そういう怒りであった。
まもなく召喚されたヒバリという名の聖女に、哀れさを禁じ得なかった。そうして、ユベックに入団を勧めるとともに、リマスが言ったのだ。
「この世界を黎明に導こう。聖女を真に自由にするんだ」
その台詞は、これまでのユベックの敬虔な心に、ひどく馴染んだ。
ノザリアンナの手記には、その方法が示されている。
ユベックはもう、悩む必要はなかった。
(聖女さまのため)
今上の聖女のために、ユベックは己の手を血に染めようとも、自由を導く。
元修道師仲間のアマリアからヒバリへ。修道師仲間たちのつながりから、貴婦人たち、王妃へ、そうやってユベックは地道に、地道に、王宮内に自由を描くための呪いを了承した魔術を忍び込ませていった。
原理派の枢機卿たちの協力も大きい。彼らは、自分たちの勢力を伸ばすための金さえあれば、ユベックの言葉を信じ、肉体関係にある貴婦人たちへの橋渡しをしてくれた。思考力を失った貴族派連中も、自らの勢力を拡大できるとあれば、喜んで資金を出した。
教会はすでに、まろびでた臓物であった。
もはや、手の施しようがない。
ユベックはただ、信じてきた聖女への信仰心のみで動いていた。
(ですのに……)
──聖剣使いの王太子ヴィクトル・オルリアは、聖女ヒバリを誑かす。
なにより、ユベックが憎んでいるのが、この男であった。
魔導師オルリアの末裔。聖女という代償をもとに、霧を払う魔法を使い、それを聖なる福音を受けた魔法と吹聴し、大陸を唆してきたのだ。その罪は、あまりにも重い。
だから、ユベックは、いかにヴィクトルを、新しい世の供物として捧げてやるか決めていた。
(聖剣は、{朧竜}召喚の触媒のひとつだ)
オルリアの血を浴びせてやれば、{朧竜}も悲鳴を上げるにちがいない。
焦りを感じながらも、ユベックは、ヴィクトルを絶望に陥れる方法を模索し、その憎怨を、ヒバリへの愛情にすげ替えて、来たるべき時を待っていた。




