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魔法が使えない魔導師と、霧の大陸の教え子たち  作者: 稿 累華
第15章:冠を戴く者

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294話:あの日の場所(2)

「──さっき、」


 長すぎるほどの間が空いたのち、イディオンはやっと口を開いた。


「ムディアンから、王太子の地位を退きたいという話をもらった」

「……はい」

「魔法が使えなくなった以上、このガルバディアの王太子は務まらない。そういう話だった」


 シェイラは、きゅっと唇を結ぶ。


「ぼくは、承諾も承認もできないと言った。母上は亡くなり、代理となる父もいなくなった。そうなると、次に権限を持つのはムディアンだ。そのムディアンから、地位を退きたいと言われても、困ってしまう」

「…………」

「ムディアンは、王廷会の承認があればいいと言った。それがあれば、王太子を退くことも、新たに立太子することも可能だ、と」


 イディオンは、言い終えると顔を上げた。

 その顔は、シェイラがよく知っている顔だった。自信がなさそうに不安そうなシェイラを見る顔。



「──ぼくは、どうすればいい?」



 シェイラは咄嗟に立ち上がると、勢いのままにイディオンの頭を抱え込んだ。

 覚悟してきたことなど、どうでもよかった。ただ、この青年が抱えてきたもの、抱えているもの、これから抱えなければいけないものを、今すぐどうにかしてやりたかった。


 母の死。

 父の裏切り。

 弟妹たちの傷。


 ほんとうは、イディオンだって、泣きたいはずだ。喚きたいはずだ。繊細な人なのだ。口にしないだけで、心はやさしく、今も血の涙を流している。叫び出したいほど悔いることもあるだろうに、己を律している。

 シェイラは、それをどうにかしてやりたかった。


(わたしが……)


 わたしがいます。

 あなたの隣にいて、一緒にずっと抱えます。


 ──そう言えたら、どれだけよかっただろうか。


 シェイラは、突き上げてきたかなしみと、どうしようもなく象られたもので、イディオンの頭を力強く抱えた。


「ぼくは……」

 胸のなかで、イディオンが言う。



「──ぼくは、王になる」



 頼りになる言葉とは裏腹に、腕は回ってきて、シェイラに縋りついてくるようであった。


「王になるよ、シェイラ」


 イディオンは苦渋を吐き出すように決意を語った。


「王になって、ガルバーンを守る。国を守る。そのために、ぼくは、王子としてこの国に生まれた」

「……はい」


 知っている。出会った時から、立派な信念を宿した人だった。ただ、石座から落ちてしまっただけで、その座に戻れば、立派になる人物であった。


「王族とは、そういうものだ。臣民に尽くし、国のためにある。ぼくはその役目をよく理解している。それが生まれてからの当たり前で、知識をつけた。自分を磨いた。そうであるから当然だ、と」


「……はい」


「今も、わかっているんだ。理解している。そうあるべきだ。そうでなければならない。これまで得られた自由を考えれば、ぼくは責務を果たすべきだとわかっている。だが──」


