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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち  作者: 稿 累華
第16章:魔法が使えない魔導師─前編─

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296話:呪いと願い

「──アンナ」


 樫板の上で書き付けを行っていると、純朴な男の声が石洞(せきどう)に響いた。頭巾(フード)ごしに顔を上げる。


「……なんか用?」


 ノザリアンナは、ぶっきらぼうに、男──ユベーヌに尋ねた。

 ここは狭いね、と言いながら、魔導師ユベーヌはその大柄な体を折り曲げながら、戸口をくぐってくる。一馬身より低く掘られたアンナの部屋は、背の高い男からすると狭く感じるらしい。


 入ってくると、すぐに空いている寝台のうえに、どっかりと座った。みしっと大きな音を立てる。この男のせいで、せっかく作った寝台がだめになってしまうかもしれない。


(軋んだ音を立てたら、灰ネズミが湧く呪いでもかけておこうかしら)


 ユベーヌは体の大きさの割に小心なところがあって、子どもの頃はヘビやヤスデなどを壺から出してやれば、悲鳴を上げて、サージェスの背に隠れていたのだ。

 アンナの脳裏には、そんな懐かしい記憶がもたげた。

 今となっては、どうでもよい。幼馴染であった頃の三人は、もういない。


 ユベーヌは、用があってやってきたくせに、しばらくぼうっと窓のほうを見て、なにも言わなかった。テッペンスの魔術で岩をくり抜いた窓は、机と同じ樫板を両開きにして、空気を入れ替えていた。外では、羽を黄緑にした花ツバメが飛んでいる。


「なんなの? わたし、暇じゃないのよ?」


 三十分経っても、なにも言ってこないユベーヌに、アンナは呆れ返って、振り向いた。

 男は一瞬きょとんとしてから、「ああ」とのんびり口を開いた。


「ごめん。初夏の緑がきれいだったから、つい見惚れてしまった」


 この男を今すぐ、(かまど)に放り込んで、鍋の薬水(ポーション)としてやろうか。

 アンナは一瞬、そんな物騒なことを思ったが、すぐに鎮火した。


(そういうやつだったわ)


 昔からまったりとしているのだ、この男は。

 聡明で人を惹きつけてやまないサージェストと隣り合っていると、だれもが彼の魅力に嫉妬する。一方で、ユベーヌは、のんびりとおおらかで、花や小動物を眺めて、気にすることなく彼の隣で過ごす。だから、サージェスも、この男を信頼して、一番の親友だと思っているのだろう。


