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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち  作者: 稿 累華
第17章:魔法が使えない魔導師─後編─

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315話:〈霧の厄禍〉

 ガルバディアの月が過ぎると、フィシェーユの月が暑さを運び、アベルの月の盛夏が訪れる。


 厄禍の訪れるその年、大陸全土の学園、学院、大学府は、休校休学となり、厄災後から再開されることがヴェッセンダリアより通告された。


 盛夏ノ休暇に当たるこの月は、常であれば、霧が出ない月であったが、厄災を恐れる者たちが、備蓄を溜め込もうと慌ただしくなり、市場や商業区などは、人でごった返すことになった。ガルバディア魔法王国や、芸術の国フィシェーユだけは、為政者による事前の配給や、国の防備に関する告知があったため、他国より混乱は少なかった。だが、一触即発の空気が、どの国にも流れていた。


 そのなかで、いくつか流布される噂話があった。


 ──ヴェッセンダリアの老師が死んだのは、此度の厄災の前ぶれだ。

 ──絶対女王という鉄壁が崩れ落ちたから、厄禍では甚大な被害が出る。

 ──聖王が死んだことで聖剣使いの霧払いに支障が出る。

 ──藍王がいなければ、蟲によって傷つけられても、医療魔術師や、医術師たちは動けない。


 根拠がなくとも不穏な噂話は、不安や恐怖を招く。不安と恐怖は、無意識のうちに共有される。

 霧の出ない常の盛夏であれば、悪い噂話で終わっただろう。


 それはまず、大陸南部の国々からはじまった。


 海に面した地域は海霧が出やすい。常の盛夏であっても、海に面する国々では霧が生じることや蟲が出ることはままあった。

 その日、オルトヴィア共和国南部港街ラッカランで、一人の男が、陽の昇らない早朝から船を出そうとしていた。


 市場では魚が飛ぶように売れる。朝のはやいうちに尽きてしまう。皆がいつもより多くを買って帰るのだ。保存食のためかと思いきやそうではない。生ものの魚は、{冷却}や{保存}の瓶や箱が家に備えてあっても、冬ではないから保存が利きづらく、その日のうちに食べるのが基本だ。なのに、飛ぶように売れる。


(親父は、思わぬ特需で喜んでたが……)


 男は気味が悪くて仕方がなかった。

 まるで、熊が冬眠に備えて、川魚を貪るようだ、と思う。

 人々が、魚を貪っている。


 男は、もやい綱を係船柱(ボラード)からほどきながら、ふと海面に視線をやった。


 〈魔導霧〉が生じている。

 濃く、薄紫や薄紅とも言える色合いとなって、ゆっくりと緩慢な旋風を描きはじめていた。


 男の手が、止まる。


 〈海鷂魚(えい)〉が海上を飛んでいる。〈海月(くらげ)〉が浮揚している。


(まずい……!)


 ほどきかけたもやい綱を放って、男は走り出した。


 ──〈海鷂魚(えい)〉や〈海月(くらげ)〉が群れる時は、気をつけろ。水禍の前兆だ。


 それは、漁師たちの常識だった。

 男は叫ぶ。

 ところが、叫び声は、届く前に巨大な波に呑まれた。


 近海に出る蟲の最悪種〈鯨鯢(くじら)〉の出現によって、港街ラッカランは大規模な蟲の襲来を受けた。この報せは近隣各国に慌ただしく伝令が走り、時を同じくして、テッペンス技術国、芸術の国フィシェーユも、海霧に巻き込まれた。


 そうして、〈霧の厄禍〉は、はじまりを告げ、まもなくして噂話が種火となったように大陸全土を動乱の渦に巻き込んでいった。





「──被害状況は?」


 亡き聖王に代わって戴冠を控えたヴィクトルであったが、予定されていた戴冠式は取りやめとなった。各地で〈這虫(ほうちゅう)〉や〈蚯蚓(みみず)〉が沸き、それどころではなくなったのである。


