314話:老師の依頼
ガルバディアの月第二週、朝起きて来ないシェイラを、たまたま世話役の魔導師が発見した。サルオン老師に報告がいくと、塔に引っ立てられ、診察台に座らされ、こっぴどく怒られた。
「いつからだ」
桃色の目が黒眼鏡越しにシェイラを睨んでくる。
「いつから、そうなった」
「……少し前からです」
今は、ガルバディアの月だった。シェイラが突然の眠気に苛まれるようになったのは、ノザリアンナの月終わり。聖王国を訪問した時だ。
最近、シェイラは朝起きられない。日課だった瞑想ができなくなった。気づけば九時近くまで眠っている時があり、はじめ、まったく目覚めなかった自分に愕然とした。
段々と起きれなくなる、と忠告されたサルオンの言葉を思い出して、思っていたよりもはやく、その気配が訪れはじめていることに、焦燥が増していた。
「診せてみろ」
サルオンは憮然と言うと、シェイラの体を横たえさせた。そのまま{解析}が行われる。しばらくすると、老師は無言でシェイラに起き上がるよう、指を上にくいっとやった。
「無理はしてないな」
シェイラはこくんと肯く。〈命脈〉を酷使するような魔法は使わないというのは、シェイラ自身が自分に課した誓いだった。
──イディオンと約束を果たすまで生き延びる。
そのためには無理をしない。
「だが、突然の眠気や、起きれなくなっている?」
「……はい」
サルオンはシェイラの返事に黙り込んだ。腕と足を組み、シェイラに告げる。
「寿命は以前と変わらない」
「はい」
「だが、起きていられる時間は、思ったよりも少ないかもしれない」
シェイラは、驚かなかった。なんとなく、そう感じていたからだ。
「……気付け薬をいただくことは可能ですか」
「お前、意味わかってんのか?」
ぎろっとサルオンが強い眼光でシェイラを射抜いた。
「眠りは体が回復を欲しているからだと言ったな?」
「はい」
「無理やり起こすと体の負担になる。急な眠気だと、そもそも間に合わない場合もあるだろう。起きれない時はそもそも使えない。使える時は限られる。それでも要るのか?」
「間に合う時があれば、使いたいです」
シェイラは、組紐の付いた手で胸元の青銀石をぎゅっと握る。
「使うとその分、反動がある。起きていられる時間も減り、場合によっては、永久に体が死ぬまで意識喪失だ。それでもか?」
「はい」
シェイラが強い眼差しで返すと、サルオンは草頭を掻いた。
「……仕方ねえ」
サルオンは立ち上がると、木製の試験管立てに入っていた細長い小瓶を取った。釣鐘蔦の意匠が施された小瓶は洒落ていた。
「使わないに越したことはねえぞ」
サルオンは言って、シェイラの手に小瓶を転がした。縁がきちんと閉じている瓶は、横に転がしても中身がこぼれることはなかった。ケルヴァスの角を主成分とした、柘榴茸の甘味を含ませた液体は、つつじ色できれいだった。
礼を言って、シェイラはそれを腰袋にしまう。
サルオンは言う。
「……なるべく使うなよ」
シェイラは頭を下げると、診察室をあとにした。
潮を含んだ生ぬるい風が、塔のあいだを吹き抜ける。
シェイラは、ガザンの塔に戻ると、いくつかやり取りしているイディオンからの手紙を開いた。何度も読み返した字を見つめる。もらった写生帳をめくった。できなくなった瞑想の代わりの、日課のようになっている。
「{通信}を使えばいいんじゃないっすか?」
スヴェリはそう提案してくれたけれど、忙しいイディオンの時間を取りたくなかった。きっと、連絡を入れたらすぐに時間を取ってくれるとわかっていても、したくなかった。
そうやって話してしまったら、再会の約束を果たせなくなってしまうかもしれない。
漠然とした不安があるからだろう。
(イディさん……)
ほんとうは、こわくてたまらない。
こんなに、自分の死がこわくなることがあるなんて、思ったことがなかった。
写生帳と手紙を抱え込みながら、シェイラは震える全身に言い聞かせる。
(生きます)
絶対に、生きて会う。
言葉を、交わす。
震えが落ち着いてくると、シェイラは思い出したように作業をはじめた。墨と翰筆を用意し、書きはじめたばかりの魔導書を用意する。
──{朧竜}を破壊する魔法。
シェイラは、この二ヶ月近く、その魔法を準備している。
老師たちから、許可が出たのだ。
「驚くべきことではない」
ロン……、と竪琴を鳴らしたのち、十二老師のまとめ役であるワレリーノ・パレ老師は、シェイラを〈中央書架ノ塔〉中央階に呼ぶと、そう告げた。十二角形の部屋には、同じく十二角の卓があり、シェイラはそのなかに立たされた。
埋まっている席は、九席。死んだガザン、時間旅行中のドゥエルタ、そして、最上階にいるヴェッセンダス以外の全員が集まって、シェイラを見ていた。
「オモノンなぞも、霧や蟲が自然現象ではないことを突き止めていた」
「そうなのですか?」
シェイラは驚いて、オモノン老師を見る。瞑目し、腕を組んでいた老師は軽く肯く。
「よもや、魔法で作られた竜の息だとは思わなんだがな」
パレ老師は優雅に語る。
「魔女の騎士たちの企みを阻止する、まずこれが第一」
ロン、と竪琴が爪弾かれる。
「阻止できた場合、拙らが竜を喚ぶ。これが第二」
ロン、ロン、と音が鳴る。
「拙らが竜を喚んだあと、あるいは……」
パレ老師は、半音下げた音を響かせた。
「騎士たちの企みを阻止できずに呼ばれた場合、竜本体を破壊すること。──これが第三」
低い竪琴の音だった。
「それが、やることで合ってるね?」
シェイラは、しっかりと首を縦に振った。
「シェイラータ、そなたが主動なさい」
「わたしが?」
シェイラは、これには驚いた。準師でしかない自分が、老師たちも従えろということなのだろうか。
「そなたには思いがある。願いがある」
パレ老師は、吟遊詩を謡うように竪琴を奏でる。
「強い思い、願い。それはなによりも、力を発揮する」
シェイラは、老師の雅な声に後押しされる。
「シェイラータ、そなたの願いで導きなさい」
パレ老師の言葉を思い出しながら、シェイラは翰筆に墨をつける。
──できるだろうか、自分に。
自分に問いながら、すぐに、かぶりを振った。
(やります)
──騎士たちを阻止し、必ず、竜を倒す。
青銀石をつかむと、シェイラは、澄んだ思考の海へと潜っていった。




