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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち  作者: 稿 累華
第16章:魔法が使えない魔導師─前編─

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298話:秘められた魔術

 シェイラは一週間を、どこかぼんやりと過ごした。

 静かだ。あまりにも静かで、自分の存在が空気に混じってしまったのではないかと思う。


 ──イディオンが、いない。


 彼はよく喋るわけではなく、黙っていることも多かったから、大きく変わらないはずなのに、絵画の中心人物が留守にしてしまったかのようだった。


 シェイラの隣にいない。

 不在に、ぼんやりとしてしまう。


 書をめくって顔を上げれば、いるはずの姿がないことに気づく。そのまま、ぼうっと手を止めて、いるはずのところを見てしまう。


 ヴィクトルとひどい別れ方をした時は、身を裂かれ、(えぐ)られてしまうようだった。

 今はなぜか、時を止めてしまう。気づくと、もらった写生帳を眺めている。その描かれた線や、塗られた水彩の跡を無意味になぞってしまう。


 いつの間にか、一週間をそんなふうに過ごしていた。


(頭を切り替えなければ……)


 まもなく、春。オルリアの月がやって来る。厄禍に備えて、臨時の星都大陸会議が開かれる。シェイラはそれまでに、まとめあげなければいけないことがある。


(大丈夫です)


 イディオンとは、約束した。彼は、三年で魔導師になった人だ。今回の約束だって、絶対に守ってくれる。シェイラも、絶対に守る。

 シェイラは思って、椅子を引いた。姿勢を正して、背筋を伸ばす。そうすると自分の軸を感じた。強い意志を思い出し、整えられた自分の研究室で、写本をめくっていく。


 ──魔導師ノザリアンナの手記。

 リマスは、ほんとうに、その手記を{転写}したものをシェイラたちに寄越してきた。


 王都ガルバーンの工房街の裏通り。


 使いでやってきたマーロは、ほくそ笑んでいた。

「教えてやったのに、みすみす逃すとはな」


 暗にマーロが言ったのは、女王グシェアネスとムディアンの力が奪われたことだった。

 シェイラは、受け取りながら、つめたくマーロに応じる。


「そもそも、わからせるつもりはなかったのではありませんか? 持っている情報に差がありました。あれだけの情報で、わたしたちがねらわれている対象を絞るのは困難です。ほんとうにわからせるつもりなら、名前を明かしてしまえばいいのですから」

「…………」

「あなたはただ、わたしたちの無様な姿を目にしたかっただけではありませんか?」


 シェイラは、マーロを突き放すように言う。

 開いている片方の目を見開くと、マーロは呵々と笑った。


「手がかりを伝えてやったというのに、随分な言われようだな? 好いた男の家族を守れなかったことがくやしいか?」

「…………」

「団長から聞いただろう。そもそも、この世界が狂ってるんだ。俺たちは正そうとしてるにすぎねえ」

「ほんとうに?」


 シェイラは、首をかしげた。受け取った手記を小脇に抱えながら問う。


「マーロ・スパン。あなたは、ほんとうに、自分がやろうとしていることが正しいと思っているのですか?」


 マーロが怪訝に片眼を細める。


「なにが言いたい?」


「ヤルチェさんの時、わたしたちが駆けつけたのが間に合ったように見えますが、そもそも余計な間がありすぎたように思います。

 ほんとうに世界を正そうとするなら、彼女にいらぬ情報が伝わるような部下の失態を許すはずがない。わたしたちが{転移}してくるより前に決着をつけられたはずです。まるで、阻止されるのを待っているようでした」


 シェイラの語りに、マーロは無言を貫く。


「さらには、リヨンさんです。ねらっているのは、{感応}であると伝わるような話しぶりでした。結果、わたしたちは命を救うことは叶いました。図ったかのように」

「…………」

「偶然ですか?」


 シェイラがもう一度首をかしげれば、マーロはふっと笑った。


「さてな」

 マーロは長外套を翻す。{転移}で消えていく。

「俺自身もわからんさ」


 そう言って、マーロはシェイラの前から消えていった。


 シェイラはその光を見送ってから、帰城し、受け取った写本をさらに{転写}した。ひとつはイディオン、もうひとつはシェイラが持って、互いに読み進めて解釈を交わすことになっている。