 数ヶ月前、王城は国営に支障を来たしていた。さまざまに張り巡らされた細蟹(くも)の糸が絡め手となって、情報伝達に支障が出るほどであった。渦中にいるものはだれも気づかなかった。


 シェイラによって看破された香炉を端緒として、ヴェッセンダリアの老師と査問院、ベイドル・ロゼイユらに進められた調査の結果、すべては〈貴婦人たちの集い〉が出どころであることが判明した。聖王妃トレドをはじめとした高位貴族の夫人たちが、ひそかに魔女の騎士らに通じて呪具を招いたことだった。


 拘束劇は下から上へとはじまり、ヴィクトルは最後に、母トレドが査問院へと連行されるさまを見届けた。


「そこまであなたは聖王家に恨みがあったのですか」


「ないわ」


 トレドは、{束縛}の魔術具が施されても、たおやかに笑っていた。


「では、なぜ……」


「端役であるわたくしの気持ちが、主役のあなたにわかって?」


 トレドは扇を広げる典雅な口吻(こうふん)を崩さなかった。


「端役どころか、書割(かきわり)かもしれないわね。魔導師の血を継ぐ、ただの道具ですもの」


「母上……」


「私は今日やっと、人として認知されたの。断罪劇の役柄としてね。道具を終えたと思ったら、悪役なんて最高な配役ね。死んだ陛下もびっくりすることでしょう」


「まさか、父上は」


「想像に任せましょう。これから、{自白}をかけられるのでしょう? その記録でも読めばいいわ」


「…………」


「道具から産まれたあなたがなにをなすのか、教会堂の地下で見定めてあげる」


 莞爾(かんじ)として見本のような笑みを浮かべると、トレドは査問院に連行されて行った。


 思い出すと、ヴィクトルは砂利を含んだような気分を得る。聖王家のあり方そのものが、今回の自体を招いたように思えて、シェイラから聞いたことが思考をよぎった。


 弟王子たちに南部に出向くよう命じる。ヴィクトル自身は北部地域に向かわねばならない。

 被害の数をベイドルに尋ねれば、正確な数が返ってきた。


 想像より、多い。


(盛夏ノ休暇で油断したか)


 霧が出ないと安心しているなか、加えて予見される厄禍に備えて、皆不安を抱えながらも羽を伸ばしていたのだろう。そこを蟲に喰われた。


「ヒバリ」


 集められた場に呼ばれた聖女ヒバリは、ヴィクトルに呼ばれて、肩をびくっとさせた。怪訝な栗色の目が向けられる。


「私と来てくれるか」

「もちろん行くけど……」


 あらためてなにを言うのか、とヒバリがヴィクトルを訝しむ。


「君を頼りにしている」


 ヴィクトルが紅い眼光をやわらげて言えば、ヒバリは目を丸くしてから、ぱっと顔を下げた。


 ──ヒバリを、ひとりにするわけにはいかない。


 この数年、ヴィクトルとヒバリは分かれて、霧を晴らす役目を担っていた。ヒバリの力が魔女の騎士にねらわれているかもしれない今、これまでのようにはいかなかった。


 シェイラから警告を受けて数ヶ月、ヴィクトルはなるべくヒバリをひとりにしないように計らっていた。その変化に一番不審をあらわにしていたのは当のヒバリであったが、ヴィクトルが警戒していることをヒバリは知らない。知らせて、不安にさせたくなかったからだ。


 今回も、ヒバリは、戸惑ったようにヴィクトルのほうを横目でちらちら見ていたが、彼女が少しだけ笑みを浮かべるのを、ヴィクトルは見た。

 どこかほっとするものを覚えながら、北部地域への転移陣を発動させる。


 頭は、晴れている。

 もう、痛みはない。


 ヴィクトルは、目の前の敵を払うべく、聖剣を現出させた。

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