311話:水晶の願い
──呪われろ。呪われろ。
わたしが、これまでやってきたことは、無意味だったのだろうか。都合よく、利用されただけだったのだろうか。
ぼろぼろの寝台でのたうつノザリアンナは、絶望の涙を流す。
(今まで、呪いを受け容れてきたのに……)
戦う必要がなくなったら、アンナはもう、用済みなのだろうか。
「──やっと、戦争が終わる」
落陽のなか、サージェストは、白石でできた階段をのぼり終えると、両手を開いて解放を示しながら、階下に集う者たちに高らかに告げた。背後には雷を落とされ、突風によって煽られ、今なお残り火の煙が上がる。宮殿は残骸となり、神を示した立派な柱がことごとく倒れていた。
魔導帝国樹立宣言の日。
大陸が統一された日。
烈日の残照が、汗にこびりついた砂を焼くその日が、サージェシア歴のはじまりの日となった。
「皆、よくやってくれた」
サージェストは、まず手前にいる弟子たち十二人をねぎらった。
国々を平定していったのは、偉大なサージェストに継ぐ魔力を持った弟子たちであった。彼らは帝国に、それぞれの名を冠した土地を、諸侯として持つことを許された。
次に声をかけられたのは、あとからサージェストたちに合流した人々。魔力を持った──のちに、〈導脈〉と呼ばれるようになった力を持つ人々だった。魔導師ガルバーンから元素魔術の指南を受けた彼らの活躍は目覚ましく、戦場に出られない力しか持たない者でも、魔力さえ持っていれば、オルターヴやテッペンスから生活魔術を習うことで、役立つ存在だった。
さまざまな者たちがねぎらいの言葉をサージェストから直接受け取るなかで、魔力がない者たちも、懸命に働いた結果、サージェストから言葉を受け取った。
ありがとう、と。
それだけでよかった。それだけで、いいはずだった。
魔力を持たなかったアンナとユベーヌは、そういった者たちを引き連れて、自分たちがもらった大地でつつましく、手間暇をかけた魔法を使って、暮らせればよかったのだ。贅沢もなにもいらなかった。
数十年と経ち、大陸平定の戦乱に参加したものは、年老いていった。アンナとユベーヌも例に漏れなかったが、強力な〈導脈〉を持つ他の弟子たちや、サージェストは例外であった。皆たしかに老けたが、十年程度。まだ若さと気力を保った魔導師たちだった。
「しわくちゃになったねえ」
あはは、と笑いながら星詠みのアベルは、ユベーヌを見てそう言った。アンナは、ラーベを頭からすっぽりと被っていたのでなにも言われなかったが、杖をついたしわだらけになった手の甲をばかにしたようにちらっと見られたのを、見逃さなかった。
「魔力がないと、大変そうね」
若いままの神経質さを保ったままのオルリアは、そんなことを言う。
「魔法を使うのがめんどいだけじゃなくて、すぐに歳も取っちまうなんて、いいことねえな」
ガルバーンは、思ったことをすぐ口走る。
「アンナの下準備とか随分と待たされましたものね」
優雅なフィシェーユは、美しい声でころころと笑った。
年老いたアンナは、ぎゅっと杖の頭を握り込むしかなかった。
(あなたたちが……)
請け負わなかったものを、わたしが受け入れたっていうのに。
弟子たちの会合は、みじめになるだけだった。
サージェストは、老いたアンナとユベーヌに変わらず接してくれたが、それでもその振る舞いが憐れまれてのことだと、アンナはわかっていた。ユベーヌだけは、ずっと変わらずのんびりとした笑顔を浮かべていて、アンナはそんな幼馴染が憎らしくてたまらなかった。
そうして、一月以上にも及ぶ長い帰国の途上で、アンナは襲われた。
「お前の魔法で、おれの両親は殺された!」
そんな声を受けてアンナは嬲られ、魔法の火で焼かれた。アンナはもんどりうちながらも、術者の男を呪い殺し、絶叫しながら侍従たちに宮殿まで運ばれて治療を受けたが、自分の命がもう尽きかけているのがわかった。
これまで請け負ってきた呪いが、自分の体から、悲鳴とともにあふれるのがわかった。
──わたしがいなかったら、あんたたちは戦争に勝てなかった!
──今苦しむ声を代償にして、この平和な世界を導いたのは、わたしだ!
──みんな、呪われてしまえばいい!
絶命の間際、唯一看取りに来てくれたのは、幼馴染のユベーヌだけだった。
「……アンナ」
「ユベ……ヌ」
痛い。苦しい。助けて。
ぼろぼろになった手を、伸ばした。
「……わ、た……」
わたしは、ただ、平和な世界を願っただけなのに。
三人で仲よく笑い合えた頃を取り戻したかっただけなのに。
「知ってるよ」
ユベーヌは、アンナが伸ばした手を握った。
「僕は、君の願いがきれいだったことを知ってるよ」
ユベーヌはほほ笑んだ。
「幼馴染だからね。君がいつまでも、胸のなかに透明な水晶を持っていることをわかっていたさ。ただ、悪態をついてるだけで、意気地なしの僕や、大好きなサージェスのために、強い君は身を張ってくれていたんだろう?」
痛みに身をよじらせたからか、つうっと出てくるものがあった。醜くなり、さらに焼けた顔を伝っていく。
「大丈夫だ。君のきれいな願いは曇らせない。僕が、届けるよ」
「……く、に」
「後継者がいる。彼女が、君の国を守るよ。〈導脈〉を使えない皆を守る。もし、君の国が困ることがあったら、僕が助けよう。それは、僕が死んだあとも、盟約として守るよ。魔導師ユベーヌは、幼馴染の魔導師ノザリアンナを必ず助ける」
「……っ」
「だから、安心して、アンナ。君の願いは、僕が手間暇をかけて、必ず届ける」
ほんとうに?
「昔、賭けをしただろ? 僕と君の賭けだ」
それはわたしが勝つわ。だって、人間は醜く、堪え性がないもの。自分の利益のために、目の前の犠牲を厭わないもの。
「いいや、僕が勝つよ。僕は、のんびりとするのが好きだからね。たとえ、途中で悲惨なことが待っていたとしても、辛抱強さでは負けない。必ず僕が勝つさ」
待っていられるかしら。
「峡谷で待っていてくれ。どちらにしろ、僕もまもなく逝く」
しょうがないから待っていてあげる。ひとりだと、あなた泣いちゃうものね。
「合流したら、ふたりで、賭けの結果を見届けよう」
わかったわ。
「だから、安らかに。アンナ。今まで僕の分も、皆の分も、呪いを受け容れてくれて、ありがとう」
──どういたしまして。
ノザリアンナは、最後に笑みを浮かべて、息を引き取った。




