312話:イディオンの評判
「──殿下!」
イディオンは、ひと括りにした髪を揺らして、振り向いた。見れば、対蟲院長官と伝令が、慌ただしく丸められた書簡を差し出してくる。受け取って、無言で中身に目を通すと、丸め直して長官に戻す。
「そうか、わかった」
表情を変えずに歩みを再開したイディオンに、長官は蒼白な顔でついてくると言い募った。
「中身をご覧にっ?」
「旧呪了国の地に集まるよう書いてあったな」
「オルトヴィアの月に厄災が訪れると書いてあったのですよっ?」
「私の誕生日が近い。とんでもない贈り物だな」
「なぜ、そう平然としていられるのですか!」
「今はエレンシアの月だ。焦ったところで、どうしようもない。そもそも、もとより星詠みで詠われていただろう。特に驚く必要もない」
「ですが……!」
「私たちが驚き焦ると、皆にも悪影響がある。おまえも落ち着け。ただ、いつもより蟲が増え、時期が前倒しになるだけと思え。いいな?」
イディオンが冷静に言い放つと、長官は泡を食ったような顔をしたが、イディオンは取り合わなかった。
束の間の時間ができると、頂上の宮殿から壁外の坂をくだって、王子宮へと戻る。応接室に着くと、イディオンは鬱陶しげに髪をほどいて、長椅子にどかっと横になった。
懐からラリシャ銀のお守りを取り出す。手に取って、揺れるさまを見つめる。手首には瑠璃の組紐があった。深い溜息が、漏れ出る。
「──おうおう、立太子されたばかりの王太子殿下が、すげえ格好してんな?」
{転移}の光をまとったスヴェリが、寝転んだイディオンを見下ろしてくる。
「このほうが休める」
「お前、けっこう庶民じみてるよな?」
「おかげさまでな」
「俺のせい?」
「おまえが、教えたんだろう。力を抜く方法ってやらを」
「もとから素質があったんだろ」
「かもしれないな。おれは、そもそも王太子ってがらじゃなかったんだ」
「そうかあ? 亡くなった女王のあとを継いだイディオン王太子殿下の評判は、上々だぞ? まもなく、フィシェーユの魔法で描かれた令嬢たちの肖像画がごった返しで、あちこちに飾られるだろうな。自分のほうが殿下にふさわしいと喚き散らかすぞ?」
「……学園の教材として{転送}しておいてくれ」
イディオンがうんざりして、お守りを持った手を額におくと、スヴェリがにやっとする。
「そのうち、魔導師ガルバーンの血を継ぐため、貴重な種に合った令嬢が選ばれるはずだ」
「…………」
「表情変えないのな」
スヴェリが、つまらんと言いながら、空いている椅子に腰かけた。
「ほい、シェイラさんからの返事」
途端にイディオンは体を起こして、スヴェリから手紙を引ったくった。スヴェリは呆れた顔をする。
イディオンは素早く目を通して、末尾に書かれた一言を読んで、やわらいだ顔をする。
「……お前さ、いい加減、求婚しちまえよ。厄禍の前の駆け込み、増えてるらしいぞ?」
「しない」
イディオンは手紙をきれいに畳んで懐にしまうと、迷いなく明言した。
「少なくとも、今は」
「お、一応気はあるのか?」
「厄災の前だと、まるで、死に向かうことを覚悟しているようだ」
「…………」
「おれは、それを望まない。だから、今はしない」
イディオンが答えると、スヴェリは急に神妙な顔をした。この男には珍しく、思案するような顔だった。
「なにかあったか?」
「……いや」
わかりやすく、スヴェリは目線を逸らした。
イディオンは詰め寄る。
「シェイラに、なにかあったのか?」
「いや、ねえよ?」
「事実か?」
「お、おう」
「目を逸らすな」
「いや、まあ……」
「スヴェリヤス」
「……シェイラさんからは、黙っておいてほしいって言われたんだが」
