292話:使いっ走りの男
シェイラが話したほうがよい相手は、もうひとりいた。
──スヴェリヤス・ノレン。
その男が、ガルバーンに戻ってきてから口を閉ざしているさまを見て、シェイラは自分にできることがあると思っていた。
「あいつは、放っておいていい。自分で解決するべき事柄だ」
隙間に尋ねれば、イディオンはぞんざいにもそう言ったが、シェイラは首を振った。
「それでも、ひとりでは立ち直れない方もいらっしゃいます」
「ひとりにしたほうがいい時もある」
「わたしには、そう見えません」
シェイラは、ぴしゃっと言った。
途端にイディオンが不愉快そうな顔をする。久しぶりに見た、いらだった表情だった。疲労が見て取れて、この一週間の疲れで感情が荒立っていることがわかった。
シェイラは気がつくと、おだやかに声音を下げる。
「少しだけです。お話をしてきます」
「…………」
「それだけです。それからあとは、イディさんが言うようにします」
「……少しだけにしてくれ」
イディオンは、ぶすっと答える。
シェイラは、ほっとして肩の力が抜けた。できるだけ、やわらかく笑む。
「イディさんも、あとでお話をしましょう?」
「……ぼく?」
「はい。疲れた顔を……していますから」
シェイラがねぎらうように告げると、顔がやわらいだ。張り詰めた王族としての顔から一転、シェイラと旅をしてきた青年の顔に戻る。
「……うん」
「待ってますね」
「ぼくの……宮で、待っていてくれないか」
イディオンに提案されて、シェイラはきょとんと首をかしげる。
「前に通っていた、あの宮ですか……?」
「そう」
イディオンは肯く。
「伝えておくから、待っていて。……必ず、行くから」
イディオンの真剣に見下ろしてくる目に、シェイラは、首筋から昇ってくるものがあった。襟ぐりに隠すようにする。俯いて、返事をする。
「わかり……ました」
「……うん」
「待って……います。あの場所で」
──あの、忘れえぬ日の、場所で。
シェイラはそう言うと、イディオンに背を向け、スヴェリをさがしに行った。
〜*〜
シェイラは、スヴェリを城下の〈クチナシ酒場〉に連れ出した。ユベーヌの月の下旬、寒さと静けさに沈む王都は寒色の七色にひっそりとしていたが、酒場には意外と人気があった。ひそひそと言葉を交わすあいだを縫って、シェイラとスヴェリは、間仕切りのある壁際に座っていた。
「──なんかすんません」
スヴェリは蒸留酒を啜っていた。飄々とした様子から一転、うらびれた男の姿だった。
「イディに、どやされませんでしたか?」
くいっとスヴェリは硝子を傾ける。
シェイラは、申しわけ程度に注文した麦酒を口にしていなかった。じっとスヴェリの様子を見ながら、雑談に応じる。
「いらいらされていました」
「あいつが?」
「放っておけと」
「それ、嫉妬ですよ」
スヴェリは、さらに、くいっと呑む。
「俺とシェイラさんが、ふたりになることを妬いてるんです」
「……寝不足で機嫌が悪かっただけですよ」
「わかって言ってるんっすか?」
スヴェリが、シェイラを見た。じっと見返される。
「あいつの気持ち、さすがに、わかってますよね?」
「…………」
「……まあ、使いっ走りの俺が口を出すことじゃないですけど」
言って、スヴェリは手を上げて二杯目を頼む。
シェイラは視線を下げて、膝のうえの手首を見つめる。組紐の銀色がきらっと光る。
「──スヴェリさんは、大丈夫ですか?」
二杯目が運ばれてきた時宜を見計らって、シェイラは本題を口にした。
「俺っすか?」
「はい」
「大丈夫っすよ」
大丈夫か、と人に聞くことは得策ではない。なぜだか人は、「大丈夫?」と問われると、「大丈夫」と答えてしまう。大丈夫というのは、聞き手が安心するための符牒だ。
シェイラはわかりながらもそれを口にした。スヴェリも案の定、乗っかってくる。
「そうは見えません」
シェイラは切り込みたかったのだ。
「そういう顔に見えなかったので、こうして声をかけたんです」
この男は、悠々としている分、きちんと掴まえて話さねばならない。ムディアンやティアランへの関わり方とは異なる。
シェイラが、しっかりと緑の目を捉えていると、スヴェリは視線を逸らした。蒸留酒の表面に移る。