 イディオンが、シェイラを上向いた。


「──あなたの隣に、いられなくなる」


 その縹は、痛いほどシェイラに自身の感情を語っていた。


「ぼくは、あなたの隣に、ずっといると約束した」

「…………」

「その約束を、たがえることになってしまう。恩を、返せなくなってしまう……」


 イディオンは、悄然と頭を下げる。

 シェイラは、ただ、その頭を見つめた。銀色を見つめつづけて、しずかに、まぶたを閉じる。


「……もう、十分ですよ」

 うまく笑えているだろうか。


「十分返してもらって、たくさん余るくらいです。だから……」


 シェイラは、告げる。


「──お別れです、イディさん」


 繰り返す。


「お別れです」


「シェイラ……」


 イディオンが、ひどく傷ついた顔をした。

 きっとイディオンは、シェイラに止めてもらいたかったのだろう。言ってほしかったのだろう。


 一緒にいて、と。


 シェイラは、つきっと、心ノ臓が痛む。筋膜が引っ張られたような痛みを覚えて、たえられずにぽろっと言う。


「でも……」

 少し、笑みを向ける。


「……すごく、寂しいです」


 途端に、イディオンに強く引き寄せられた。

 寝椅子に倒れ込みそうになりながら、イディオンがシェイラの名を呼ぶ。頭を抱え込まれる。


「あなたの隣にいたい……ずっと。四年前、あなたがぼくを見つけてくれた時から」


「……はい」


 シェイラは、弱音を吐くイディオンの頭をなでるようにする。抱え込まれているのに、慰めているのは、シェイラのほうであった。頭をなでながら、どうしようもなく打ち寄せてくる感情を凪ぐようにする。


 しばらくすると、イディオンは腕をゆるめた。シェイラは解き放たれて顔を上げる。あとほんの少しで、ふれ合う距離。イディオンは、その距離を詰めようとした。


「──シェイラ、ぼくは、あなたを……」


 シェイラは、しーっと指でイディオンの口を塞いだ。


「次に、会う約束をしましょう?」


 それ以上を、シェイラは聞いてはいけなかった。指を下ろして、提案する。


「……次?」


 願いだった。


「ええ。だって、南瓜のとろみ汁(ポタージュ)を飲ませてくれるんですよね?」


 シェイラがおどけるように言えば、イディオンは、ぱっと顔を明るくした。それから、青年になってから見られるようになった笑みを、シェイラに向ける。


「ああ! 必ず、必ず……!」


 シェイラは、はにかんだ。


「わたし、楽しみにしています」


 笑みが見れて、胸が弾んだ。


「イディさんとまた会うまで。楽しみにして……生きていますから」


 イディオンが、縹を瞠って、シェイラを見つめる。


「絶対に、生きて会いますから」

「……ああ、絶対。ぼくも、あなたに会うよ」


 シェイラは、こくんと肯く。


 それから、手首に結んでもらった組紐に魔力を流し込んだ。左手の小指、小石が並んだ指輪が光って、服飾魔術の魔法が輝く。{紐解き}の魔法は、シェイラの手首の組紐をほどく。それから、その瑠璃の石がついた紐をイディオンの手首にかける。


「──約束の証に」


 シェイラは、祈って結んだ。


「イディさんを守ってくれますように。その道を、照らしてくれますように」


 結び終えて、シェイラはイディオンを見上げる。

 虚を突かれたイディオンは、シェイラの行動を見終えると、自分の組紐を{紐解き}した。それから、シェイラの結んであった手首に、縹の石がついた自分のを結んでいく。

 シェイラは面映ゆく、結び終えるまで、その動きを見つめる。


(ユベーヌの一族では……)


 使っていた装身具の交換は、結婚を約束した男女が交わすものであった。


 イディオンは、そんなことは知らないだろう。

 シェイラだけが、知っている。そう思って、イディオンを見た。


「なにか、祈ってくださいましたか?」

 秘密を隠すように破顔する。


「もちろん、祈ったよ」

 イディオンは当然だと怒ったように言った。


「なにを祈ったんです?」

「べつに言わなくてもいいだろ」

「わたしは声に出したんですから」

「それは、シェイラが勝手にやったんだ」

「教えてくださってもいいのに」


 シェイラは、ぶすっと言った。

 イディオンは、悪びれる様子もなくしれっとする。


「秘密だよ」

「意地悪ですね」

「次会ったら言う」

「ほんとうに?」

「ほんとう」

「絶対ですよ?」

「絶対」


 シェイラはくすっと笑って、それからもうひとつ、約束を取り付けた。


「じゃあ、その時に、イディさんがどうして、魔法を使うのかも教えてください」


 イディオンは聞くと、一瞬悩んだ様子を見せる。それから、真面目な顔になって、強く肯いた。



「──わかった。約束する」

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