300話:抑止の力
先ぶれを出したうえで、シェイラは、翌日オルリアへと出立することになった。
研究塔に戻りながら、頭に引っかかった小骨のようなものの思考を深める。
──聖剣と、聖女とは、なにか。
シェイラが引っかかったのは、それであった。
{朧竜}の正体を知ったうえで考えると、聖剣と聖女というのは、とても不気味なもののように見えてくる。
シェイラが知っていることは、{朧竜}が〈魔導霧〉を作る規格外の魔法であることだ。大魔導師と弟子たちによって作られた、千年以上動きつづける大魔導。それが{朧竜}だ。
この事実を、シェイラはまだ、老師たちに明かしていない。イディオンと話し合って、明かす時期ではないと判断した。
「下手な事実だけでは混乱を呼ぶだろう。とても信じられる話ではない」
「同意です。告げるのであれば、一緒に{朧竜}の魔法を打ち破るものを目算してからがよいと思います」
「ああ。いかに、老師たちと言えど、信じるかどうか……」
「ヴェッセンダスの{索引}に示されていたと言えば、受け入れると思います。ですが、十二老師がどう判断をするのか、検討もつきません」
急使としてスヴェリがやってくる前日のことだ。
ふたりで、アメリ草の茶を飲みながら、談義していた。
「──{朧竜}は、どうやって千年以上も動いていると思う?」
イディオンは、不思議な話だと語った。
「大魔導師たちが構築したのだから、ぼくたちでは理解できない大規模な術式が使われているのは、まちがいない。永遠に動きつづける完璧なものだと言われてしまえば、それまでだろう。だが、いかにすごい魔導師たちが作ったのだとしても、人が作ったものだ。完璧というのは難しい」
「前に、おっしゃっていましたね。完璧というのは、案外難しいと」
「ああ」
「十人以上の人間が協力して作ったのです。その難しいことを達成できる可能性は?」
「なくはない、と思う」
シェイラが問えば、イディオンは顎に手を当てながら長靴を鳴らして、部屋を歩きはじめた。思考している。
「互いが互いの欠点を補う。強みを使って作り上げる。それは可能かもしれない」
「はい」
「だが、規模が大きすぎる。大陸全土に霧を吐く魔導の竜。そんな完璧な存在を、果たして十三人の魔導師たちだけで作り上げることができるのか?」
イディオンは半ば自問自答のような感じになっていた。
シェイラはくすっと笑いながら、茶を自らの器に足す。空になったイディオンの茶器にも注いだ。啜りながら、ふと思いついたことを訊いてみる。
「今なお、人力の部分があるのであれば、どうでしょうか?」
「人力?」
「人によるなんらかの干渉があるのだとすれば、どうでしょう。動くために補佐するものがいるということです」
「動くための補佐……」
シェイラの思いつきに、イディオンは秀眉を寄せた。
それから、はっとしたように眉を開く。
「〈眼〉だ」
「眼……?」
「あれだよ。エレンシアが言っていた」
イディオンの言葉に、シェイラは精霊女王との謁見を思い出す。あの時、求めるものはここにはないと衝撃を受けていたが、たしかに、あの女王は〈眼〉という言葉を口にしていた。
『我は眼ゆえ……いや……』
シェイラもまた、耳飾りにふれて考える。
我は、と言っていた。ということは、魔導師たちそれぞれがなにかを担ったのだろう。写本を作り上げるように分業したのだ、おそらく。
(エレンシアが眼を担った理由)
虹の眼を持つからか。
(いいえ……)
おそらくは、べつの理由だ。
はたと気づいたことに顔を上げると、イディオンとかち合った。ふたりで、同じ答えに行き着く。
「〈極光の壁〉か」
イディオンが口にして、シェイラは肯く。
「〈極光の壁〉を築く代わりに、女王国に〈魔導霧〉が入らないようにする。エレンシアは、おそらくその役目を担っているのです」
「自分の国だけ、霧から逃れようということだな」
イディオンが舌打ちする。
シェイラはびっくりして、咎めた。
「がらが悪いですよ?」
「悪いのは精霊女王のほうだ。性悪だよ、あの魔導師は」
「今、注意したのはイディさんの振る舞いです」
「年上ぶるのはやめろ」
「年上とか関係ないです。舌打ちは感じ悪いんですから」