「……アンナ、君は、ほんとうのところは、どう思ってる?」


 ノザリアンナが物思いにふけっていると、やっとユベーヌは口を開いた。


「なんの話?」


 思い至る話題はあったが、アンナはとぼけてみせた。睨みつけてから、また書き付けに戻る。


「……{朧竜}だよ」

「…………」

「君も、あんなことが許されると思ってるのか?」

「まだ、そんなことを考えてたの?」


 アンナは、ばかにした口調を隠さずもう一度振り返った。

 真剣な瑠璃の瞳と頭巾ごしにかち合う。


「僕は、正しいと思ってない。アンナ、君だってほんとうはそう思ってるはずだ」


 鼻で笑った。


「また、あなたが得意な夢見がちな妄想?」

「妄想じゃない。僕は真実を言ってる。敵を作り出すなんて、まちがってる」

「正しいとかまちがってるとか、二分割でしか考えていないところが夢見がちだって言ってるのよ。もうわたしたちは子どもじゃないの。現実を見なきゃいけない」

「それとこれとは、べつの話だ。{朧竜}は、未来の子どもたちに悲劇をもたらす。そんなものは僕たち魔導師の手で作り出しちゃいけない」


「じゃあ、なに? また戦争が起きるのを指を咥えて見ていろって言うの?」


 アンナは、舌打ちした。この幼馴染の男は理想と夢ばかりを掲げて、現実を見ようとしない。そういうところが心底腹が立って、きらいなところだった。


「アンナ、ちがう。そういうことを言ってるんじゃ──」


「また、わたしたちみたいな孤児が増えていいって言うの? ひもじくて、寒くて、毎日毎日、今日食べるご飯のことしか考えられない生活。そういう子どもが増えていいの?」


「そうは言ってない。僕が言ってるのは──」


「じゃあ、ユベーヌ、言ってみなさいよ! あんたが掲げている夢で、このあいだ大陸の外から責めてきた国を追い返すことができた?」


 ノザリアンナが立ち上がって言えば、ユベーヌは、気まずそうに視線を逸らした。それからぽつりと言う。


「……あれは。でも、彼らと話せば、交渉すれば……きっと、そもそも争わずにすんだ。戦わなくてもいい方法があったはずなんだ」

「そういうところが甘いって言ってんのよ!」


 叫ぶように言った。


「あの時、わたしが代償を払って、〈嘆き苦しむ人々〉の首を並べて結界を張ってなかったら、どうなってたと思う?」

「…………」

「蹂躙されてたわ、まちがいなく! 異国の! 異教徒の、言葉も通じない相手となんか、わかり合えっこないの。大切な人たちは守れないの! 多くの人を守ることができないのよ!」


 頭の奥には、子どもの頃の陰惨な光景があった。目の前で父を八つ裂きにされ、母を犯されて嬲り殺しにされた。まだ、立てるようになったばかりの小さな妹は、壁に投げつけられて襤褸(ぼろ)切れのようになった。


「わたしは、そんな世の中はもうたくさん! 戦争なんて起こしたくないの。多くの人が笑って楽しく過ごせるなら、少しの犠牲で済むというのなら、たとえ、わたし自身がどんな代償を払ったのだとしても、わたしはその道を選ぶわ」


「だめだ。そもそも、だれかの犠牲があっての世の中はあっちゃいけない」


「あんたの理想じゃ、現実の人間は救えないの!」


「……アンナ」


「わたしは、現実の、そういう汚濁をも呑み込むわ。呑んで、了承してみせる」


「僕は……」

 ユベーヌが悄然と俯く。大きな体躯は、ただ見た目だけのがらんどうだ。


「今の人々の呪いを受け容れる。そうして、多くの人を守るわ。争うことのない世界を作るために」


 ノザリアンナは、自身の血塗られた長外套(ラーベ)を見る。


「それが、わたし。呪了の魔導師ノザリアンナ」

「…………」

「〈導脈〉なんて便利なものはないこの体だけど、わたしには誇りがある」


 アンナは、自らの信念を携えて、この先も生きていく。


「でも、アンナ……僕は、そう思わない」


 忌々しい幼馴染は、なおも言い募ろうとする。

 彼は肩を落として現実に眉根を寄せていたが、その青金色に宿る希望を願う星は、影っていなかった。むしろ、アンナの黒白とした呪いの闇を受けて、輝いているようにさえ見える。


「もう……まだ、言いわけ?」


 ひと通り喚き散らしたからだろう。

 力が抜けて、アンナは大男を見た。大きな溜息をひとつついて、それから子どもの頃にやった悪戯を思い出したように唇に弧を描く。


「わかったわ、ユベーヌ。そうしたら、賭けをしましょう?」


 ユベーヌの顔がぱっと上がった。

 アンナは、その素直な行動を見て、自分のなかのきれいな部分が安心する。


「わたしの呪い、あなたの願い。どちらが通用するか勝負しましょう」

「勝負……?」

「ええ。他の皆にばれないように」

「なにをすると言うんだ……?」


 ユベーヌは、アンナを見上げる。


「{朧竜}に仕掛けを仕込むのよ。わたしの呪了の魔術と、あなたの手間のかかるまじない」

「…………」

「サージェスに頼まれてるでしょ? 君も祈りを込めてほしいって」

「……ああ」

「それに紛れてやっちゃえば、問題ないわ。わたしも、陣を描くから、そのなかに入れ込んでしまえば問題ない」


 アンナは挑むように、もう一度ユベーヌに尋ねた。


「どう? やる?」


 首をかしげれば、ユベーヌは、しばし沈思黙考した。

 そうして、返答がある。


「──やろう」


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