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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち  作者: 稿 累華
第16章:魔法が使えない魔導師─前編─

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305話:シェイラとヴィクトル(1)

 シェイラが訊くと、ヴィクトルもベイドルも、その存在をやっと思い出したと言う顔をした。

 ヴィクトルが応じる。


「それは母上からだが……」


 苦虫を噛み潰したような声に、ベイドルが反応した。


「すぐに出どころを突き止めて参りましょう」


 立ち上がると、シェイラから香炉を取って、扉へと向かう。


「ほう。私も協力できるかもしれませぬな」


 香炉に刻まれている古詩を認めて、面白そうにあとを追ったのはラムルだった。

 意図せず、シェイラは、ヴィクトルとふたりで取り残された。その状況に気づいたのは、声をかけられてのことだった。



「──ラータ」



 背後からかかった声に、シェイラは振り返った。

 力をなくした笑い方で、ヴィクトルがシェイラに懐かしい目を向ける。


「少し……話さないか」


 シェイラは、束の間、瞳を揺らした。

 わずかに逡巡を覚えて、だが、ぎゅっと青銀石を握り込むと、小さく肯く。


 ヴィクトルに促され、席に腰かけた。

 八年、いや、それ以前からわだかまっていた互いへの感情が、硬い鉱石となって鎮座しているような沈黙があった。


 切り出したのは、ヴィクトルからだった。


「息災、だったか?」


 彼らしい、おだやかな声音だった。竪琴のような音。

 昔と変わらない音に、シェイラは張り詰めていた緊張を、ふっと肩から下ろした。


「はい。元気でした」

「……そうか」

「……トールは?」

「私は……」


 尋ねると、ヴィクトルは言い淀んだ。窪んだ下瞼や、見えるようになった頬骨の影が色濃く見える。

 シェイラは、正直に心配を唇にのせた。


「元気に……見えませんね」

「…………」

「わたしに……聞く権利はありません。ですが……」


 シェイラは自嘲するように笑ってから、息を継いだ。


「どうして、そうなってしまったのかと思いを馳せるだけで、つらく苦しく……。あなたの道のりを一緒に歩めなかった十五の自分の選択を、悔いるしかありません」


「……ラータ、ちがう」


 ヴィクトルは紅い双眸を強く振った。

 シェイラもまた、静かに首を振り返す。


「いいえ、わたしは、とても……愚かだったのです」


 シェイラは、この一年で思い返したことを口にした。


「当時のわたしは、視野が狭くて……自分の望みを叶えるためには、魔法を使えるようになるしかないと思っていました。そうずっと思い込んで、自分の心からの気持ちを、あなたに話してこなかったのです」


 そう思ったきっかけは、イディオンとのあいだに起きたすれちがいの喧嘩だった。

 自分の気持ちは、相手に伝えなければ、伝わらないのだ。たとえ行動で示していたとしても、わからないこともあるのだ、と。それは、ターニャやリヨンから教わったことでもあった。


「あなたの……隣にいたいと思っていました。ずっと、{導線}を走るしかないあなたの隣にいて、わたしが孤独なあなたの道のりを支えたかった……」


 シェイラは、言葉を区切って、ヴィクトルを見た。


「あなたと一生、ともにありたかったのです。ほんとうは、魔法なんて使えなくてよかった……。あなたの隣にいられれば、ただ、幸せだった。自分のほんとうの願いを忘れてしまっていたのです」


「…………」


「それなのに、あなたがずっと伝えてくれていた気持ちを、ずっと無碍にしてしまっていました。最後も、ひどい言葉をぶつけてしまって……申しわけございませんでした」


「ラータ」

 立ち上がったヴィクトルは、シェイラの横に跪くようにして両手を取った。


「ちがう。ちがう。私だ。……私なんだ」


「……トール」


「君の気持ちを……ずっと理解してこなかった。君がどれほど私のことを想ってくれていたのか知ってたのに、君の魔法が使えるようになりたい気持ちを誤魔化すようにして……そうまでして、一緒にいてくれようとした気持ちを……知ろうとしてこなかった」


 ヴィクトルが額づくように、シェイラの手にふれる。


「魔法は使えなくてもいい。そう言って、君の赤心を傷つけてきた」

「…………」

「イディオン王子が、教えてくれたんだ。魔法は使えなくてもいい。その言葉は残酷である、と」


「イディさんが?」


 シェイラはびっくりして、ヴィクトルの頭を見つめた。


「ああ。君の……教え子だった彼が、私に、気づかせてくれた」

「そう、ですか」


 シェイラは、顔がくしゃっとなった。

 不意なところに、イディオンの心が転がっていて、たまらない気持ちになった。

 イディオンは、だれよりもシェイラの気持ちを知ってくれていたのだろう。それを感じられてしまって、胸のなかがあたたかくなった。


「──すまなかった、ラータ」


 ヴィクトルの謝罪に、シェイラは首を振る。


「いいえ……」

「すまなかった。君の気持ちを知らず、私こそ別れ際に、試すようなひどい言葉を……」

「もう……、いいんです」


「いや、到底……許されない。許されるべきことではない。君は……命まで削って、心を砕いてくれたというのに……」


 シェイラは、ヴィクトルのその台詞に、冷水を浴びせられたかのように頭が真っ白になった。


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