302話:聖都オルリアへ
翌朝、シェイラは自室で気持ちよく目が覚めた。昨夜の記憶が少し曖昧だが、疲れてそのまま寝台に潜り込んだのだろう。視界と思考は明瞭だ。心なしか、気分もいい。
よし、と意気込むと、オルリアへ出立のため、準備をはじめた。
シェイラは、魔導師としての準礼装で、ヴェッセンダリアの転移城塔から、聖都オルリアへと転移する陣を踏んだ。
いつもの赤紫の長外套ではない。光沢のある絹でできた薄桃色の長外套をまとった。肩留め徽章は、銀。なかの彫刻は、知にひたむきなトルシアの花。準師を示す。長外套の下は、あえて格式高く麗裙をまとった。長外套と同じく薄桃の絹でできた衣は、透かし模様の美しい紗が幾重にもなったものだ。
髪はすべてしっかりと結い上げ、縄のように編みあげる。師であるガザンと同じ髪型は、シェイラの背骨をしゃんとさせる。
(大丈夫です)
シェイラは、きちんと魔導師として、オルリアの地を踏める。
「参るぞ」
同行者がいた。なんと、ラムルだ。
赴任している技術国に帰還するのではなく、今回シェイラとともにオルリアに同行するという。オモノン老師からの依頼で、シェイラとラムルが顔見知りであることを知ってのことだった。
「今回は、ラムル師が、わたしの補佐ということで合っていますか?」
準師のシェイラが、笑顔で多少嫌味っぽく尋ねれば、
「ふんっ」
と導師のラムルは知った反応をした。
「なぜ、この私がフェノア師ではなく、お前のような小娘に……」
文句を言うところも変わっていない。
シェイラは思わず吹き出してから、顔を合わせることがあれば言おうと思っていたことを口にする。
「ラムル師」
「そもそもなぜ、この娘が準師で、私がまだ導師のまま──」
「ラムル師、イディオン王子をきちんと導いてくださって、ありがとうございました」
シェイラが被せるように告げると、ラムルの独語はぴたっとやんだ。
「あなたが、三年で殿下を導いてくださったおかげで、わたしはこの一年をすごすことができました」
「…………」
「ラムル師の教えのたまものです」
「はて、なんのことやら」
ラムルは、片眼鏡をくいっと直した。
「私はただ、黒檀から命じられたままに殿下を指導したにすぎん」
「そうですか?」
「あくまで命令だ。まあ、殿下は命の危機に瀕することもありましたが、もとより運がいいのでしょうな。血だらけになろうが、踏みつけられようが、文字通り燃え尽きそうになっても、死にものぐるいで這い上がってきましたとも」
「……殿下は、努力家ですから」
聞いて驚くことはなかった。
イディオンの三年での変貌を見れば、とんでもない修行をやってのけたとわかる。
「修行を卒業する時、」
ふと、ラムルが思い出したように言った。
「私は、遥か神々を称える叙事詩から紡いだ魔法で、離宮近くに巨大な隕石をぶつけようとしましてな。当たれば、離宮どころか、王都一体も巻き込むような魔法でした」
シェイラはラムルに怪訝な視線を向ける。
「ところが、殿下は、ほんとうに一瞬で消し去ったんですよ。風圧諸共一瞬です」
「……表象魔導は、心象がすべてです」
「そうだとも。だが、空一体を覆う魔法を、心象だけで消し去ってしまう意志」
「…………」
「加えて、それを実現してしまう無尽蔵な魔力量。私は、恐ろしい魔導師を育て上げたと恐怖しましたな。あの方とは、一生やり合いたくない」
「……そうですか」
シェイラは、小さく笑みを浮かべた。喜びだった。
「あの御仁は、よもや大魔導師サージェストを越える魔導師となるかもしれぬ」
「ええ、立派な方です」
「〈導脈〉の力は、殿下の命を数百年と延ばしましょう」
シェイラは、その言葉には反応しなかった。一度、瞑目して、振り切るように開く。
「参りましょうか、聖都へ」
言うとシェイラは、転移陣の起動を合図して、ラムルとともにオルリア聖王国聖都城内へと{転移}した。
「──異様だな」
{転移}してすぐ、聖都城門近くの転移城塔から出たシェイラとラムルは、城壁上から聖都を見下ろした。
ラムルの台詞に、シェイラは肯く。
春の嵐とでも言うべきだろうか。生ぬるい風に渦巻く砂塵に、聖都が包まれている。髪を結い上げていなければ、シェイラの髪も巻き込まれていたかもしれない。
シェイラは眉をしかめる。
知っている聖都オルリアの景色ではない。
(オルリアは……)
白く、美しい都だ。城壁に使われるバラムの石材。漆喰の白壁。ところどころに、オルリア聖教の壁画が描かれた宗教都市。そこに金と赤の差し色が加わることで、大陸中央の輝きと呼ばれているのが、母国オルリアだ。
だが、今は汚されてしまっているようだった。あまい、いやなにおいもする。
(春霞……?)