「ごめんなさい」
ちっとも反省してなさそうなイディオンを、シェイラは呆れたように見やる。
イディオンはこれ以上お咎めなしと思ったようで、話を戻す。
「だが、〈眼〉でなにを捉えているのか……」
「それはおそらく、〈魔導霧〉の濃さではありませんか?」
シェイラは、からっと言う。
「濃さ?」
「はい。大陸全土に増えすぎるのを観測する役割ではないかと。大地とつながりの深い精霊たちの力を借りれば容易な気がします」
「なるほど……」
イディオンが思考に潜っていく。シェイラは、自分が思ったことを追加する。
「大陸全体と言えど、平面ではありません。吐きつづけられる〈魔導霧〉が溜まるところ流れるところ、そうして吹き溜まりになっていくところ、全体を観測しているのかもしれません。増えすぎないように」
「増えすぎたら、どうする?」
イディオンが問う。
リマスの言葉をかりれば、さまざまな魔法が生み出されるように、魔導師たちは、架空の敵を作り上げたのだ。その敵が増えすぎたら、どうするか。
「抑制するしかないですが……」
「どうやって?」
「そのための、エレンシアの〈眼〉ではないかと。もとから〈魔導霧〉を出しすぎないように、制御する」
イディオンの秀眉は寄ったままだ。腑に落ちない。そういう顔をしている。
シェイラも自分で言っておきながら、いささかこじつけがましい気がしていた。そこまでいくと、エレンシアの役目は、〈眼〉だけではなくなってしまう。
そこで、その日の議論は終わった。互いの黙考が長くなって、答えが出なかった。
シェイラは思い出しながら、頭に引っかかったことに、ひやりとするものを感じていた。
──聖剣と、聖女。
そして、星詠みの詩、前半だ。
月の輪、十八たび巡る刻
霧の厄禍
地を覆わん
災いに備えよ
聖剣を掲げ
福音を寿げ
されど忘るるな──
魔女の集いを
子らの声を
賤しめらるる者の声を
聞かずば光は滅び
抑止の力は失われん
シェイラは気づいて、足を止める。まもなく、ガザンの研究室であった。
(抑止の力……)
昨年の星都大陸会議でのヴィクトルとオモノンの会話があった。
『光や、抑止の力とは、私と聖女のことか?』
『おそらくは。厄災を抑える力としての、聖女と聖剣使いの力であろうと思われる』
シェイラの脳裏はまたたいた。
(厄災とは……〈霧の厄禍〉とは……)
{朧竜}が吐きすぎた、《《〈魔導霧〉が溜まりすぎてしまう時期》》のことだ。そして、おそらく大魔導師たちは作り上げる前に、そうなる可能性を予見していた。だから、エレンシアという〈眼〉を用意した。溜まりすぎを見定めるために。
(その〈眼〉で見たものを報せるのがエレンシアの役目)
なんのために?
予見であれば、大占卜師や、霧詠みがいる。エレンシアの役目はいらない。
(予見されるよりもはやく感知するためです)
四年前の王都ガルバーン襲撃。あれを、セレリウスが親しくする精霊は、感知した。
おそらく、精霊は〈魔導霧〉を敏感に感知するのだ。予見されるよりも、もっとはやく。
(そして、厄禍に備えるために、感知したものを報せる)
なにに?
──おそらく、聖剣に、だ。
シェイラは、春雷を受けたように、扉の前で佇立する。
(トール……)
額が、こつっと木戸を叩く。
(あなたと、わたしは……)
どこまでも、箱庭のなかを走らされていた。
沈殿した過去が舞う。澱みに沈んだ粘土のようなもの。
(わたしたちだけはない)
ヒバリもだ。
彼女も、聖剣を媒介として{召喚}され、凝集した霧を払うという装置の一貫として、聖女の役目を負わされている。
(壊さなければ……)
──{朧竜}を。
シェイラが気づいたことをさらにを深めながら、戸を開く。重たい木戸をくぐれば、そこはガザンの研究室であったが、奇妙な声が聞こえて、顔を上げる。
「……ったく、あたぁしに、わかぁるようにしろってんだいぃ」
大きなネコでも入り込んだのだろうか。
シェイラは、はじめそう思った。目に見えるのは真っ赤な長外套に包まれた尻で、書棚を漁るようにしている姿だった。
あまりにも間抜けな姿に、ぽかんとする。直前まで考えていたことがすべて吹き飛んでいった。




