291話:弟妹の痛み
王城内で起きた事態はすべて、帰還したイディオンの迅速な判断によって収拾されていった。
女王やその日居合わせてしまった勤め人の遺体は、場内にある教会堂に安置され、緊急招集された宰相や大臣たちは、イディオンからありのままを聞き、蒼白となった。今後を熟慮するために、制約魔術による箝口令が敷かれたものの、集められた者たちは、事態の深刻さに黙り込むしかなかった。
ムディアンは、シェイラの{修復}によって一命を取り留めた。その後に、イディオンから{治癒}も受け、見た目上はなにも問題なく回復を見せた。──ほとんど魔法が使えなくなったこと以外は。
「申しわけございません、兄上」
数日後、上体を起こせるようになったムディアンは、イディオンが姿を見せると、爽やかに頭を下げながらも、顔からは力がなくなっていた。一言の謝罪に含有された意味は、ひとつだけではなかった。
「私が頼りないばかりに」
シェイラは、腰かけていた椅子をイディオンに譲り、隅に控えた。事態の対処に忙しくするイディオンのためにシェイラができることは、代わりにムディアンを見舞うことだけだった。
「なにを言っているんだ」
「すみません、兄上」
「謝ることなんてないだろう」
「いえ、兄上のお手間を取らせていますので……」
「兄弟だ。当たり前だ」
「……明日には、きっと動くことができます。私も、兄上の力になります」
「ありがとう。だが、無理するなよ」
イディオンは、ふっと笑うと、侍従に呼ばれてすぐにまた出て行ってしまった。
シェイラと、ムディアンだけが残される。
「……シェイラータ準師」
ムディアンは、ぽつりとシェイラを呼ぶ。
「準師にも、謝らねばなりません」
「なにをですか?」
シェイラは、腰かけていた椅子にまた戻った。イディオンのぬくもりが、少しだけ残っている気がした。
「兄上は、きっと……もう……」
ムディアンは、兄に似た子犬のような表情になって、言葉を濁す。その顔や台詞からは、自分が魔法を奪われたことや父母を同時に失った悲しみではなく、ただ、シェイラとイディオンを案じる思いやりの心が感じられた。
(……立派な方でいらっしゃいます)
兄弟揃って、なんてしっかりしているのだろう。
自分たちこそ悲しみに暮れたいはずなのに。
「大丈夫です」
シェイラは、応じた。
わかっている。とうに、ずっと前から、わかっていた。
──こうなることが。このような事態になるとは思っていなくても、いつか必ず訪れることを、シェイラはわかっていた。
「わたしは、大丈夫ですよ」
シェイラは、ほほ笑む。
「ですから、殿下こそ、もう、ご無理なさらなくてよいのですよ?」
「準師……」
「イディさんにも、ティアラン殿下にも、黙っていますし、お伝えすることはしません。これまでずっと、がんばって来られたのですから、殿下はもう、解放されていいのですよ」
シェイラがそう笑めば、ムディアンは顔を上げて、しばらくシェイラの顔を見つめた。それから俯くと、掛布を握りしめる。ぼたぼたと落ちはじめるものから、シェイラはあえて目を逸らさなかった。
「準師……すみません、すみません……」
「いいえ」
「いつも、私たちを助けていただいてばかりで……」
「……いいえ、そんなことはありませんよ」
ムディアンは啜り泣く。しっかりしているが、まだ十六だ。たえられるものではない。
「私は兄上みたいになりたくて……母上のようにも、かっこよく蟲との戦いに出向きたかったのです」
「はい」
「よく、男の子どもというのは、街を守る討伐隊や……杖を使うかっこいい魔導師に憧れるものでしょう?」
「そうですね」
シェイラは肯定する。たしかに、そういう傾向の男子は多い。
「私は……その憧れのまま、この年齢になったんです。かっこいい、気持ちのよい人間に……なりたかったんです」
シェイラからすれば、それは十分なっている気がした。
ムディアン王子は、清々しく気持ちのよい人柄だ。
「だから、兄は憧れで……母も尊敬していて、戦場には出ずとも、人望のある父も……私の目標でした」
「…………」
「なのに……」
ムディアンの啜る声が大きくなった。
「……どうして、こうなってしまったのでしょうか」
そこから言葉はなくなった。ただ、啜り泣く声だけ、聞こえる。
シェイラは、その問いには答えなかった。ムディアンが答えを欲していないと感じたからだった。
ムディアンはしばらく、掛布を握り込みながら啜り泣いていた。
南のほうの貴族家に滞在していたティアラン姫は、急ぎ帰還を命じられ、大好きな兄イディオンから事の次第を聞くと、狂乱したようになった。荒れたティアランが落ち着くまで、イディオンはしばらく妹のそばにいたが、イディオンの力を借りたい人間は列を成すほどいて、妹ばかりにかまっていられないのが現状だった。
「わたしが、いますから。どうぞ、行ってきてください」
シェイラは、イディオンに買って出ると、後ろ髪引かれるようにするその背を押す。
「イディさんにしかできないことが、いっぱいあります」
「だが、ティアは妹で……」
「はい。ですから、またあとで顔を見せにいらっしゃってください。それまで姫殿下とお話していますから」
「でも……」
「わたしが、頼りないですか?」
シェイラが諧謔を交えれば、イディオンは首を振る。
「……いや。あなたなら、安心だ。──すまないが、頼んだ」
イディオンの頼み方は、どこかすでに政が馴染んだ言いようで、シェイラは、ざらっとつめたく、胸骨を撫でられていく気がした。
大丈夫。シェイラは、言い聞かせる。
今自分にできること、イディオンの役に立つことをしよう。
思考を切り替えて、ティアラン姫の居室に入る。そうして、泣き喚き、物を投げ、罵声を浴びせてくるティアランの相手をした。力尽きるのを待ち、過剰に昂った神経が沈静化するのを待ってから、近づき、言葉をかける。
「お隣……いいですか」
シェイラは、羽毛の飛び出た枕を抱くティアランの横に移る。返事がなくても、拒否の言葉も仕草もない。もう、力が残っていないのであろう。
シェイラは、まだ自分と同じ背丈ほどのティアランの横に、指一本分の距離を挟んで座った。ぽつっと、つぶやく。
「……しんどいです」
ぴくっ、と枕に伏せた銀の頭が動いた。
「とても、しんどくて……つらいです」
シェイラがもう一度そう繰り返すと、ティアランは、わーっと泣いた。残っていた力を、体中の全部から絞り出すようにして泣く。
シェイラはそっと距離を詰めると、その背を静かに撫でた。
彼女はまだ、繊細な年頃の少女だ。
傷つくのは当たり前だ。
まもなくして、ムディアンがやって来た。シェイラの代わりにティアランを抱きしめる。大臣たちとの協議が終わったイディオンが戻ってくれば、シェイラはそうっと、ティアランの居室をあとにした。
兄弟だけの時間が必要だった。
シェイラは居館から出ると、気づけば、満月になった夜を見上げる。
(……大丈夫です)
銀の光が、冴え冴えと胸元の青銀石を紫の遊色に輝かせる。
(わたしは、大丈夫)
石を握り込むと、この数日でついた覚悟が、シェイラの胸にあるのを感じることができた。




