313話:メリル
メリルは、鼻歌を歌う。音律に合わせて、がりっがりっ、と鏨で削る。彫った石部分が砂になると、ふうっと吹いて飛ばす。一部分を削ったら後ろに下がって全体を見る。一部を削ったら全体を。そうやって繰り返して、まもなく巨大な陣はできあがろうとしていた。
「いつもありがとう、メリル」
「団長!」
リマスから覗くようにして声をかけられると、メリルは、ぴょんっと跳ねた。それから、がしっと義手がついた腕をぎゅっとする。
リマスは、小さなメリルの頭を、空いている手でなでてくれる。
気持ちよく、あったかい。もしかしたら、かつて、あったかもしれない父母の愛情を思い出す。
(ううん)
メリルは、リマスの手にぬくもりを感じながら、思い出した父母の手からは愛情の欠片を一握も感じなかった。
(ちがう)
あれは、歪んだ渇望だ。
──メリルは、騎士団のなかで惨殺屋の通り名を持つ。
目的を果たしたあと、対象を鉈で八つ裂きにすることからついた名だった。
もとは、葬儀屋だった。父母は、テッペント技術国の下層民で、〈導脈〉の力を持たないゆえに、葬儀屋もとい死体処理を担わされていた。
過酷な環境だった。ただ死んだ者を火葬にするだけならいい。蟲に喰い荒らされた者の後始末をするのも葬儀屋の仕事だった。見るにたえない死体。メリルは、そういったものを小さな頃から父母の隣で見させられていた。
過酷なのに給金は薄給。
「お前だけが頼りだよ」
まだメリルが小さかった頃、父母はよくそう言って、メリルの頭をなでた。
「お前に〈導脈〉さえあれば、私たちはこの生活から足を洗える」
ところが、メリルは、外見的発育をしない稀に見る〈幼子症〉であった。体が成長しなければ、〈導脈〉も育たない。魔法は、使えない。
結果、学園に通うようになったメリルは、父母から折檻を受けることになった。魔法が使えないとわかれば、以降学園や学院に通うことは許されなかった。
「期待して産んでやったのに!」
そう言って、死体処理場で鉈を振るわれていたところを、メリルは、通りかかったマーロに助け出された。
「親が子に手を上げるとは、どういう了見だ」
戦斧を振るって両親を処理場の仲間に仕立て上げたマーロは、震え上がっているメリルに声をかけた。
「来るか?」
聞かれて、小さく肯いた。
メリルは、〈気高き魔女の騎士団〉で長外套を作ることや、呪具の用意を任されることになった。〈導脈〉を持たず、一般的な魔法は使えないが、騎士団のなかではむしろそれが当たり前だった。魔法が使えるマーロやユベックが珍しい扱いで、居心地がよかった。自分が、魔法以外で期待され、役に立っているという感覚は、とても救いになった。
だが、時折、発作的に、メリルは血を見たくなった。鉈を、振るいたくなった。取り憑かれたようにそんな衝動を持て余すことがあって、メリルは特に、それを子どもに感じた。数年前に、オルトヴィア共和国で、アノンという対象をずたずたにしたのはメリルだった。イダに止められていなかったら、メリルはいつまでも鉈を振りつづけていただろう。
そのメリルの感覚を一番理解してくれたのは、団長だった。
「かわいそうに」
当初、団長はそう言ってメリルをばかにしたが、左手を失ってからは、メリルをばかにした調子を孕まなくなった。
「僕も、気持ちがわかる」
義手になった左手をなでながら、リマスは衝動で子どもを惨殺してしまったメリルの頭をなでた。
「どうしようもなく、自分の奥底に満ちぬものを満たしなくなるんだ。飢餓を感じるとでも言えばいいのかな」
メリルは肯いた。
「あたしもそんな感じ。喉が渇いて、たまらなくなる」
「僕と一緒だね。それでも、自分の飢えに振り回されない時もある。君は十分、がんばってるよ」
「うん」
「僕たちみたいな飢えや渇きの苦しみを持つ人間は、いちゃいけないんだ」
「うん」
「だから、黎明の世を導こう。新しい世で、皆で笑おう」
メリルは団長に同意した。
団長は、メリルの衝動が満たされるのなら、と鉈を振るうことを許してくれた。ぴしゃっ、と返り血を浴びて、メリルは渇きを潤してきた。落ち着いているあいだは、こうして陣を彫る。黎明の世のため。廃都に{朧竜}を呼ぶ角笛を刻んでいく。
「そろそろ、大夜宴がはじまるけど、来れるかい?」
「うん、行く!」
メリルはご機嫌で、交互に足を跳躍させながら呪われた青炎をよけ、拠点に戻った。地下へと降りる。
三階分が開けた空間。奥行きや幅は、十馬身はある。かつて、呪了国で犠牲と奉る儀式を行っていた空間で、柱や壁にはなにかが飛び散ったあとが黒く残っている。
リマスとは吹き抜けになった階段で分かれ、メリルはくだり、リマスはそのまま空間の上層部に立つ。通廊横の迫持から顔を出し、横に控えるフランとエヴェリヤン副団長二名を伴う。
メリルは、イダやマーロとともに見上げながら、胸をどきどきとときめかせた。辺りには各地に散っていた騎士たちが詰めかけ、メリルと同様にリマスを見上げた。
リマスが、高らかに口を開いた。
「──みんな、生まれてきてからこの方、よくたえたね。よく、がんばったね」
団長リマス・ヘラインの演説は、そうしてはじまった。
「もうすぐだ。もうすぐで、黎明の世が来る」
リマスは、全員を鼓舞した。
「竜を呼び、魔法がない世界を実現しよう。僕たちのように魔法が使えなくても、生きやすい世界を実現するんだ!」
来たる黎明はもうすぐだ、とリマスはもう一度繰り返す。
「あと少し、このつらく苦しい世界で耐え抜こう!」
そうして、リマスが声を上げると、大きな歓声が空間には満ちた。