それが、聖都に滞留しているというのだろうか。
「シェイラータ準師!」
その勘が当たったかのように、ラムルの警告する声とともに、降下してくる一陣の風があった。
シェイラは、反射で、翅を開いた。鋭い風切羽。
──〈雲虹〉だ。
極彩色が、複数目に入る。一瞬、四年前のガルバーンでのことが頭をよぎった。
瞬時に矢を穿った。次から次へと炎や氷、石の矢を放っていく。
あいだに、召喚陣を開いた。
「{アバンダス}」
陣を突き破って現れた銀狼は、〈雲虹〉を相手にする。さらに、上から水飛沫とともに降りてくる〈水蛇〉があった。
シェイラは、今度は雷を放ちながら、片手では出力の大きな魔法を描いていく。上空に飛翔しながら、全体を鳥瞰する高さまで上昇する。
重層の魔法陣。一陣、二陣、三陣。角を重ね、円をいくつも描く。
「甘く見ないでくださいね」
シェイラは、この四年で準師になったのだ。群れる蟲など、敵ではない。
「──放て」
瞬間、大きな緑の旋風とともに巨大な氷柱がいくつも蟲の上に降り注いだ。命中させながら雲散し、霧となったそばから、風が竜巻となって吸い上げていく。
「おしまいです」
右人差し指の指輪を輝かせながら、最後の〈水蛇〉を仕留め終えると、アバンダスのうえに降り立つ。
「よくやりました」
銀狼は大きな目のあいだを撫でてやると、気持ちのよさそうな顔をして、召喚陣へと帰っていった。
シェイラは、もとの城壁上に降り立って、最後に旋風を拡げるようにして聖都全体から、霧を吹き飛ばすようにした。ふっと皮膚下の魔力を消耗した感覚を得る。
「ふんっ、さすがですな」
戻ってきたところに、ラムルはラムルらしく労った。
この男は、戦闘にまともに参加しないのだろうか。
(隕石を出してくださいよ)
だったら、シェイラはもう少し楽に戦えるはずだ。
イディオンとの修行の話を聞くと、四年前の戦いの時、このラムルは本気を出していなかったのではなかろうかと思ってしまう。
ふいに、がくんと、体から力が抜けた。
(あれ……?)
緊張が抜けると、どっと疲労が肩に乗しかかる。足元が、揺らぐ。
「これ、は……」
体が、傾ぐ。平衡を、維持できない。
突発的な眠気。まぶたが、落ちていく。
(まさか……)
『睡眠に気をつけろ。それから、魔法を使い終えたあとの突然の眠気』
サルオンの忠告が、思い出される。寿命が近くなってくると、どうなるのであったか。
シェイラは、自分の手を見た。皮膚下の〈命脈〉が線上文字の銀色を浮かび上がらせる。明滅して、自分の残りを報せるように、銀をまたたく。
幻に銀の冴え冴えとした光が浮かんだ。
戦慄が、シェイラに手を伸ばさせた。
幻影に、手を伸ばす。
忘れていたわけではない。自分の寿命を。だが、今こんなところで、倒れるわけにも、失うわけにもいかなかった。
──約束を。約束を、守らねば。守るのだ。
空振りして、だが、意識の消失とともに掴まれる。
「──ラータっ!!」
力の抜けたシェイラの体を、ヴィクトルが受け止めていた。