「……俺の人生ってたいがいなんっすよね。貴族の生まれだけど、元素魔術の適性がなくて、くそ親父にはどやされてばっかで」
シェイラは黙って耳を傾ける。
「裏街をうろうろしてた時もあったんっすよ。俺、喧嘩けっこう強くて、一時期裏では有名だったんですよ。なんでだと思います?」
「力が強いから……ですか?」
シェイラはちらっと、スヴェリの腕を見た。上腕には、しっかりと盛り上がる筋肉がある。
「まあ、それも正解ですけど、ちょいちがいます」
「どんなところですか?」
「イカサマが強かったんですよ。俺には{転移}があった。殴り合ってもやばくなったら、しゅんっと消えればいい」
にやっと笑うスヴェリに、シェイラは、これは笑うところだと思って、破顔した。
「それは負けませんね」
「でしょ?」
「反則ってやつです」
「そうっす。でもまあ、裏では最後まで立ってたやつが勝ちなんで」
スヴェリはまた酒を啜った。小さな啜り方だった。
「俺は負けなしでした」
「はい」
「それが気持ちのいい時もありましたが、一時的なもので……」
「はい」
「そのうち、自分のなかに暴れ回っても落ち着かない凶暴なもんが巣食うようになって」
「…………」
「俺に首輪をかけてくれたのが、エヴェリヤン殿下だったんですよ。俺を取っ捕まえて、女王陛下の前に連れ出して、番犬になれって」
「……イディさんの?」
シェイラが尋ねると、スヴェリは肯いた。
「そうです。言われたから、仕方ないからあいつの世話を……」
スヴェリの声は消えていく。
シェイラは、その声を拾うようにしてまとめあげた。
「エヴェリヤン殿下は、スヴェリさんに役目を与えてくださったんですね。あなたの居場所を作ってくださった」
「…………」
「なのに、その役目を命じた方が──」
「利用してた」
スヴェリは杯をぐっと一気に呷った。
シェイラはそのさまを見届けながら思う。
(魔法が使えないこと、魔法が絶対とされること……)
それが、今の歪みと苦しみを生むのだろうか。
リマスの言っていたことが思い浮かぶ。魔法があるから起こるのだろう、と。
(スヴェリさんも、犠牲者)
どうしようもなく、シェイラと境遇が似ている。細部はちがえど、スヴェリとシェイラが置かれた境遇は近しいものがある。どうしようもなく、利用されたのだ。
ふいにイディオンの声がよみがえった。
「あなたは、生きる術を教えてくれたんだ」
鮮明な台詞だった。
(わたしの……)
希望の光。
シェイラは残光を受けて、にかけるべき言葉を選び取っていく。
「──……利用されてしまったことは変わらないかもしれません」
シェイラは、スヴェリを否定しないように選びながら、間仕切りの先を見るようにした。
「その苦しみは、あなたの存在を疑って……時にまた苦しめようとするものかもしれないです」
スヴェリがシェイラの横顔を見るようにした。
「それでも、スヴェリさんには、ちゃんと居場所がありますよ」
「……どこにです?」
「だって、もう番犬じゃないです。見守っていた子は、子どもじゃなくなりましたでしょう? 主人は、いつの間にか変わってたんです」
シェイラがスヴェリに視線を戻すと、スヴェリは目を皿のようにした。
それから、力が抜けたように、歯を見せて笑う。
「たしかに」
「とっても立派なご主人になりました」
「まあ、そうっすね」
「そのうち、胸を張ることができますよ?」
「そうっすね。俺が育てたって言ってやってもいいかもしれません」
シェイラとスヴェリは、目を合わせて笑う。
「たまに世話が焼けるんっすよ」
「それは仕方ないです」
「あいつ、変なところがまだ子どものままで」
「怒られますよ?」
「シェイラさんのことだって、あいつ、きっと最初見た時からずっと……」
スヴェリは話しながら、しまった、と口を塞いだ。慌てて、誤魔化すように残りの酒を飲み干す。シェイラは気づかなかったように曖昧に笑って、それから立ち上がる。
「──イディさんのこと、よろしくお願いします」
シェイラは、ぺこっと頭を下げる。ゆるっと肩から、薄色の髪がすべっていく。
スヴェリがなにかを察して、立ち上がる。
「シェイラさんもいてやってください。あいつには、あなたが……」
「──いられないんです」
シェイラは、顔を上げた。うっすらと笑う。
「それを、これから話に行ってきます」




