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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち  作者: 稿 累華
第16章:魔法が使えない魔導師─前編─

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309話:決意(2)

(私はまた、まちがえていた)


 自分の数年前の選択。それを今更後悔することはなかったが、この八年、ヴィクトルはヒバリにもっとできることがあるはずだった。

 聖剣使いとして、婚約者として、この世界の歪さに巻き込んでしまった者として、もっと彼女と向き合い、彼女の心細さに寄り添うべきであった。


(私は、逃げていたのだ)


 ヒバリと向き合うことから。

 他愛もなく笑えていた時があっただろう、と。

 シェイラは、そう言った。


(ああ、そうだ)


 ヴィクトルは己の悔いに苦しんでいたが、八年のあいだで、たしかにヒバリの無垢さと存在に救われていたことがあった。

 彼女との他愛のないやり取りで、ほっと息をつけることがあったのだ。それを感じることがいけないと無意識に自分を押さえつけていただけだった。





「この人形は……本来、純粋な願いを叶えるまじない具なのです」


 シェイラは別れ際そう言って、木彫人形の燃え滓を、香り袋に入れて、ヴィクトルに戻した。


「純粋な願い?」

「前向きな、と言いましょうか。明日の槍試合でいい結果が出ますように、と願うような人形なのです。ノザリアンナ呪術のなかにも、そう言ったものがあるのです」

「そうなのか」

「ですが、」


 シェイラは顔を歪めた。きれいな顔に、憎悪のようなものがちらついた。


「足裏に彫られていた〈完成された文字(シッダム)〉は、その願いを喰らうものです」

「喰らう……?」


 不吉な言い様に、ヴィクトルは、ヒバリからその人形をもらった時を思い出した。



「はい、これ。あげる」

「私は……受け取れない」


 ヴィクトルが、ヒバリと距離を取りはじめたばかりの頃だった。

 彼女はさっと表情を悪くしたが、いつもの明るい調子を貼り付けて言った。


「あたしと、仲よくできないんでしょ? じゃあ、せめて、これくらいもらってよ」

「なんだいこれは……」

「願いを叶える人形。ベッドの下に投げ入れておいて。そうしたら、時間をかけて叶うものだから」

「…………」

「いいでしょ。それで、あたしは、ちゃんとヴィックとの距離をわきまえるから」


 ヒバリが食い下がれば、ヴィクトルは受け取るしかなかった。忘れるようにして、寝台の下に放って、そのままほんとうに忘れていたのだ。あとから組紐ももらい、詫びのために付けたが、手首にある組紐は思い出されても、人形のことは日々の多忙さですっかり忘れてしまっていた。

 ヴィクトルは、己の中途半端な振る舞いを悔いるしかない。


「──どうか、この人形に込められた願いを、取り戻して差し上げてください」


 シェイラは、ヴィクトルに香り袋を握らせる。


「呪術の……及んでいた魔法は無効化しましたが、代償となった願いは、わたしでは取り戻せません」

「代償となった……願い?」

「はい。きっと、ヒバリさんにとって、大切な願いです。わたしは、それを……知りませんから」


 だから、どうか、とシェイラは懇願するように告げる。


「……わかった。必ず、取り戻す」

「お願いします」


 そうして、シェイラは転移陣へと消えていった。

 ヴィクトルは、思い返しているうちに、思考が冴え渡っていった。ゆるい眠気が消え去り、体を起こす。


(ヒバリ……)


 君は、あの人形に、なにを願ったのだろうか。


 立ち上がると、ヴィクトルは寝室を出て、しまってあった紅いファル石にいつものように魔力を流し込むと、抽斗にしまった。

 これはもう、ヴィクトルの誓いだ。今更、翻すことはしない。


(だが)


 ヴィクトルはもう、ヒバリから逃げることもしない。

 このサージェシアに巻き込まれた彼女を、救ってみせる。

 ヴィクトルは、急いた。春月の夜半であったが、彼女はまだ、起きているだろうか。


「──なに?」


 突然訪れたヴィクトルに、ヒバリはびっくりした顔をしたが、すぐに表情が消えた。


「また、苦言を呈しにきたの?」

「……なんのことだ?」

「王妃さまたちの集いに顔を出すなって」

「ちがう」

「大丈夫だよ。安心して。もう断ったから。わたしも、楽しくなかったし……」


 ヴィクトルは、その表情とつめたい声音に、八年間の失態がすべて表れていることを悟って、それでも逃げなかった。紅い双眼を、扉ごしのヒバリに向ける。


「今日は、すまなかった」

「……なにが?」

「祭礼に、行けなかった」


 ヴィクトルは、シェイラたちと話していたから、出席できなかった。

 それは、ヒバリからすればひどい裏切りだろう。誠実に、詫びるべきことだった。


 ヒバリは一瞬、狼狽したように見えた。それでも、表情も声音も変わらなかった。ぽつりと返される。


「……べつに、いいよ。わかったから。もう夜も遅いから」


 おやすみ。そう言って、部屋の戸は閉ざされる。

 ヴィクトルは、溜息が出そうになったが、すぐに払拭した。八年間の選択、失態のせいだ。今回でどうにかなるものではない。

 決意を新たにしながら、踵を返す。


(必ず……)


 ヒバリの願いを取り戻そう、と。


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