イディオンがスヴェリの襟首を締め上げれば、観念したようにスヴェリは両手で詫びる動作をしてから、けろっと話しはじめる。
「俺が{転移}した時、シェイラさん倒れててさ」
イディオンの喉の奥で、ひやっとつめたいものが落ちていった。
「何度揺すっても起きなくて、これはやばいって焦ってたらやっと起きてさ」
「…………」
「起きたら真っ青な顔で、お前には言うなって」
「ぼくには……」
「体調不良らしいけど、お前、知ってたか?」
「……いや」
イディオンは、表情を悪くした。
シェイラが黙っておいてくれと言った理由は、想像がつく。イディオンの現状を思って、心配させないようにしたのであろう。ただの体調不良なら黙っておけと言う必要はない。
寿命に関係するなにか。
シェイラが隠したがっていたことはきっとそれで、イディオンは急速に胸に霧が満ちたような気分になった。今すぐに動きたくなる足を、呼吸とともにやりすごす。
「聞かなかったことにしてくれ」
「そりゃまあ……」
言ってしまった手前、スヴェリもそういう体にしておかなければいけない。だが、兄貴分として節介を焼くように聞いてくる。
「でも、ほんとにいいわけ?」
「……約束した。だから、問題ない」
イディオンは、手甲を握り込む。
生きて会う、と言っていた。
生のままに、彼女が前向きな発言をしたのは、はじめてだった。
(大丈夫だ)
イディオンは、自分に言い聞かせる。
──必ず、またシェイラとは会える。
それまでに、自分はなすべきことをしなければならない。
「──父上の動向はつかめたか?」
イディオンは表情を変えた。座り直して、スヴェリの主人として、王太子として向き合う。
「おおよそのな」
スヴェリは、小ざっぱりと答えた。
父エヴェリヤンに利用され、捨てられた。その事実は、スヴェリのなかで昇華されたらしい。
最近はイディオンの部下として、スヴェリは如才なく振る舞っている。
「王都を出てから、おそらく移動していない。妨害があって、たしかな座標は割り出せないが、妨害された位置から、ざっくりとした場所は割り出せる」
「隠匿の術とともに移動している可能性は?」
「それはある。その場合、外れちまうが、王都から{転移}した先はつかんだ。まあ、その移動自体が偽装だったら、これも外れちまうが」
スヴェリは、{転移}に特化した魔術師だ。{転移}先の座標をつかむ感覚が鋭く、座標は人物を指し示すこともできる。イディオンの表象魔導で、〈{転移}座標を示す地図〉を作り出して渡せば、スヴェリ自体が正確な{捜索}の魔術に類した。
手で持たなければ発動しないという〈ゆえある裂け目〉を持った〈地図〉は、スヴェリの手で広げられる。
「どこだ?」
「旧ノザリアンナ。廃都ノザリエ周辺」
スヴェリは、北方の土地を指し示す。
「そこで、殿下の座標は消えている」
「なるほどな」
イディオンは指されたところを見ながら、顎に左手をやる。
「厄禍の訪れる地、か」
睨むようにその場所を見る。
(おそらく、{朧竜}を呼ぼうとしている地だ)
かつて、{朧竜}が条件式大魔導として眠っていた地でもある。
因果と不穏が斑紋として見えるのは、なぜだろうか。
(シェイラ……)
イディオンは、書斎につながる象牙の扉を瞥見する。
はじめて魔法が成功した、あの日の場所。
(……必ず)
イディオンは、ガザンと交わした約束を思い出す。胸に感じた紋様を払拭するように顔を上げる。
「調査可能か?」
「言われると思った」
「おまえだけじゃ心許ないから、護衛は付けてやる」
「ひでえ」
「頼んだ。やれるだろ?」
イディオンがにやっとすると、スヴェリは一瞬目を丸くしてから、同じくにやっとする。
「おうよ」
イディオンとスヴェリは、がっちり掌を握り合うと、互いの務めに戻った。