 シェイラは思い起こしながら、手記をめくる。

 綴られていたのは、ヴェッセンダスから聞いた{朧竜}。それが話題に上がり、偉大な魔導師たちが作り上げることを決めた経緯であった。


〝竜なんて発想、吐き気がする〟


 ノザリアンナは、サージェストと弟子たちの会話を淡々と事実として綴ったのち、一言、そう書いていた。べつの日には、連なる内情が記されていた。


〝……だけど、サージェスたちの案は正しい。敵を作る以外に、わたしの願いを叶える方法なんてない。人間は醜い。戦の炎は尽きず、怨嗟は土を沸かす。神頼みをしたところで変わることはない。わたしたち、魔導師がなさねばならない。これ以上、人間同士の呪いが生まれぬように〟


〝今日、ユベーヌが来た。相変わらずの理想主義。サージェスも理想を夢見るけど、彼は現実もきちんと見たうえで語る。ユベーヌは、ばかの極み〟


〝……でも、少しだけ、うらやましい〟


 賭けてみよう。ノザリアンナの字が、綴られていた。


〝わたしは、この魔術を{朧竜}に秘める〟


「〈峡谷より導く竜の角笛〉の魔術……?」


 シェイラは文字をなぞった。〈完成された文字(シッダム)〉で記されていたのは、そういう意味のものだった。


 〈完成された文字(シッダム)〉は、一文字で多くの意味がこめられる。細部結合によって一字をなす。その分、解釈が複雑で、形や配置場所によって意味がずれることがあるが、完成されたと称されるように、呪術を執り行うにあたって、完成しきった文字だった。


 ノザリアンナの手記は、その〈完成された文字(シッダム)〉で陣が描かれていた。切嵌(モザイク)のように配置されて、引いてみれば、角笛の影絵のように見える。角笛を模した陣。円や角で構成されたものではない。


(随分と特殊な陣です)


 使用されている〈完成された文字(シッダム)〉は、十二だった。

 〈哀れな子どもの魔法〉と称された字が四。おそらく、殺されたアノンたちを意味する。

 〈哀れな超克した力〉が一。これはリヨンの{感応}。


 そのあとは、すべてひとつずつ。〈冠を待つ偉大なる力〉。これは、ムディオンだろう。〈偉大な女魔導師の力〉。これは、ガザン。

 そうして、二箇所、文字が塗り潰されていた。


 〈■■■■■■〉。

 〈■■■■■■〉。


 シェイラは、その塗り潰された文字のうえで、視線を止める。

 おそらく、リマスたちが伏せたものだろう。まだ、手に入っていない力だ。マーロが言っていた残りふたつ。


 最後に、〈冠を戴く偉大なる力〉が三つ、とあった。ひとつは、グシェアネス。


(もうふたつは……?)


 あと、ふたりの王がねらわれていることを示している。

 シェイラが思考に沈んでいると、にわかに扉が叩かれた。返事よりも前に声がある。


「──シェイラ、いるかしら?」


 入ってきたのは、フェノアだった。

 シェイラは、驚く。歌唱の魔導師は、{魅了}の乗った玲瓏とした声を響かせる。


「相変わらずねえ。集中していると、外の音が聞こえないんだから」

「モルリオールぶりですね。いったい、どうしたんですか?」


 フィシェーユに赴任しているはずのフェノアがなぜここに。


「大陸全土の魔導師に、召集令がかかったの」


 発言に、シェイラは瑠璃の目を見開く。


「なぜ?」

「わからないわ。でも、魔導師たち全員なんて、よっぽどのことね」

「…………」

「大講堂に集合ですって。行ける?」

「……行けます」


 シェイラは、暗然とノザリアンナの手記を見やると、表紙を閉じた。

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