306話:シェイラとヴィクトル(2)
ヴィクトルを、見る。
「どうして……それを……」
ヴィクトルの顔が上がった。秀麗な面立ちは、はっきりと告げた。
「ガザン老師から聞いた」
「いつ……」
「……四年前。ガルバディアの宮殿で。君は……戦闘で消耗して、伏していた」
その言葉で、シェイラはすべてを悟った。
体が脱力していく。
「……そう、ですか」
「償いがしたい」
ヴィクトルが、言った。
「……いいのです」
シェイラは、薄く笑う。
「今日話ができただけで、わたしは十分です」
「だめだ。君の寿命を取り戻す」
シェイラは、ゆるゆると首を振った。
「……削られたものは、取り戻せません」
「いいや。取り戻す。なんとしても……! 必ず、あるはずだ。自分に誓った。必ずさがし出すと」
ヴィクトルはそう言うと、胸元に手を入れた。見覚えのある腕環が出てきて、シェイラは、はっとしてヴィクトルの顔を見た。
「これに誓った」
「トール……」
「君に。君がくれたものに。
──私は今も、君を愛している」
唐突な告白に、シェイラは瑠璃を見開いた。
金の腕環と、ヴィクトルの紅い双眸。交互に見つめて、シェイラはそっと目を伏せた。自分のなかの感情を、正直に伝える。
「……はい。わたしも……あなたを愛していました」
シェイラの台詞に、ヴィクトルの手がぴくっと動いた。
静かな、間があった。
シェイラは、少ししてから、ヴィクトルの手を握り返した。
「これからも、あなたの幸福を、心から願っています」
ヴィクトルが、シェイラを見上げる。
「あなたが、いつも、他愛もなく笑ってすごせるようになることを祈ってます」
「他愛もなく……?」
「きっと、この八年、そういうふうに笑えた時もありましたでしょう……?」
シェイラが尋ねると、ヴィクトルは紅い目を瞠った。
それから、力が失われたように、両手が離される。
「……ああ」
「もう、罪悪感から解放されてください。今日で……終わりにしましょう」
シェイラが言うと、ヴィクトルは無言のうちに受け取ったようだった。顔色は変わらない。けれど、どこか入れつづけた力が抜けた、そんな気配がした。
沈黙をともにする。
そうしようとして、急にヴィクトルは「うっ」と声をあげた。こめかみを押さえる。
「トール?!」
両手で頭を押さえて痛みをこらえるようにする。
「どうしたのですかっ?」
「ぐ、あ……っ、いつもの、だ」
呻く声に、シェイラは蒼白になった。指さされるままに、香炉を見つけた棚にある薬水瓶を取りに行く。
やたらにある瓶が、この頭痛のためであることを悟って、シェイラはヴィクトルの症状に落ち着きがなくなった。頭を巡らしながら、青紫の瓶を取り、にわかにいやな気を感じ取った。
わずかな臭気。さきほどの香炉とは異なる。細く、ひょっとしたら、些末とさえも言えるような気を感じて、シェイラはその袂をさぐるようにして、今一度青銀石を握り込んだ。
(これは……)
視界に揺らいで見えたのは、一本の線だった。香炉の時ではなく、細い一本の線が、途切れた〈細蟹〉の糸のように揺らいで、ヴィクトルの頭から先、寝室のほうへと向かっていた。シェイラが寝かされていた先。
そうして、シェイラは、理解した。
怒りかなにかに、突き動かされたようになった。部屋に入ると、すべてをひっくり返すようにして、物を散乱させる。抽斗、枕、掛布、棚、卓下、次から次へと開けては広げ、物をどかして、裏に返す。
「ラー、タ……?」
体をなんとか起こしたヴィクトルが、シェイラの急な振る舞いに驚いて、扉枠に手をかけながら覗き込んでくる。
ややもせぬうちに、寝台の下から見つけたのは、ひとつの人形だった。
シェイラの髪はほつれ、息が上がっていた。
──木彫人形。
一見すれば、よくあるただのまじない具だ。モルリオールの高等魔術学院なんかでも、子どもたちが持っていた。木彫人形は害がないと習うから、皆無邪気に使うのだ。
だが、シェイラはその人形の靴底に当たる部分を、見た。
彫られた〈完成された文字〉。
その凹部分に流し込まれるように注がれている血墨。
シェイラは、握りながら手が震えるのがわかった。
「それは……」
ヴィクトルが、人形に心当たりがあるかのようにつぶやく。
シェイラは、呪文をつぶやいた。高速で二十四回。ヴィクトルの年齢の回数だけつぶやいて、それからふっと息を吹きかけて、シェイラは指先に魔力を練り上げる。
浄化の炎と、護りの闇。赤と紫を混ぜ込むように手の平に沸かせて、低い温度で炙るように、人形を焼いた。まもなく木材が発火し、馥郁とも言うべき妖しい香木の香りを放つ。そうして、一気に熱量を上げると、炭化させた。
しゅうう、と、シェイラの手のなかで炭になった人形が、ぽろぽろと黒い粉を落として形を崩していく。
ヴィクトルは呆気に取られながら、されど、はたと気づいたように自分の頭をさわった。
「痛みが、収まった……?」
「──これは、だれからですか」
シェイラは押し殺した怒りをぶつけるように、低い声でヴィクトルに問うた。
「だれからもらったものですか、トール」
許しがたい怒りで、シェイラはヴィクトルを睨みつける。
ヴィクトルは、虚を突かれながらも、炭化したものを凍りついたように見やった。ぼそっとつぶやかれる。
「……だ」
「え?」
「──ヒバリだ」




